宮崎県のサーフィンはどこから伝来したのか
今回の取材を進めていくなかで、実際に宮崎県内にサーフィンが伝来したのはいつごろだったのかというお話をさせていただきます。その話をさせていただく前に、「伝来」と言うからにはどこから伝わったのかという話をまずしたいと思います。
1965年ごろ、湘南・千葉を中心にアメリカから伝来したサーフィンは徐々に地方に伝わって行きました。結構早い段階で、九州唐津(佐賀県)でサーフィンが始まったのは事実です。唐津のバス会社の御曹司がサーフボードを東京のデパートから取り寄せたのが始まりだったと地元のマジックドラゴンサーフィンクラブの一員だった山下さんが亡くなられた久保会長の証言として話をしてくださいました。当時360円の時代にハワイから輸入したサーフボードはびっくりするくらい高価な代物で木箱に入れて厳重な梱包で唐津に届いたそうです。
九州ではいち早く唐津で始まったサーフィンですが、福岡市内にもSHAGサーフィンクラブという老舗のクラブがあったそうで、その中心人物であった楢崎さんの焼肉屋さんにはいつも多くのサーファーが集まっていたそうです。(機会があれば是非、お話を伺ってみたいと思ってます。)
唐津、福岡のサーフィンシーズンは5月で終了して、夏になると皆さん波を求めて九州各地を所謂「サーフトリップ」したそうで、そのトリップで宮崎が良いぞという噂が広がったのだそうです。当時、8時間以上かけて車にキャンプ道具、食料一式を詰め込んで旅をした若者たちには頭が下がります。
そして彼らが行き着いた先は、やはり日向市だったようです。時期的には1968~69年ごろ、金ケ浜の松林(現在の民宿金ケ浜のあたり)にキャンプしながらのサーフィンだったようで、さながら最近のニアスやグラジガンばりのアドベンチャーだったのかもしれません。何故、日向だったかと言うとその決め手は「耳川河口ポイント」にもあったようです。金ケ浜と隣接し当時最高のポイントと言われていた耳川ポイントのお話は次回のお楽しみ。
今では話題になることが少なくなりましたが、1970年当時耳川は日本を代表するポイントだったそうで、もしもこのポイントが昔の状態を保っていたら宮崎いや日本のサーフィンの歴史が少し変わっていたかもしれません。まだ遅くはないかも・・・。
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