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日本リーグ優勝の舞台裏 チームを支えたキャプテン

 前回までのシリーズで、二冠達成のシーズンを紹介させていただきました。

今回は番外編として、前記のキャプテン・濱田孝美さんを改めてご紹介させていきたいと思います。

ニックネームは「ポルシェ」

 濱田さんは、地元大阪出身で、出身高校も公立のH方高校です。

大学は関西の名門、D志社大学。インカレでは優勝したN本体育大学を後一歩のところまで追い詰め、話題を呼びました。

濱田さんはスピードあふれるPGで、「ポルシェ」とあだ名がつくほどでした。

私も今までに多くのPGを見てきました。

その中でも、〝スピードだけ(笑)〟なら濱田さんは間違いなくトップクラスでしょう。

長い下積みの後の下積み

 濱田さんが入社した1987年のスーパーカンガルーズは最強でした。

日本を代表するベテランPGがチームを牽引し、日本リーグ5連覇、さらには天皇杯も3連覇し、3年連続二冠達成と無双の時代でした。

(日本リーグ最終戦で同じ1敗同士のM菱電機と再々延長(93-91 駒沢)を繰り広げた伝説の年です。)

濱田さんは、そのベテランPGの下、4年の間ベンチでの下積みを重ねていました。

ベテランPGが引退後、やっとプレータイムを勝ち取るのですが、皮肉なことにチームは優勝から遠ざかってしまいました。

天皇杯に至っては、リーグの途中経過8位までが推薦されるんですが、上位8位に入れず不出場という屈辱の年もありました。

勝てない苦しいシーズンが3年続きました。

その間、Y崎選手やY田選手など日本代表選手の入社で、復活の手応えを感じることができるところまで来た8年目、ルーキーのH谷川選手にあっさりとスタートの座を取られてしまうのです。

濱田さんは、キャプテンを任されていましたが、すでにシーズン前から引退を決めていました。

リーダーの資格

 私は「常に前向きでいること」は、リーダーの資格の一つだと思います。

なぜなら、人の心をリードするんですから、後ろを向いていては、チームを引っ張っては行けません。

長い下積みを経て、やっとつかんだスタートの座でしたが、あっさりとルーキーに奪われ、再びベンチに戻ったラストイヤー。

普通であれば、愚痴の一つも出るでしょうし、仕草や行動に現れてもおかしくありません。

しかし、濱田さんは文句ひとつ言わず、若手がプレーに集中できるようにと、後方から支えてくれました。

逆にコートの外では、浪速のノリとツッコミで、スーパーカンガルーズの雰囲気を明るく盛り上げてくれました。

タッチダウンシュート

 そんな苦労人、濱田キャプテンが最後の最後に決めたタッチダウンシュートは本当に感動的でした。

点差の開いた試合や、順位に関係のない試合ならまだしも、ファイナルの大舞台での終盤、急な起用だったにもかかわらず、いつもプレーしているかのように試合に入り、往年のビッグプレーを決めてしまうとは。

おそらくシーズン全般を通して毎試合、ほとんど無いプレータイムのために準備をしていたんでしょう。

心からリスペクトできるキャプテンでありました。

濱田さんは後に、部の創部50年記念誌にこう記しています。

「我々ベテランは、チームを一つにする為にはどうしたらいいか悩みました。その答えはベテランが裏方に徹し、若手にのびのびプレーさせる事が優勝に繋がると確信し、実行致しました。(抜粋)」

あのビッグプレーを思い出すたびに、濱田さんや先輩方の知られざる苦労が裏にはあったんだろうと、胸が熱くなります。

今回は以上です。最後までご拝読ありがとうございました。濱田孝美先輩には、今回の実名での掲載を快諾いただきました。ありがとうございました。キャプテンのように人の上に立つ人には人知れず苦労があるものです。でも、その分バスケットボールの神様がご褒美をくれるんですね。

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