『偉大なヒトに会いました1』

                           2001/3/22
 知る人ぞ知る、プロレス界の大御所、ミスター・ヒトさんが経営する、お好み焼き屋『ゆき』に行ってきました。ちょうど、この日、私はよどがわさんと朝から大阪府立体育会館で、大相撲を観戦。早朝8時半から並んで買った1400円の立ち見の券を握りしめ、国技を思う存分、堪能したのでした。

貴乃花の圧倒的な強さと出島の弱さを目の当たりにした私たちは、会館を出た後、自転車にまたがり、玉造方面に向かったのです。
 ミスター・ヒトさんは、その昔、アメリカでトップレスラーだった偉大なレスラーなのです。ケンドー・ナガサキやアニマル浜口と組んで、北米タッグのベルトを何度も獲得しているのです。当時、渡米して、2週間後にはメーンイベンターになり、かなりのお金を稼いだそうです。ヒトさんのプロレスの持論は「受けてナンボ」。ヒトさんは受け身がうまかったのです。得意技はドロップキック。トップヒールとして財をなした後は、カルガリーで、ダイナマイト・キッドやデイビーボーイ・スミス、馳や橋本、リッキー・フジら、たくさんのレスラーを育てたのです。
 『紙のプロレス』に書いてあった地図をたよりに、長堀通り沿いを延々走りますと、『ゆき』という看板を発見。玉造と谷町6丁目のちょうど真ん中あたりに店はありました。けっこう、私の家から近いのです。今まで行かなかったことを悔やみましたね。
 昔の風情が残るお店の中には、味のあるおじさんとおばさんが座っていました。おそらく、この味のあるおじさんが、伝説のレスラー、ミスター・ヒトなのでしょう。幸いにも、他にお客さんがいないようです。私たちは恐る恐る入っていきました。店内には、ヒトさんのレスラー時代の写真(めちゃめちゃいい身体をしている)や、馳浩が『ゆき』に来た時の写真が1面の『週刊ファイト』、中島らもと大槻ケンヂと一緒にヒトさんがうつっている写真などが貼られています。さすがに、歳をとっていても、ヒトさんの身体は大きいですね。骨がかなり太いのです。私たちは圧倒され、どうやって話を切り出そうかなと思案していますと、おばさんが「あんたたち、プロレスファン?」と聞いてくれたのです。これで、緊張がほぐれました。ありがとうございます。
 プロレスファンの私たちに、いきなり、パチンコ必勝法の話をするヒトさん。なんでも、1週間前、お客さんから聞いた必勝法がすさまじくて、絶対負けないそうなのです。この日も2万円勝ち、前日は4万、その前は5万と勝っているとのことです。この調子で行くと月50万は儲かるとの話です。そんなおいしい話はあるのでしょうか?。ギンギラパラダイスという台で、かなり難しいタイミングがあるのですが、それを会得できれば、誰でも勝てるということなのです。あまりにも勝つため、「お好み焼きなんか焼いてられんわ」と言ってました。そのお好み焼きや焼そばの値段は500円前後で、かなり安いのです。
 生ビールを持ってきてくれたヒトさんは、「この前、ラジオで馬場の悪口言ってきたよ」と最初の爆弾を投下してくれました。「ほんまのことは言うとかんあかんからね。あの夫婦はかなり悪いんだから」と世間の常識を覆す馬場悪人論から、プロレス話はスタートしました。その馬場悪人論の中でも秀逸だったのは、ハル薗田保険金事件です。マジック・ドラゴンことハル薗田さんが新婚旅行に行った際、飛行機が墜落し、夫婦とも帰らぬ人になったのですが、実はその時、保険の受取人が馬場夫妻だったとのことなのです。なんと、その保険総額は2億円。それを全部遺族の方に渡せば美談なのですが、ヒトさんは「そんな話、聞いたことがないな~」と言い、その後、「林真須美よりかなり先に、そんなことしてるから凄いな~」と変に感心しておりました。一般的に、馬場さんの遺産は8億円と言われてますが、実際は48億円もあったそうです。とてつもない額ですね。
