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激動のシーズン 初めての日本一①

 私は、「歓喜の前には、必ず苦難が訪れる」と考えています。
なぜなら、その苦難を乗り越える力こそ、チャンピオンになるための最初の条件だと思うからです。
しかし、この歓喜の記念写真にも2名のチームメイトが写っていません。
バスケットボールの神様は、歓喜の瞬間にさえ、さらなる苦難を与えたのです。

激動のシーズン

 1995年1月、スーパーカンガルーズは実に7年ぶり8回目の全日本総合選手権大会(天皇杯)を優勝することができました。
私にとっては、悲願の初優勝です。
しかし、このトーナメント大会はまさに死闘。事実、決勝戦の後半にその悲劇は起こりました。

今回から数回にわたり、まさに、〝激動のシーズン〟を描いていきたいと思います。

チーム再建・スーパールーキー加入

 このシーズンは、チーム編成が大きく変わりスタートしました。
前年度は、スカウトに失敗し、補強ゼロ。大きな変革が必要と考えていました。
そこで、3つの補強を一気に行いました。
・他社の休部による弊害を受けた学生MVP、N本大学のH谷川選手を急遽スカウト。そして、年度末ギリギリで獲得することができました。
・当時日本を代表するポイントゲッターであった3年目、Y田選手が初めて嘱託社員契約選手としてセミプロに転身。
・NCAAトーナメントファイナル4ケンタッキー大学から、G•マルチネス選手(前記)を獲得。
特に外国人選手は、Gができるプウオウをスタートとして、控えにFのマルチネス、インサイドのマーチンと、万全の体制をとりました。
ルールでは、3人保有可のオンザコートは1名。

リアル大乱闘勃発!

 しかし、この激動のシーズンを予感させる出来事がすぐに起こりました。
外国人選手がチームに合流して間もなく、練習でスクリメージ(5対5)をしていた時です。
インサイドでマーチンとマルチネスが、激しいポジション争いをしていました。
それが、さらにヒートアップして、殴り合いの大乱闘に発展してしまったのです。
レフリーをしていた私は、間に入って止めようとしたんですが、2mのバスケ選手の殴り合いです。私のはるか上空で、バチバチやって止まりません。
チーム全員で、何とか2人を分けました。
練習は即、中止
スタッフが仲裁に入り、外国人選手の話し合いが行われました。
こんな事、今までありませんでした。
私は、「このシーズンは、どんなシーズンになってしまうのだろう」と心配した反面、何故か胸騒ぎがしたのを覚えています。
こうして、嵐のようなシーズンがスタートしました。

次回に続く。

#いきなり大乱闘 #大型補強 #激動のシーズン #スーパールーキー #初めての日本一

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