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作家という人たちに憧れる

昔から作家に憧れている。

作家といっても色々な作家があるがその中でも僕が憧れ、とてもリスペクトしているのは小説家や漫画家だ。映像作品における原作の著者はもちろん、オリジナルのものであればその脚本家なども憧れの対象だ。

なぜ憧れるか。それはとてもシンプルな理由で、『物語』を生み出せる能力の持ち主であるからに他ならない。つまり彼らの頭の中には目の前に広がる現実世界とは異なる世界が広がっているだけでなく、それを自由に作り出せるのだ。そして、人をその『物語』に引き入れる能力の持ち主でもある。

異なる世界を創り出し、その世界に息を吹き込み、躍動させる。別にファンタジーや完全な別世界の世界観のことだけを言ってるのでなく、限りなく現実に近い世界観もだ。これってなんて素晴らしい能力なのだろうかと思う。僕にはできない。

漫画家はさらにそれを自らの力で視覚化する。素晴らしい。もちろん原作と作画が別の場合もあるがそんなことはリスペクトの対象として大きな意味を持たない。その結果、大量の漫画を読むようになった。今では継続的に読んでいる漫画を追うことだけでもままならないほどだ。本当は小説も読みたいのだが圧倒的に時間が足りない。これは先日の投稿の話にも繋がるのかもしれないが、時間が足りないのは僕の読む速度が遅いのかもしれない。

漫画の場合は視覚的な情報も与えられているが、小説の場合はそうではない。なので、僕は作者が文章で紡ぐ世界観を自分の頭の中で自分なりの解釈で再構築する。そこでは登場人物の姿形や声から風景までが再現されている。この感覚がたまらなく好きだ。なんせ、自分の好みが反映された形で別の世界が構築されるのだ。だからこそ1つの作品が終わるとなんとも言えず一抹の寂しさのような表現の難しい気分になる。物語の終わりは1つの世界の終わりを意味するからだ。

小さい頃から本を読むことは好きだった。図書館で本を借りてはいつも読んでいた。小学生の頃に入る頃にはもうそうだった気がする。小さい頃は体が弱く(なんと幼稚園の半分は病欠で、小学校の入学式は入院先のベッドで迎えた!)、寝込んでいるときはよく本を読んでいた。実は子どもの頃はあまり漫画は読まず、漫画を読むようになったのは中学生くらいからだったりする。小学生の頃に自分でも小説を書いてみようと思って何度かチャレンジしたが、僕にはそんな能力が全くなかったようでそれは大人になった今も変わらない。

この無から何かを作り出すという行為が好きだ。僕は常々「プログラミングはクリエイティブワーク」と言っているのだがこれもまさに何もないところからプログラミングという、特定のプログラミング言語を用いてコードを紡ぐという行為を通じてある一定の動作を行う『ソフトウェア』を創り出すからだ。したがって優れたソフトウェアエンジニアも敬意の対象だったりする。

僕は以前から自分にできないことの能力を持つ人に対してリスペクトというか憧れが強いわけだが、その中でも特に創作に関する能力を持つ人に対するリスペクトが強い。音楽だったり絵だったり。残念ながら絵に関してはそこまで好きなわけではないが、絵を描ける人自体に対する憧れは強い。

話は逸れたが、そんなことを出張から帰国中の飛行機で漫画を読みながら考えていた。特に伝えたい何かがあるわけではない。あるとすればフライト中に読む予定だった漫画を読みきってしまってたった今、暇を持て余してることくらいだ。

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