お前が走るから、俺は今日も走れる
2023年8月19日
今日も最近続けているランニングをした。
ジャージは、3種類。
今日は日本の"国旗が胸についた"
いつかのサッカー代表ユニフォーム。
社会人になり、一人暮らしをし、転職をし、失恋をし、多感な26歳を走る男には、
このランニングが、
休日にみかんの汁を余す事なく絞りきり、上手にオレンジジュースを作るような爽快感に似た、
デトックス効果がある。
それは日々抱える多くの悩みを絞られるみかんの様に、自分の中に落とし考える時間にもなっているからだと思う。
今日筆を走らせたのは、
「自分に勝つ」という事について、
1つの考えを思いついたからである。
では本題に入る、
さっそく結論から言うと、
『自分に勝つには、負けなければならない。』
と思う。
自分に勝っても負けてもいない状況
というのはどういう状況だろうか、
それはそもそも勝負をしていない時ではないだろうか。
では、自分は誰と勝負しないといけないのだろうか、誰に勝てば、自分に勝つということになるのだろうか。
頭おかしいのかお前と言われそうだが、
答えはその通り、
過去の自分
である。
もっと詳しくいうと、
自分に負けた事のある過去の自分だ。
ツラい、キツい、やだな、こんなもんでいいか、
何かしらのもの事に打ち込み、挑み、
ふと弱気になった時、誰もが心に思う事。
別にこれは思ってもいいし、この思いのまま負けてもいい。あまり無理をしすぎても良くないのは事実。ただ大事なのはまた同じ事を思った時、
自分は弱音を吐いた過去の自分より強くいれるかだ。
そこで1歩でも、1秒でも、1振りでも、1声でも
強くなれれば、それは「自分に勝った」と言えるのではないだろうか。
自分に強いと言われる人は
この弱音を吐くライン、耐久値が高い人の事を言うのだと思う。
つまり、自分に勝つには基準を作る
という意味で一度自分に負けなければならない。
そして、負けた後にその負けた自分に少しでも早く勝ち追い越すことが重要であり、
それが自分に勝つと言う事につながるのである。
そんな事を思いながら
今日も胸に国旗を抱え走った。
これぞ正に国旗心(克己心)。なんつってー
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