論文の画像切り貼りって不正なの?

実は学術論文に証拠として提示されている画像の中には、切り貼りされたものがよくあります。しかしそのすべてが疑義になる訳ではなく、「切り貼り=不正」とは必ずしもなりません。では、「許される切り貼り」と「許されない切り貼り」は何が違うのでしょうか?ここでは、架空の「花の色を変える研究」を例として説明してみましょう。

ある白い花があるとします。この花に特殊なAという薬剤を水に溶かした溶液を吹きかけると、花が青く変色するとします。これは以前よりよく知られた現象です。研究者であるあなたは、この薬剤Aの溶液を加熱し、沸騰させた後よく冷まし、それから花に吹きかけると、白い花が青ではなく赤に変色することを発見します。では、この発見を論文として発表する時に、どのような画像が証拠として必要でしょうか?少なくとも、

·   薬剤を入れないただの水を吹きかけると、色は変わらないことを示す白い花の画像

·   薬剤Aを入れて吹きかけると、青に変色することを示す青い花の画像

·   薬剤Aを溶かし、煮沸させた後に吹きかけると、赤くなることを示す赤い花の画像

の三点が必要です。これらの条件を満たす理想的な画像は、次のようなものです。

あなたはこのような画像にしようと撮影した写真を切り貼りし、次のような画像を論文に掲載しました。ところが論文を読んだ他の研究者から、画像がおかしいのではないかという指摘があり、調査が行われることになりました。

そこであなたは生データ、つまり切り貼りする元になった画像を提出しました。

実はあなたは、いくつか花が枯れてしまう可能性を考え、複数のプランターで複数の花を同時に育てていたのです。証拠として必要なのは、それぞれの花ひとつずつだけなので、あなたは写真の一部を切り貼りしました。それでもすべての花は同じ栽培環境だったので、問題はありません。生データを見た調査委員会の科学者たちは、あなたが行った実験とその結果に納得し、あなたの行為を「不正ではない」と判断しました。ただし、あなたの画像は混乱を招く恐れがあるとして、修正を求めました。あなたは、次のような修正画像を提出し、この問題は解決しました。

さて、あなたとほぼ同時期に、ある研究者は別の花を使って同じ実験を行い、論文に発表しています。しかしその論文にも画像がおかしいという疑義がありました。プランターがおかしいのはあなたと同じですが、さらに花びらの一部が不自然に欠けているのです。それは次のような画像です。

この研究者も調査委員会に対し、生データを提出しました。

実はこの花には、煮沸しない薬剤Aでも青に混ざって赤も発色し、紫になるという性質があり、さらにひとつの花でも花びらによって色が変わることがある、という特徴があります。しかしこの研究者は、そのことに気づきませんでした。それどころか、「このままでは花が赤くなるという現象を信じてもらえないかもしれない」と考えます。「薬剤Aで花が青くなる」というのは誰もが知る現象なので、紫では疑われるかもしれない。もっとわかりやすい画像にしたい、という訳です。そして、何とかして「薬剤Aで青くなった花」を作り出そうとします。

この研究者は薬剤Aだけでなく、さまざまな別の薬剤も加えて花に吹きかけ、青くなる花を探しました。たまたま薬剤AとYの組み合わせで青くなりやすいと発見しますが、一部の花びらしか青くなりません。この研究者は青い花びらだけを残し、青くないものは切り取りました。こうしてこの花を「薬剤Aで青くなった花」として論文に掲載したのです。

調査委員会は薬剤Yが何なのか、なぜ別の薬剤を混ぜたり、花びらを切り取ったりしたのかを追求しようとしますが、この研究者は申請する特許や体調不良を理由に応じません。「論文の趣旨には影響しない」「花びらは自然に抜け落ちただけ」「生データはあるから問題ない」と一貫して主張します。この研究者には過去の論文でも疑義があり、それもひとつやふたつではありません。はたして調査委員会は、この研究者の行為を不正と認定しました。

では、あなたとこの研究者の違いは何でしょうか?「煮沸した薬剤Aで赤い花になる」という結果は同じで、これは真実です。どうしてこの研究者だけが不正と認定されたのでしょう?それは、この研究者の主張が信用できないからです。

科学者が重視するのは、「画像の切り貼りという行為を行ったかどうか」「論文の結論が正しいかどうか」ではありません。「どんなことをして、どんな結果を得て、そしてそれが信用できるかどうか」です。あなたの疑義画像は不適切でしたが、生データは納得できるものです。同じ栽培環境、薬剤によって変化した色が複数の花で同一の結果、花には手を加えず画像を切り貼りしただけ。あなたが何をやったのかがはっきり見えます。信用できるので、不正ではありません。

しかし、問題の研究者のデータは信用できません。自分の主張が通りやすいように不都合な結果を無視または切り捨て、都合のいい結果を意図的に作り出しました。これは、論文を読んだ人をだまそうとするのと同じことです。さらに、この研究者が何をやったのか、まったく見えません。薬剤Yは何なのか、なぜ情報をすべて出さないのか。赤くなった花は本当に煮沸した薬剤Aの影響なのか、これにも何か別の薬剤を入れたのではないか。過去の論文にも複数の疑義があり、この人のデータを信用していいのか。つまり、人をだますような行為を行い、論文の信用を著しく損なったから不正なのです。そしてこれは、たとえ論文の結論が正しくても、許されることではありません。

信用できるかどうか、不正かどうかは、「画像の切り貼り」というひとつの行為だけで決まるのではなく、他のデータや疑問点、過去の論文との整合性などから、総合的に判断されます。問題が「画像の切り貼り」ひとつだけで、そのほかのデータが信用できるなら、画像を修正するだけで済むでしょう。しかし、「薬剤Aに他の薬剤も混ぜる」「花びらを切り取る」「不都合なデータは無視する」「過去の論文にも多くの疑義がある」など複数の疑問点があると、「煮沸した薬剤Aで赤い花になる」という結論まで信じられなくなります。結論が正しければ何をしてもいいのではなく、結論を信じてもらうために、論文や研究者本人の信用を落とすような行為はしてはいけないのです。

ところで、論文にどのような画像を掲載するかは、研究者や学術誌によって異なり、「絶対こうしなきゃダメ」という方法はありません。さらに時代によっても違い、昔は次のようなサンプルの一部だけを切り貼りした画像はよく見られました。

最近では、このような画像は良くないと考える人が多くなり、画像は一部だけではなくできるだけ全体のものを掲載し、つながりのない画像はスペースを空けて並べるようになりました。しかしあくまでも近年の傾向であり、昔は普通に行われていたので、今でもこのような切り貼りをする人はいるかもしれません。基本的に、これだけでは不正とはみなされません。具体的にどのような行為が不正とみなされるかという基準に、はっきりとした目安はありません。あくまでもケースバイケースであり、科学者たちのモラルや良心、コミュニティーの判断にゆだねられています。

科学はデータと数字を論理的に分析して評価する世界ですが、分析する前に「データは信用に値する」という前提がまず必要です。「論文の信用を落とすようなことはしない」というモラルを研究者が失ってしまうと、どの論文も信用できなくなり、結果的に科学は発展しません。言い換えれば、そのような最低限のモラルすら持ち合わせていない人は、研究の世界にいるべきではないのかもしれません。

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