個人的雑感

東日本大震災から11年が経過した。

あの日以降、僕の中で確実に変わったことが1つある。それは、この地域を訪れてくれる人への感謝の気持ち。
震災後のいわきサンシャインマラソンを路肩で応援していた時、地元の人々の声援に号泣しながら走るランナーが多数いた。その夜ネットで確認したところ「応援しに来るつもりが物凄い応援をされて、涙が止まらなかった」というような書込みに溢れていた。

この地域は震災後「汚染」のイメージで語られてきた。「そんな場所で子どもを育てるのは犯罪的だ」と罵った政治家もいた。いわきナンバーの車のサイドミラーが割られた、お土産がゴミ箱に捨ててあったなどという話は数を挙げればきりがない。それでも多くの人はこの地を愛し、日々を過ごしてきた。

いわきFCが誕生して以降、その思いはさらに強いものとなった。
いわきFCとの試合に、アウェイクラブやサポーターの人々がたくさん来てくれている。試合や応援が一番の目的なのは間違いない。しかし、多くのサポーターや選手がこの地を訪問し、中には震災遺構や伝承館を訪問したり、いまだ復旧の終わっていない地域を車で走り、思いを共にしてくれる方々が数多くいる。こんなにありがたいことってない。対戦をきっかけにいわきや浜通りという地名を知ってくれる、それだけでどれほどありがたいことか。対戦相手に対する負の感情など、僕個人的には持ちようがない。ありがとうしかない。

日常を紡ぐことすら出来なかった日々、もしかすると自分は被ばくしていて明日にでも倒れるのではないかと恐怖した日々。地獄だった。世の中にこんな不条理があっていいのかと、毎日泣きながら過ごした。それでもカメラを向けなければならない仕事にいた自分「こんな写真撮りたくない、申し訳ない」と心の中で謝罪しながら、何千枚とシャッターを切った。気が狂いそうだった。それでも日々は流れていく。いつしか人々に笑顔が浮かぶようになり、いつの間にかこの地を訪れてくれる人も増えた。11年の中には、この地域を訪問することに対して怖さを感じながらも来てくれた人がたくさんいた。

この数日のツイッターを見て、久しぶりに感情が揺り動かされた。
目的が「山雅のアウェイに参戦したい」であっても、「Jヴィレッジに行きたい」「いわきに行きたい」という声が、僕にとってどれだけ嬉しいことか。Jヴィレッジスタジアムは3年前まで原発終息の最前線基地だった場所。行きたいか行きたくないかと言われれば、あまり行きたくない場所として認知されていた。この地域に人なんて来るわけないと諦めていた日から11年、いわきFCが出来て「この地に行きたい」とこれほどまでに求めてくれる。他のクラブサポーターさんにも同じく、感謝しかないのは当然だ。

目的などなんだっていい。この地に来てくれた人を、僕は全力で迎えたい。試合は試合、試合以外は別。それを他の誰かに強要しようとは思わない。けれど、試合後に「いわきのウェルカム感凄い」なんて書き込みを見ると、自然に笑みが浮かぶ。やっぱみんな嬉しいんだよなと。

震災を経験して一番辛いのは、忘れられていくこと。常に思い出していてほしいとは言えないけれど、いわきFCを通して繋がる縁があり、忘れないでいてくれる人が少しずつ増えていく。他者に何かを求めることはしない。が、そんな気持ちを持ちながら、いわきFCとともに歩んでいく。

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