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「生まれてきたことに、意味なんてないと思う話」(新名宏太朗 跳躍平日ブロック長)

皆さんこんにちは。新名です。僕は残念ながら(同時にうれしいことに)、来年は慶應にいません。なのでこれが僕が塾生としてまじめなことをみなさんに伝える最後のチャンスかもしれません。笑

タイトルは、僕が生きるうえで結構重きを置いている考え方です。みんながこれに賛成しようが反対しようが知ったこっちゃありませんが、僕の中では生まれてきたことに意味なんてないと思っているし、読んだら納得してもらえると思います。ネガティブな感情はこもっていないので、ご安心ください。

さて、本題に入りましょう。

本題に入るにあたって、まずは「生まれてきたことに意味なんてない」とはどういうことか、説明します。これは言うなれば「『神様』によってプログラムされた『ゲーム』であるこの宇宙に、一人の人間が生まれることに特別な意味なんかあるわけがない」みたいな感じです。

今、読者は「新名って神とか信じるタイプなんだ、キモ。」派閥と「一緒に神である福沢諭吉先生を、崇め奉ろう!」派閥に二分されたと思います。残念ながらどちらの人も不正解です。僕の主張をわかりやすくするために、僕の大好きな物理学を使って簡単に説明しようと思います。

みなさんは、「ビッグバン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?ビッグバンは「宇宙の始まり」です。そう、宇宙には始まりがあるのです。これは非常に不思議なことで、その前は何も無い「無」だったところに突然爆発が起こり、宇宙が誕生したのだと、実験や理論を元に広く信じられています。

では、何が宇宙をつくるきっかけとなったのでしょうか?そんなものは無い!、とはならないと思います。なんか原因があるはずです。その原因を『神様』と一旦呼ぶことにしましょう。これは認めざるを得ない事実ですね?

しかもこの世の中には「物理法則」なるルールがあるのです(リンゴが木から落ちるとか、光は電磁気力を媒介してるとか)。これをプログラムした存在もいるに違いないと考えられます。もちろん、反論の余地はありますが、、笑

このような推察から、「宇宙は『神様』がプログラムした『ゲーム』に過ぎない」と考えられます。「なんか面白いルールでプログラム組んだから、走らせてみよ〜」みたいにしたプログラマー的な存在がいて、そいつが「えいっ」とか言いながらEnterを押して出来たのがこの宇宙、みたいなイメージです。もしかしたら、生物ができる予定とかはなかったかもしれませんし、元々予定にあったかもしれません。ただ、星々、銀河、はたまた人間は、所詮プログラム上の実体に過ぎないと僕は考えるわけです。こんな僕たちが生まれてきたことは、プログラムの産物で、特に意味はないと思うわけです。

では、なんのために生きるのでしょうか?生まれたことに、意味なんてないのに。。。

僕は、その答えを「とりあえず与えられた人生をめいっぱい楽しむため」だとしています。この答えは人によるかもしれない。ただ、1つ言えることは、意味も無く生まれた僕らはある意味めちゃくちゃ自由なのです。だから、人生は楽しんだ者勝ちだと思うわけです。僕は人生を誰よりも楽しみたいと思っています。物理をやる理由も『神様』とやらが宇宙をどう作ったか、知りたいという好奇心からです。。笑

じゃあなんで僕は競走部という規則の強い団体に所属し、自分を不自由にするのでしょうか?

余談ですが、こういう問いを出すと、競走部の部員やOBがたちまち(特に、強いor強かった人ほど笑)根拠もなく自分を哲学を押し付けてきます。納得してないのに、弱い僕らは頷くしかないんですね、弱いから笑。そしてその人達がそれを自信にしてまた布教するのループ。(そんなじゃない強いひとも、たくさんたくさんいます!!)正直しんどいことも多いですよね。分かります。まあ、僕も自分の哲学を押し付けてるわけなので、しんどい人は読むのやめてください笑

余談を挟みましたが、僕の答えは、「絶対に、みんなと分かち合う結果の方が嬉しいから」です。結局こっちの方が楽しいと思うからここにいるわけです。

でも、こんなことを言っているけれど、1,2年の僕は高校からの惰性で陸上を続け、「自分さえ良ければいい」みたいな精神が少なからずある人間で、そういう点では競走部にいる意味をあまり見い出せていませんでした。強いて言うなら飲みが楽しかった。

しかし、色々あって(これを書くと長くなる)、上級生になるにつれ、後輩や、同期に心から強くなって欲しい、報われて欲しいと思うようになりました。正直、4年生春の僕にとって自分が結果を出すことは目標の1つにすぎず、それと同じくらい、同期や跳躍ブロックのみんながベストを出してくれることを祈って、また、みんなが結果を出す度に心から喜べました。そうなった方が競走部にいて楽しいと思います。楽しさを追い求める人生で、競走部にいる意味が見つかりました。特に、三浦が関東インカレで表彰台に上がった夜に飲んだビールは死ぬほど美味かった、、

さて、そうなってくると、眉間に皺を寄せた大人に「お前の結果は?」と言われるかもしれません。確かに、自分の結果への虚勢(?)は日々失われていきました。でも、後輩にアドバイスをする度、同期を応援する度、サポートの人と話す度、逆に自分も応援されていることに気づいたのです。ああ、こんなに弱い俺も、こんなに応援してくれてる人に恵まれてるんだ、、、と。だから、何がなんでもPB出して、みんなと喜びを分かちあって、最高の酒を飲みたいと、心から自分の結果を追求するようになれたのです。虚勢だった記録への向き合い方が、なにか真っ直ぐなものへと変わっていったのです。

これが僕の競走部にいる意味であり、今僕が生きている意味の大切な1つです。

確かに、僕やあなたが生まれたことに意味はないかもしれません。多分ないです。がしかし、僕やあなたが生きることに意味を見出すのは勝手です。そして、意味を見出して人生を楽しむならば、僕やあなたがそれぞれ1人で生きるのではなく、僕とあなたが手を取り合って、喜びを分かち合う人生の方が楽しいと思うのです。勿論、合う人合わない人の取捨選択は多少必要ですが、競走部で生きていくなら、「この部の人に勝つ」ではなくて「この部の人と勝つ」と本気で思える方が、楽しいんじゃないかなと、老いぼれめは申しておるのです。うちの元ブロック長がよく言ってる言葉ですが、内向きの視点から、外向きの視点に変えてみるだけで、(結果として)記録も伸びると思います。全員が全員の成長を心の底から願い、喜びあえる。そんな競走部であり続けることを祈って止みません。

長々書きすぎましたね笑、ただ思ってることはだいたい言えました。ほんとにいい競走部生活やった。同期のみんな、まじでありがとう。一人一人に抱きつきながら、「大好き!!!」とカラオケの廊下で叫びたい気分です。そして後輩のみんな、君らは立派な、自慢の後輩です。大丈夫、自信を持って、いい跳躍ブロック、いい競走部を作ってください。では、新名でした!ほなまた。

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