ネタバレあり:新世紀エヴァンゲリオン感想

 25年間の決着をつけてきた。ので、ネタバレありの感想をぶちまけたいと思った。結構長く書いたので、(つっても45分くらいで書き上げたのだが)時間がない人は最後の追伸以降を読んでいただければ、短く感想がまとも合ってます。

 あと、前提として、まず、ネタバレなしの感想の方から読んでいただけるとありがたいかな。それとあまり考察はしないよ。思ったこと、感じたことを書くために自分なりに考えてことを考察として少し書くかもしれないけれども。

 まず初めに、感想として面白かったよということを強調しておきたい。高最初に書いておかないと何を書いても批判を書いているかのようにとられてしまうかもしれないからね。ちゃんと面白かったです。満足もしました。ただ、見る前からハードルも上がってるし、ここまで広げた風呂敷で、完璧にだれがどう見ても満足なものが、この物語の形でできるわけがないという思いもあったので、そりゃしょうがないでしょう。25年もこの物語とともにあったのだから。その集大成としての今回の映画が、満足のできるものだったというだけで、それはすごいことなのだから。大満足のものができたとすればそれは奇跡でしょう。もはや万人がみんな大満足なものになることがないものだと思ってます。その中で、今現在多くの人が面白かった、という感想を出しているのはすごいことです。前に書いた感想の話も含め、作品だけでなく、作品とともにあった時間を含めて楽しかった。それが保たれたのはすごいことなのであろう。

 たぶん、だから一時的に、これから見る人の評価は下がるのではないかなぁというのはあるけれども。まぁね、あちしだってどうあっても「Q」は今はまだ、許せない。いわゆる「旧劇」と言われた、あれはなかったこと扱い程度でスルー出来るけれども、「Q」は今回の完結につながっちゃった以上無視できない…と、思ってたからなおの事ゆるせない。だって、見に行ってから思ったけれども、あの2時間なくても話しつなげられるじゃん。もしくはもっとスタイリッシュにつなぎのお話作れたんじゃないの?いや、もちろん、あれ見てつらい思いしたから、シンジ君と同じように気持ち落とされたから、というのは重要なファクターだったのだけれども、そこらへんは前に書いた感想のほう見てくれればわかるのだけれども、絶望であったのだよ。あんなのいじめじゃん!ただひたすらいじめ見せられてただけじゃん!だいたい14歳の少年に、説明もなしにすべての責任おっかぶせて、爆弾首に巻き付けて、冷遇して、今回見たら「あたしがなんだあんたを殴ろうとしたのかわかる?」わかるわけねぇだろ!その答えが「あたしを殺そうとも助けようとも選ばなかったから」お前さんはあれから14年も生きてるからいいかもしれんが、14歳の少年にそんなもん背負わすなよ、いきなりで!選択できる分けねぇだろ!自分にできることが他人に当然できて、なんてのをメンタルの部分で考えるなよ、アスカ!おめぇだって、テレビシリーズでは心ぶっ壊れて廃墟で空見てひとりで風呂入ってたじゃねぇか!人のこといえねぇだろうが!そのうえで、しかも、それ今回の続き見たら、その部分なくても繋げられるじゃん!と思ったら、そりゃぁ、まぁ、評価低い人の気持ちも理解できるし、あちしだって満点はつけらんないよ。

 ストーリー的には冒頭のユーロでの奪還作戦とかも必要だったか?と言われれば、別の組み込み方で来たんではないかと思うけれども、そりゃ、映画見てアクションの面白いところだからね。ロボット物で、ロボットが活躍するシーンなんだからそれは必要だよ、とは思うけれども。あのシーンはまさにエヴァの戦闘シーンで胸躍ったしね。


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 んでは感想。見終わった後に優しい物語だと思った。これはすべてを肯定するエヴァンゲリオンの一つの形の完結だと思った。それはとても良いことだと思った。

