三日目の雨

「雨は、三日目続いちゃだめだ…」
Kは、低く伸びる空を眺めながらつぶやいた。
都会の空は、ビルに阻まれ、さして伸びやかさもあどけなさもない。
何もかもが失われた空のくせに、雨が降った日だけは、灰色のビルと、
煙色の空が一緒くたになり、やたらと奥行きを感じる。

腹立たしいのは、その奥行はただ、俺たちの上にのしかかる屋根としか感じないことだ。いや、蓋、と言ったほうが、感覚的には正しい。

「雨雲の蓋は、三日目に完全に閉じるんだ。閉じる感じは、ただ、コトリとするだけ。そんな重さはない。あの、石棺の蓋がずずず、と閉まるようないやあな感じはない。けどさ…」

入れかけのコーヒーに、湯を注ぐと、モカの華やかな香りが部屋に広がる。そう、今日は三日目の雨。漂う邪気を払うように珈琲の湯気は蓋の隙間から外へ抜ける空気の通り道を導いてくれるのだろうか。

机の端に置いておいた、Kの携帯が震える。私の携帯もほぼ同時に震える。時刻はまだ午前7時21分。提示に配信されるニュースの通知にしては少し早い。携帯をちらりと覗くと、Kはすぐ裏に返し。

「嗚呼、やはり三日続いちゃだめだったんだ」

私は急いで携帯を見る。たまにくる、速報。画面には、ある人物の死を知らせる通知が。満面の笑みと、訃報の黒文字。完全に矛盾した記号が二つ、画面に並んでいる。

「壱、弐、参、死。三日目の雨は、死を呼ぶんだよ」

私も、彼も、時をともにした人物の死がそこには書かれていた。なんだろうこの感じ。今、最も時代が欲する、気も心も充実しているはずであろう人物の死が相次ぐ。誰かが、私達から何かを取り上げているのか?画面から想像できることはあまりにも限られていて、死んだ本人からはもはや聞きようもない。このあとは、取材を元に事実(とされること)が書き立てられ、親しい者の心はかつてない痒みと痛みに掻き立てられることとなる。

ただ、三日目の雨を知る、私とKなら、このカウントダウンを理解し、記すことができる。


ー9月1日 零日目 淵に立つー

その兆候は、一日目の雨の前夜に始まる。蓋を締める前に、その蓋が乗る箱が用意されれるんだ。起きた時に、わかる。足元からそれは始まる。想像してみてほしい。フィギュアってあるだろう?あれを自立させるために四角い板が下についている。あれが、足に張り付いている感じだ。まず、起き上がるにも一苦労。四角くて、重い。

普段、起きるときは身体をねじって起き上がるのだが、この板が付いていると上半身がねじれても足は板に張り付いたまま。だから、起き上がる方法がすぐに思いつかない。この感じが、「そんな兆候はなかった」とか「どこかおかしかった」とか、様々な憶測が飛び交う原因か。皆の目には見えない…根本的な理由はそこにある。あと、もう一つ言えるのは自分自身が望んだことではない、ということだ。俺は本心から皆に問いたい。こんなことを、心から望むことがあるか?そしてもう一つ。この状態で最悪なことが起こる。たとえば、珈琲が大好きだとする。美味しいモカを入れようと思いやかんに火をかける。お湯が沸くあいだ、チョットゆっくりしようと思って気づいたらこの状態になっている。若干の焦げ臭さで目を覚ます。コンロの脇に置いた、水道代の紙か?で、すぐに起き上がろうとすると、足は板について離れない。でも、はっきりと焦げた匂いは鼻先までやってくる。視界が煙でぼやけている。寝ようとしていたのか、朝なのかもわからない。とにかくギリギリのところで、身体を起こす。と…何もない。何も起きていない。ただ、22時くらいにベッドに入ったはずが、夜中の3時になっている。ただただ疲れを感じて、板を引きずりトイレへ向かう。

トイレに入って座る。すると、また足に板が付いている。ちょうど肩幅くらいに足を開き、まるでガチャガチャで取れる戦国武将が指揮を取っているような堂々とした足のスタンスだ。気づいたのは、正方形の板の肩幅くらいで固定されている真ん中。ちょうど真ん中に二回りほど小さい正方形の穴が空いている。そこに手を突っ込んで引っ張ったり、その穴にハンマーを引っ掛けて取ろうとしても、全くビクともしない。

トイレの帰りに、息子の部屋を覗く。5歳になる息子はすやすやと眠っている。

ー9月2日 壱日目 比べるー

朝。仕事に向かう力もなく、パソコンのモニター越しにミーティングに参加する。と、左耳の後ろあたりで水滴が垂れる音がする。気になって振り返ると、今度は右。急に雨が降り出す。

思えば、息子を産んだ2年後に亡くなった妻。彼女が逝った日も雨だった。

夜、トイレに行って座ると、またあの板が出現する。昨日、一通りチャレンジしたから諦めて用を足す。いつものように息子の部屋を覗く。暗がりの中で、息子の足元がキラキラしている。何か四角の小さな正方形が見える。

「まさか…」

2,3歩思わず駆け足になる。なんだか足元が軽い。パッと自分の足元を見下ろすと、足元の板がない。

「どこだ?」

ひゅーっと言う音ともに、俺の板がキラキラと輝きながら水平に上がっていく。そしてゆっくり90度回転する。

「まさか」

思わず俺は、その板を掴む。ぐっと、板は進もうとする。そう、息子の足元へと向かって。


9月4日 参日目

この日になると、皆を安心させたくなる。自分はこれ以上存在できないが、皆のおかげでこれまで居られたことが100%理解できるんだ。いつものように過ごし、気を使い、何気なく消える。そして、そのまま消えるんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?