見出し画像

引退ブログ 『継昇』小林寛昂

こんにちは。50期副将を務めておりました小林寛昂です。

まず初めに、日頃より応援してくださっている皆様にこの場を借りて感謝を申し上げます。特に、試合会場に足を運んで応援してくださるOBの方々、部員のご家族の皆様、いつも本当にありがとうございます。

前主将の菅沼からまともで指針となる文章を書けそうな人として引退ブログ一番手に指名された為、お堅めな内容ですが、是非読んでいただけると幸いです。

振り返ると、高校3年生の2月から参加したソフトボール部での約1300日は、多くの苦難がありながらも、非常に充実した時間でした。そこで、各学年の個人的ハイライトの瞬間を振り返りたいと思います。

(1年生)
インカレ予選の東大戦で勝ち越し犠牲フライを打ったことです。打った瞬間に5歳以上離れた萬代さんや古川さんから「よくやった」「入部してくれて本当にありがとう」と言われた際には、大学までまともに公式戦を経験しなかった自分が初めてチームに貢献できた気がしました。

(2年生)
年間を通して、練習試合も含めて勝率が2割ぐらいしかなかったんじゃないかというぐらい勝てなかった年。特に、春リーグまでは公式戦と練習試合含めて桜美林にしか勝てなかったけど、神がかり的に一部残留を決めました。公式戦になると全く打てなかった中、4番に立たせてもらっていたことは非常に申し訳なく、責任を強く感じました。秋リーグでは、中央と桜美林に終盤で逆転負け、入れ替え戦の日大にはコールド負けし、久しぶりに試合後に泣きました。

中々勝てませんでしたが、主将の和田さんが自分たち2年生を沢山起用してくれたことから、翌年の逆襲への下積みになった年だと思います。

(3年生)
その頃のチームは弱いチームの典型で、他責志向、口だけといったチームでした。

その状況に対して、菅沼をはじめとした幹部陣で決めたスローガンがタイトルにもある様に、「継昇」でサブタイトルは-俺がやる-です。これはチームとしての約束事は継続し、上昇志向で、他人に投げ出さず自分が責任を持って行い、1部昇格を目指すという意味合いがあります。そのスローガンのもとで2部リーグ全勝優勝、1部昇格、インカレ出場を目標とした執行代がスタートしました。

春の関西遠征で強豪との練習試合を行い、自信をつけた自分たちは春リーグ全勝優勝を飾り、昨秋に苦杯を舐めた桜美林に勝利し、当初掲げた目標の3つの中の2つを達成しました。
チーム状況は上向きで2年ぶりのインカレ出場にも期待がかかる矢先、、、

自分が顔面麻痺に罹患。山岸・蛭田の両エースとしてチームを支えた山岸が肋骨骨折。

1年生の頃から自分たちの代でインカレに行きたいと思って集まった同期11人には本当に申し訳なかったし、自分以上に失望したと思います。ごめんなさい。
また、自分が早朝の全体練習に参加できない中で、自主練のバッティングに付き合ってくれた後輩たち、本当にありがとう。

後輩や同期の支えがあり、無事インカレ予選には復帰することができました。そして迎えたインカレ予選、俺がやる!と奮起したであろう蛭田の粘投や後にも先にもないぐらい調子の良かった打線のおかげで優勝を決め、インカレ出場を掴み取りました。マウンドに集まり、みんなと喜びを分かち合った瞬間は野球•ソフトボール人生一のハイライトです。
また、良いチームというのは窮地になっても弱点を補完しあえていてよくできているなと強く感じました。

4 年生

自分の引退試合にもなったインカレ予選中央戦。3年秋を含めると一年間で3回タイブレークを経験し、一度も勝てなかったことがただ悔しいです。3年秋からは国士舘•早稲田•中央に中盤までリードする展開が何度もあったが中々勝てなかった。ソフトボール推薦や練習環境を言い訳にすればそれまでかもしれない。けど、後輩たちにはこの経験を糧に、我がグラウンド上丸子天神球場に劣らないぐらいの雑草軍団として、1部の上位チームに割って入って3位を是非獲得して欲しいです。

(余談)
大学でソフトボールをするというのは非常にユニークな選択肢だと思う。なぜならほとんど全員が野球を経験し、挫折や中断など紆余曲折あった後にソフトボールを選択しているからだ。一方で、野球への未練を捨て、野球で得た基礎をソフトボールに昇華させなければソフトボール界で活躍することは決してできない。だからこそ、野球界であまり活躍出来なかった自分にもチャンスがあったし、高校で野球をしてなかった部員が高校日本代表だった投手からヒットを放つことだってできる。トップレベルの硬式野球とは違い、お互いの経歴は全く関係なく、大学だけの伸び代で勝負できる。よって、そんなソフトボール部の存在を高3最後のテスト勉強の合間に発見し、早々に入部を決意した自分の選択は間違ってないと確信しています。

競技人口があまり多くないからこそ、トップを目指せる良さがソフトボールにはある。後輩たちにはソフトボールを選んだからこそ得られる景色を見てほしいと思うし、是非、荒木さんたちの代から続く強い慶應を「継昇」することを願います。

末筆となりますが、

毎朝の早起きだけでなく、経理や動画編集、グラウンド管理などチームを支えてくれたマネージャーの方々今まで本当にありがとう。陰ながら、チームの為に頑張れる人を本当に尊敬します。

最高の先輩、板橋を中心にまとまる同期、素直な後輩、インカレ•1部残留をかけて戦った日大などソフトボールを通じて出会えたみんな本当にありがとう。ソフトボールは生涯スポーツだと思うので、またどこかでソフトボールしましょう。

『継昇』俺がやる

50期副将[小林寛昂]


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?