 前回書いた取り急ぎの感想「あれまどマギじゃん」「ひぐらしじゃん」「シュタゲ」やん、つうのもまさしく感想。いわゆるカオル君のループ宣言で、それをやったらもはや何でもありじゃん!と思ってしまったのも事実です。そういう風に持った人もたくさんいるんじゃないかな。でも楽しかったと思えた。そしてそれでもいいし、何の問題もないんじゃない?と思えました。いいジャンそれでもって。それはなぜかと言ったら、よく、ここまで不満だった部分を解消しつつ、たくさんの要素をまとめて丁寧に終わらせてくれた、それでハッピーエンド?だったからじゃないかな。あれだけ、わけわからないものでつらかったのが、ちゃんとある程度の幸せをもって終わってくれたからじゃないかな。しかもすべてを肯定しつつ。

 今回のEDで、カオル君がループしながらシンジ君の幸せになる方法を探していた、というお話、これで一つの決着を見たと解釈をしている。それはすなわち、旧劇の「気持ち悪い」EDや、テレビ版の最終回の中で「綾波がパンを加えて遅刻遅刻」こんな幸せな世界も有りとした世界。それはすべての人が見てきたすべてのエヴァンゲリオンを肯定し、なかったことにしなかった、庵野監督が作ってきたすべてのエヴァンゲリオンを自ら否定せずに肯定した何物も、作品も見てきた人も、作り手も時間も肯定したすごい世界だった。

 すべてのものを肯定した最後のエヴァンゲリオン。アニメ版、最初の劇場版、ゲーム、マンガ、すべてのエヴァが許されたすごい瞬間だった。それには貞本エヴァ、セガサターンの鋼鉄のガールフレンド、碇シンジ育成計画も、この笑顔がある世界なんだなぁと。シンカリオンだってその一つでいいんだよ、って気もするしね。

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碇シンジ育成計画

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鋼鉄のガールフレンド(両方ともプレイしてないけれどもね)

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(あちしはこれだって劇場に見たんじゃ) 

 たとえば、可能性として言えば、壮大な親子喧嘩と言われたこの作品だけれども、今後も、もしループが続くならば、和解したゲンドウ君が今までの隙間を埋めるべくシンジ君が好きで好きでたまらない世界線だってありうるわけだよね。育成計画のゲンドウ君のように。

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 そういう世界線があるって思うだけでも、それはとても幸せなことで、それが生みてつくり手が肯定したありうる世界だと思うと「ループしちゃうんなら何でもありじゃん」って思うところがあっても、楽しく幸せであったと思うのよ。だって、それでも「たくさんの要素をまとめて丁寧に終わらせてくれた」というところを見せてくれたうえで作られてるのであれば、それは楽しいものを見てくることができた、と思えるのです。まさに作りてから物語を通じて「まごころを君に」というきもちで、見た視聴者にそれぞれ物語は託された感じで終わったんじゃないかな。その中での一つの形が今回のEDだったんじゃないかな?だから私はしっかりと面白かったと言えます。


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 物語の内容として、気になったというか、思ったところは、あちしは冬月先生。なんで冬月先生がゲンドウ君の計画に乗ったのか?物語として冬月先生がゲンドウ君の側について一緒に計画というか、このばかげた話に付き合う理由は語られていないと思うので、ここからはあちしの想像。冬月先生は今回の物語のEDまで思い描いていたのじゃないかな?ゲンドウ君を壊れた妄執から救い、碇ユイと出会わせ、シンジ君と出会わせ、親として二人の祝福をシンジ君に与え、新しい、新世紀の幕開けをつかみ取らせるところまで考えてたんじゃないかなぁ、と。これが間違ってたっていいと思ってます。ほかの人にはほかの人が抱いた結論もあると思います。それを否定したり、あーだこうだという気もありません。人が思い描いた好きなものを、自分の考えたものと違うからと言って否定してもしょうがないから。

 物語は今まで完璧に近い形でいろいろと作られてきました。でも、今回ラストが宇部新川と山口県だったり、冒頭でシンジ君が保護されてから集落にたどり着いて、そこが親書原だったり、天竜二俣だったりと神奈川県が舞台だったはずなのに静岡の天竜浜名湖鉄道のあたりで、シンジ君が家出した湖というのがネルフの基地の跡地という設定なのに、ということは第三新東京市なのだから箱根のはずなのに、そこまで歩いていけるという、矛盾が堂々と出てきます。

 謎な部分はゼーレやネルフは「セカンドインパクトは海の浄化」「サードインパクトは大地の浄化」「フォースインパクトは魂の浄化」という情報までつかんでて、お偉いさん型がなぜにこんな迷惑極まりない魂の浄化に抵抗せずにそんなことを画策するようなこと考えていやがったのか?常識的にそげんこと止めるやろ?というような謎のも残ります。

