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激動のシーズン 初めての日本一③

 私は、「好調な時ほど、準備すべき」だと考えています。
なぜなら、「好事魔多し」という言葉がある通り、順調に進んでいるときでも、思わぬ事態は起こりえるからです。
激動のシーズン第三弾、いよいよ天皇杯に突入です。

いざ!決戦の地・幕張へ

 シーズン序盤で、早くも二敗を喫したスーパーカンガルーズでしたが、そこは切り替えの速さがウリのシーズン。若手がのびのびプレーし、試合ごとに成長していきます。
その後、Iすゞ自動車と並ぶ優勝候補・NKKとの守り合いを68-61で制し、第70回全日本総合選手権大会(以後:天皇杯)に乗り込みました。
この年は、バスケットボールの聖地、代々木第二体育館が大規模な改修工事のため使用できないシーズンでした。
従って、天皇杯は、千葉県の幕張ポートアリーナで開催されました。
アリーナに隣接する一流ホテル、幕張ニューオータニに宿泊させていただき、リラックスして試合に臨めたことを思い出します。
ただ、選手がロビーをサンダル・ジャージでウロチョロしてよく注意されましたが。

スーパーカンガルーズの快進撃

 試合の方は、1回戦T田通商を31点差、2回戦Zクセルを30点差で一蹴、準々決勝へ順調に駒を進めました。
準々決勝からは、日本リーグの1部のチームとの戦いです。
準々決勝は、昨シーズン、プレーオフで敗れている宿敵、J・エナジー。ロースコアに持ち込まれましたが、68-61で接戦を制しました。
準決勝は昨シーズンのリーグチャンピオンNKKです。試合は中盤まで一進一退。我慢比べが続きました。
しかし終盤、今シーズン絶好調のY田選手が立て続けにシュートを決め、決着がつきました。
終わってみれば94-79の快勝でしたが、長く感じられた試合でした。
Y田選手は、これまで平均得点で40点近くを挙げ、チームの柱となっていました。
スーパールーキーのH谷川選手がコートを縦横無尽に走り抜け、Y田選手がゴールを射抜き、T日選手が攻守でチームを引き締め、プウオウ選手がボールをつなぎ、ゴール下にはアジアのセンターY崎選手が立ちはだかると言う、躍動感あふれる、まさにカンガルーの群れの様なチームでした。
その若きカンガルーたちは、いよいよ決勝戦を迎えます。

無邪気に遊ぶ子どものよう

 決勝戦は1995年1月8日、前年度優勝のIすゞ自動車を破って勝ち上がってきた、S友金属との対戦になりました。
天皇杯の決勝戦なので、NHK生中継です。観客や報道陣もどっと増え、会場のテンションも高まりました。
試合は、このトーナメントの勢いそのまま、スーパーカンガルーズが序盤から相手を圧倒。
H谷川選手が試合のペースをグングン上げ、絶好調Y田選手のシュートが次々と決まります。
それに続くように、プウオウ選手がバスカンの3点プレーで会場を盛り上げます。
Y崎選手も、ブレイクの最後尾から果敢に飛び込み、豪快なダンクシュートを連発しました。
ベンチメンバーも声を出してチームを盛り立て、まさに「チーム一丸」の状態でした。
その様子は、コート上もベンチもまるで、〝子どもたちが無邪気に遊ぶ公園〟のようでした。

そして、それは起こった

 勝負はすでに決していました。後は、残り時間が過ぎるのを待つだけです。
相手チームも、手を替え品を替え対策してきますが、スーパーカンガルーズの勢いを止めることはできません。
両チームともトーナメントの連戦で、疲労困憊の筈ですが、スーパーカンガルーズは、永遠に体力が続くかのような躍動感です。
試合も終盤、30点近い点差も縮まる事なく、カウントダウンの準備に入りました。
本来ならば、この時点で控えのメンバーを出しても良い展開でしたが、最後まで若いスーパーカンガルーズで行く様相でした。
そして、Y田選手がこの日、38得点目の3ポイントシュートが決まった瞬間、「それ」は起こりました。

次回に続く。

#好事魔多し #代々木第二工事中 #1995天皇杯 #38点目のスリー #決戦の地幕張

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