外国人選手との絆②
今回は、同期入社のジョージ・プウオウ選手です。彼はハワイ出身で、サンノゼ州立大学を経て、地元ハワイでプレーしていた選手です。
ジョージは、ハワイ出身の力士とも交流がありました。実際に、小錦関が弟子を引き連れて試合を見にきたこともありました。
努力のプレーヤー G•プウオウ
性格は人懐っこく、陽気なハワイアン。
お酒も好きだし、チームの盛り上げ役でした。
大好物はラーメン!遠征に行っては、美味しいラーメンを探していました。
彼のポジションはポイントガード。
当時、外国人選手といえば、ゴール下を支配するビッグマンでした。しかし、同じ年に日本人ビッグマンが入社したので、あえてPGを獲得したのです。
実を言うと、彼は無名の大学出身、しかもプロとしてのキャリアも無かったので、他チームからは、かなり低い評価でみられていました。
実際、サラリーも一般社員並でした。
彼もまさか、日本からオファーが来るとは思ってなかったんだと思います。チームの期待に応えようと、コートの中外で必死に努力を続けました。
その甲斐あって、チームの中心選手にまで成長し、天皇杯、日本リーグ優勝に貢献してくれました
我々も、彼の活躍を信じていたので、本当に嬉しく思いました。
低い評価を出した他チームを見返したばかりではなく、アシスタントコーチも含めて、10年以上もチームに所属してくれたのです。
施したら、施されがえす
ジョージとは、現在も家族ぐるみで付き合いがあります。数年前にも、カルフォルニアの彼の家に遊びに行きました。
彼が、GSウォリアーズのチケットを取ってくれて、皆でオラクルアリーナにNBA観戦に行ったり、カルフォルニアの観光名所を案内してくれました。
運転手はジョージの息子です。
車内では、日本での昔話で盛り上がりました。
私がマネージャー時代は、私が車を運転して、プウオウ一家をいろいろなところに連れて行きました。
その時のやんちゃ坊主が、今は見上げるほどに成長し、我々の運転手をしてくれているのです。
私がジョージの子どもの世話をした時代があり、時を経て、今度はジョージが私の子どもを肩車してくれている・・・。
カルフォルニアの夕闇の中、ジョージと我が子の背中を見て、しみじみと「絆って素晴らしいなぁ〜」って感じました。
私は、このご縁を忘れないために、生まれた子どもにジョージの息子の名前をもらって命名しました。
もう一度、日本で活躍を!
ジョージは、引退して帰国後、カルフォルニアの小さなカレッジでコーチを続けていました。
しかし、最近、このコロナ禍の影響でカレッジでの活動ができなくなってしまいました。
ジョージは、日本も視野に入れてコーチを続けることを希望しています。日本の言葉や文化を理解し、長年、日本でコーチ歴もある彼。
また日本で活躍するところを見てみたいデス!
今回もご拝読いただきありがとうございます。
もう少し、外国人選手とのエピソードをご紹介していきたいと思います。
私も、彼らとの思い出を思い出すたびに、またみんなで集まりたいと思ってしまいます。
本当に新型コロナウイルスが早く終息することを願っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?