 返す刀で、全日本は来年までだろうと予測。来年が30周年で、「それまでは、元子ももたすだろう。で、その後はかなりの財産があるハワイに逃げるだろうな」とのことです。根拠はレスラーが天龍しかいないこととTVがないことを挙げていました。私たちが「川田が…」と言いますと。ヒトさんは「あんなもの、頭がおかしいんだよ。常識がないんだよ」とバッサリ。「誰にも、相手されていないだろ。あいつはおかしいんだよ。気分屋と言うかね。カルガリーにあいつが来た時も勝手なことばかりするんだよ。勝つ試合を組んでいるのに、負けるのよ。『なんでお前、寝るんだ』と聞いたら、『この会社、嫌いだもん』って子供みたいなこと言うんだよ。『お前の、そんなわがままで、みんなが迷惑するんだ」と怒鳴ると、あいつは泣くんだよ。ほんと常識がないんだ。川田は…。だから誰も、仲間にしないでしょ」と新たな非常識男・川田のエピソードを教えてくれました。『紙のプロレス』『クマと闘ったヒト』にも、かなり川田非常識エピソードが書かれてあります。
 「器が小さいよ。川田は…。新日本はけっこういい扱いをしてるけどね。身体が小さいわ」と川田をボロクソに言っているヒトさんに、私は「渕さんはなんで、全日本に残ったのですか?」と聞くと、すぐさま「ホモだからだよ」という飛び道具が返ってきました。「誰がホモを新団体に呼ぶんだよ」と毒舌は止まりません。
 もう1つの疑問、馳浩がなぜ、全日本に残ったのかを尋ねると「衆議院議員だから」とのこと。馬場さんにお世話になったから、裏切ったりしては、イメージを損なうからなのでしょう。ここで、馳浩讃美論が繰り広げられます。「馳はいいよ。かしこいよ。あと1期か2期ぐらいつとめたら、大臣になるんじゃないかな。よく勉強しているもの。今、日本で環境ホルモンの第一人者になってるしね。議論したって、どんな議員にも負けないし。この前、クイズで1000万円とったでしょ。あれで、さらに、かしこさをアピールしたよね。すごいよ馳は…。将来的には総理大臣になるって言っているよ。衆議院議員には普通なれないよ。猪木なんて、参議院でデカい顔してたけどね。馳はプロレス好きだから、大臣になっても、やってるだろうね。今、馳は全日本、新日本、ノアにも太いパイプがあるんだよ。衆議院議員だからね、力があるから。橋本がノアと戦えたのも馳の力が大きいらしいよ」。人間・馳浩絶賛の後は、プロレスの技術的なうまさも絶賛していました。私のような素人の目から見ても、馳のプロレスはうなるぐらい、うまいですからね。
 その後、ヒトさんの相撲時代の話になりました。今でも、武蔵川部屋には、行くそうです。なんでも、武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)の兄弟子がヒトさんで、今でも親交があるのです。当時、ヒトさんは体重が110キロしかなく、筋肉だけで脂肪がなく、相撲取りとしては身体が小さい方だったのですが、幕下12枚目まで上がったのです。しかし、そこで自分の限界を知り、角界を去ったのです。「どうせ上がっても十両までだよ。幕内には上がれんと思ったからね。相撲は難しいよ。力だけでは勝てないからね。まわしを取れれば勝つんだけど、なかなかとれないんだよ。難しいよ。今、注射とかガチンコとか言ってるけど、相撲は難しいんだよ」と振り返っていました。しかし、幕下12枚目で4勝3敗と勝ち越しながらやめたのだから、続けていれば、幕内に上がれたかもしれないと思ってしまいますよね。
 幕下当時の写真が1枚だけあり、見てみますと、これがまたカッコいいのです。「もてたでしょう?」と聞くと、「めちゃめちゃもてた」と相好を崩します。かなりもてたのでしょう。相撲時代もレスラー時代も女遊びはかなり凄かったみたいです。ここからエロトークになっていくのでした。
 
つづく 
 

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