 でもそれは今回「こまえぇことはいいんだよ」的に楽しめる形になっていると思います。わかんないものはわからないでいい。間違っててもいい、それでも人は楽しめるしやっていけるよ、って駄目だったらやり直せばいいんだから。ってメッセージを今回のエヴァンゲリオンから感じました。なぞと矛盾が優しさを生んでいた気がするなぁ。そしてそのことが今まで25年間サブカルチャーをも巻き込んだエヴァンゲリオンという時間を過ごした付加価値を否定しないでくれた気がするのです。


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 さて、リアルタイム視聴世代の見たエヴァンゲリオンは終わった。エヴァに未来を見て、未来を想像した。新世紀を想像し考えてきた。そして今日劇場版を見て、それが過去になった。一つの満足のいく結果を得た。今度はリアルタイムでない世代の人々がこれを見てどう思うのか。過去から来た新世紀エヴァンゲリオンという化け物が、今一つの答えをもって今の世代の横に来た。この過去から来た作品を見て君らは何を思うのだろうか?これからまた、あの頃の我々のように考察し悩み考え続けるのだろうか?一つの答えとバトンが作りてから渡されたような気がする。

 今回の完結をもって、一つの終結を迎えたエヴァであるが、これでしばらくはおとなしく時間が過ごすと思う。でも先にふれたように、すべてが肯定された内容であれば、「機動戦士ガンダム」において宇宙世紀の一区切りとなった「逆襲のシャア」以降、おトミさん以外の公式として様々な作り手が「ポケットの中の戦争」「08小隊」「紫豚」「ユニコーン」などの派生及び補完が許されたように、エヴァでも「破」と「Q]の間の物語、いかにして、かじはサードインパクトを止めたのか?、それを受けてユーロ奪還に向かうまで、ネルフからビレがどうやって独立していったのかの物語なんか、燃えないわけがない。ユーロ支部の物語、ネルフやゼーレ創設の物語で何故、人類補完計画が、そして起こりうるサードインパクトのことを知りうることになったのか、若い頃のミサトやリツコ、加治の物語、公式スピンオフが庵野監督以外の人が、いくらでも作られてもよい土壌が出来上がった。誰かが望むならば、それが世に出ることもあるだろう。その新しい時間をリアルタイムではなく、今受け取った世代は、時を置き、一つの金字塔となったエヴァという古典に何を感じるのであろうか?それぞれに物語は託された、物語りの続き、ぱっぴーエンドのそのあと、描かれなかった、シンジ君が救ったその世界。きっとはまった人ならば、過去の我々と同様に楽しい時間を過ごしてくれるに違いない。そうあればいいと思う。

 もう一度。あちしのなかのエヴァはいい形でちゃんと完結してくれた。リアタイでなく今まさにエヴァを体験している若い世代は、このエヴァンゲリオンという作品にどのような未来を思い描くのか、それは楽しみである。



 まぁ、それでもやっぱり今はまだ、Qが許せないし楽しかったけれども、感想としては75点くらいかな。充分楽しい点数でしょ?それともQのおかげでハードル下がってこの点数なのかもしれない。どっちかはわか自分でもわからんね。きっと時間がたてば、劇場の物語の中でミサトさんがシンジ君とちゃんと向かい合えるようになったのと同じように、あちしも「Q」と向かい合えるんじゃないかな。いろいろな人と話をして、それでいろいろと思いも変わっていって、その時はきっと80点とかつけられると思うし、その時、その時間まで含めてエヴァンゲリオンなんじゃないかな。



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追伸、ここが一番大事。25年間、社会現象にもなり日本どころか世界のアニメ史にも多大な影響を与え完結した新世紀エヴァンゲリオンという作品。この作品の一番の偉業は何か。それは

これだけでどでかいタイトルで真希波・マリ・イラストリアスという眼鏡っ娘が、最終的にメインヒロインの座を勝ち取りシンジ君の隣に最後にいたことである!

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眼鏡っ娘が勝ってもいいのだということを世界中に宣言し、歴史に刻んだことである!眼鏡っ娘最高!






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