棒高愛(山本涼乃・跳躍)
跳躍4年山本です。
この4年間、脇目も振らずに片想いを続けてきた「棒高跳び」について書こうと思います。「山本がどんな経緯で、何を思って棒高跳びをしてきたか、そこから何を得たか」について、「まあ読んでやるか」という優しい方は、ぜひご覧ください。
棒高跳びに出会う
そもそも、私は、高校では棒高跳びをやっていませんでした。
高校には、棒高跳びのピットがあり、指導できる先生がいました。しかし、ピットはあるものの、「私も棒高跳びをやりたいです」と言った私に、顧問の先生は渋い顔でした。当時、100m、200m、(時には400m)、4継、マイルと出ていたので、出場種目の兼ね合い的にも難しかったんです…それでも棒高跳びをやりたくてたまらなくて、練習中も試合の日も、暇さえあれば競技を見に行っていたのを覚えています。
転機は、高校部活引退後。「どうしてもやりたい」と先生に頼み込んで、ついに棒高跳びを教えていただくことになりました。しかしド初心者の枠を出ないまま、受験のために離脱。その時の「まだやりたい」という不完全燃焼感が、私に「大学で陸上競技をする」という選択肢を与えたように、今となっては思います。
棒高跳びの構造を学ぶ
大学に入ってから、ド初心者の私を、一から鍛え直してくれたのが、当時4年生の池阪さん、奥平さんでした。ポールって、他の競技よりも断然考えることが多いし、複数の要素が複雑に絡み合っていて、当時の私には本当に手に負えなかったんです。「自分は棒高跳びをものにできるのだろうか」と、私はいつも不安でした。でも、共に試行錯誤してくれ、背中を押してくださった先輩方のおかげで、根拠もなく「できる」と信じてここまで頑張ってこれました。共にロジカルに説明してくださる二人のおかげで、棒高跳びの構造をきっちり学べたのも大きいです。二人には、本当に感謝してもしきれません。
棒高跳びのエッセンスを学ぶ
そして、私の棒高跳びを大きく成長させてくれたのが、香川(高松クラブ)との出会いです。最初は、男子5mジャンパー、女子4mジャンパーに圧倒されるばかりでした。しかし同時に、同世代の彼らの存在は私にとってのモチベーションでした。
香川には、5回お邪魔しました。
そして香川合宿を通して、私は尊敬すべき先生に出会うことができました。
最後9月に合宿をさせていただいたときに、先生が私に「教え切れることはこれで全部教えた」とおっしゃったのですが、その時先生は「あとはお前自身が、それを確実にできるように練習するだけだ」という意味で言われたんだと思うのですが、私はそれが、本当に本当に嬉しかった。1年の時から先生に見ていただき、先生が選手の段階に合わせて教え方を調節していらっしゃるのを感じていたので、だからこそ、「教えられることは教えきった」という言葉は、棒高選手としての私の成長を、私に実感させてくれたのです。やっと、ここまできたんだ、と私はその時思いました。
右も左もわからなかった1年、思うような動きができなかった2、3年に比べて、随分棒高跳びと親しめたな、という感じがしました。
そして先日の、早慶戦。ここにきてようやく関カレ標準を切れたわけですが(時すでに遅しですが)、何より嬉しかったのは、「試合を全て自分で作れた」もいう達成感があったことです。これまでは、先輩や、高校の頃からポールをやってきた同期や、コーチから指示をいただいて試合に挑んでおりましたが、初めて、自分一人で使うポールを決め、変えるかどうかの判断をし、自分で考えて試合作りをできました。もちろん、コーチが見ていて指示を下さることの安心感は何にも変え難いことですが、「自分で判断できること」つまり「自分が足りないながらも棒高跳びの構造やケースについて判断できたこと」に対して、「自分はここまできたんだな」と、ちょっと感慨深かったです。
競走部生活を通して伝えたいこと
振り返ってみて、棒高跳びを通して得たことはたくさんあります。
その中で皆さんに共有したいことは2つあります。まずは「コンフォータブルゾーンから出よう」ということ。
この言葉は実は私の先輩が引退の時に言っていたことの受け売りなんですが笑、本当にその通りだと思っています。
慶應競走部に所属しているとはいえ、そこに留まっているのはもったいないです。私は、香川の恩師や群馬の先生など、いろいろな先生にお会いして多様な指導法に触れることで、棒高跳びの外観を把握できたと感じています。
また、指導者ごとに言葉を尽くして「目指すべき動き」を説明してくれるわけですが、1つの説明だけではわからない部分も、複数の意見を補い合って「ああ、そういうことか」と理解できたこともありました。
また、慶應を飛び出したことで、ポール大国ならではの「レベルの高い練習環境」に触れることができました。同時に、競走部でいかにマネージャーさんの手厚くサポートの恩恵を受けているかを実感しました。
慶應は素晴らしい練習環境だと思います。でも、外に出て学ぶこともたくさんあります。小さなことでいえば、「慣れたルーティンから抜け出して、他ブロックの人に聞いたメニューを試してみる」とかでもいいかもしれません。慣れた環境から飛び出して、コンフォータブルに感じている環境から飛び出してみること。これが皆さんに共有したい1つめの学びです。
それから2つめに、「どんどん言語化しよう」ということをお伝えしたいです。
言い換えるなら、自分の身体感覚をラベリングしてたくさんストックしておくに越したことはない、ということでもあります。
私は身体能力が高いわけでもなく、教わった動きをすぐに再現することも苦手です。そんな私が、先月香川の先生に、「お前は言ったことがすぐできるなぁ」と褒めていただいたのですが、これは私が身体能力が高いからでは、勿論ありません。この4年間、自分の中で「自分の身体感覚に関する言語」をコツコツと貯めてきた成果だと、私は考えています。
どういうことかというと、私は「言語優位」気味なので(世の中には、視覚優位、聴覚優位、運動優位など、人それぞれ得意な認識方法に偏りがあるそうです。私は言語と聴覚に偏り気味です。)
「言葉(アドバイスなど)→運動」への変換では足りなくて、
「言葉→自分の身体感覚に適した言葉→運動」に変換しないと、上手いことアドバイスを、自分の身体で理解・再現できないんです。
陸上あるあるだと思うんですが、指導者によって使う表現が違うから、言いたいことや目指したいものは同じなのに、混乱してしまう、ということが折々あると思います。
そこで混乱しなくなったのは、陸上ノートをつけて、自分の動きや感覚を言語化し、ラベリングして、誰かから何かアドバイスをもらった時に、「ああ、これは自分の、○○の動き(感覚)のことと言っていることが近いから、その○○を調整することから攻めていこう」と、自分のわかる範囲に引きつけて理解しようとしたからだと思っています。
「言語化」は、自分の身体感覚を知ることにもなるし、外部からのインプットの架け橋にもなります。言語化、ほんとに大事。これが、私の競走部生活での学びです。
長くなってしまいましたが、
大学を通して、高校時代ずっと憧れていた棒高跳びができて本当に幸せでした!
4年間の片思い実らせるべく、All KEIOで3m70跳んで終わろうと思います!!
それから、競走部で会えた仲間たち、
愛を語り尽くせないので、ここに何を書いても陳腐な気がします…
私が部活を頑張るモチベーションでした。
本当にいつもありがとうございます
最後に全体写真貼り付けたいところですが、顔が小さくなると思うので、
日頃お世話になってる跳躍ブロックの写真を載せます!!
拙い文章ですが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
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