「ハンドボール人生を振り返って」 #11北川理乃

 こんにちは。初めまして。
2023年度慶應義塾體育會ハンドボール部女子主将を務めさせて頂いた、北川理乃 です。

 やはりブログを書くのは難しいもので、その瞬間の気分によって、このことについて書くか、あの事について書くか、凄く迷ってしまうものです。
特に、私が気にしている大きな理由が、弊部部員の2年武井が他部の体育会生が書くブログを読むのが好きで「このブログ感動しました」とよくお薦めしてくれるのですが、そうなってくると武井を感動させなければならないというプレッシャーを徐々に感じる様になり、本当に書き終わるのに凄く時間がかかりました。

という余談です。


 
 私のハンドボール人生を振り返ると、
「ここまで続けられた事が信じられない。」というのが正直なところです。

 私がハンドボールを始めたのは大学入学してからです。コロナ禍で入学式も開催されない中、オンライン新歓というzoom上での新歓に参加し、ボールを触ることも、何なら競技自体もあまりわかっていない状態で、先輩方の雰囲気で入部を決めました。

 そして同期がいるかもわからず参加した初練習、それもzoomでのオンライントレーニングでした。幸い同じ新歓に参加していた同期が1人いて、新入生2人で始まりました。

 まず、第一に感謝を伝えたいのがこの子を含めた、同期3人です。色々な事情があって、今回の早慶戦は4年生私1人ですが、この3人あっての今ですから、3人と一緒に早慶戦を迎える気持ちでいます。 

 ある子は、毎回練習開始1時間半前に日吉駅で待ち合わせして、部室から体育館に2,3往復して部荷物を運んでくれました。重い部荷物は言葉に出さなくても自然と練習ごとに交代交代で運ぶという暗黙のルールがあって、そういった細かい優しさを所々に感じさせてくれました。今なら言えるけど、私が1人にならないようギリギリまで頑張ってくれてありがとう。
 ある子は、あり得ないくらい明るく前向きな思考の持ち主で、粗相をしては落ち込んでの繰り返しで負の連鎖が続いていた私達に、「馬鹿らしくない?」と雰囲気を一気に変えてくれました。また、彼女はハンドボール経験者だったので細かいテクニックなどを教えてくれて、よりハンドボールの深さ、面白さを教えてくれました。3人で寒い夜に運んだ総重量5kg超えのピザは忘れられないね。私達に笑顔をくれてありがとう。
 そして最後の子は、誰よりも謙虚で誰よりも優しくて誰よりもかっこいい、私が人生で一番尊敬する子です。彼女は、自信が全くない私が主将としていれるよう、常に私にも周りにも気遣ってくれて、私を尊重してくれました。今この瞬間も主将として早慶戦を迎えられるのは彼女がいたからです。最後の最後まで、後輩に「りののことをお願いね」って伝えてくれてありがとう。


 私はこの4年間で2度怪我で手術をしました。「怪我をしたから成長できた」、到底そんな事は言えないのが正直なところです。
 1回目の時、ただでさえ人数が少ない中で離脱してしまい入院させていただいたことも申し訳ない、そんな気持ちでリハビリ生活を始めました。だからこそ、退院した翌日から体育館に通いましたし、なるべくチームの足を引っ張らないようにと練習動画や試合動画を撮ることで罪滅ぼししてるみたいな気分でした。
 しかしながら、恥ずかしい話ではありますが、ただでさえ松葉杖2本で電車だの階段だの移動で疲労困憊の中、「立ってるのも辛いのになんで60分も立ち続けて動画を撮らないといけないんだろう」と思ってしまう瞬間もありました。
 2回目は、4年時の春リーグでの怪我だったので、主将として怪我で長期離脱するのも良くないとか、周りからは保存治療した方が良いという意見が多かったので、何となく手術に踏み出すことができずに保存治療を始めました。ただこのリハビリ期間は想像以上に辛かったです。やはりコートに戻れる様になるには徐々に負荷を上げていく必要があり、術後のリハビリとかはそうやって出来ることが増えていくことで前向きにもなれたりすると思うのですが、私の場合やればやるだけ痛みが強くなったり、足が上がらなくなって、以前は問題なくできていたことができなくなっていくばかりでした。応援してくれている優しさで伝えていただいた「順調だね」という言葉も凄く辛かったです。
 そして、8月末塾高が甲子園優勝を果たした日、医師の許可を経て私は久しぶりにゴールに入りました。その時、4年間で一番の高揚感を感じていました。チームのプレーを同じコート内で喜んでる瞬間が凄く嬉しかったし、ハンドボールってこんなに楽しんだ、そう思えた瞬間でした。しかしながら、向かってきたボールに対しリハビリではやっていないような動きをし、その瞬間私の選手生活は終わりました。昆野監督からの「何やってんの」というお言葉、本当にその通りだなと思いました。本当に情けないし、アホらしかったです。その後は、春リーグ時点で手術しなかったことへの後悔と同時に、凄く辛かった保存治療期間をやっと終えられると少し安心している自分がいたのも怖かったです。
 怪我なんて自業自得でしかないのに、それに対して周りを妬んだり、意味のわからない考えを持つ自分が一番嫌いで、もう2度とこんな事は経験したくないです。

 ただ、そんな中でも良いこともあって、そうやってリハビリを頑張ってる姿を見てキャンパス清掃の方が「無理すんな、頑張れよ」と声を掛けてくださったり、塾高ハンドボール部の監督である小林先生がいつもお声がけくださって、必ず私を笑顔にさせてくださり「その顔が一番可愛いよ」って臭い言葉残して去っていくんです笑
そうやって怪我以前は挨拶程度しかできていなかった方々と親密になれた事は凄く嬉しかったですし、自分の弱さを見せられたことで本当に救われました。ありがとうございました。



 そして、もう1人代表して感謝を伝えたいのは副将の3年 大瀧優陽 です。
4年生のわがままで懇願して、3年生ながらに副将になってくれた大瀧は、凄くしっかりしていて、誰よりも4年生を尊重してくれる子です。この1年間、自分のことでもいっぱいいっぱいだっただろうに、重い責任を一緒に背負わせてしまってごめんね。それだけじゃなく、副将であっても3年生という立場から我慢させることが多かったと思うけど、それでも4年生の意見に従います、私たちで決めたことだから自信を持ってくださいと、見捨てずに常に横にいてくれてありがとう。ゆうひが副将で良かった。ゆうひじゃなきゃ無理だった。
そして、11月に入ってみんなが引退寂しいですねって伝えてくれる中、唯一「あと3週間もあって長いですね」っていう言葉、一見冷たいように聞こえるかもしれませんが、最後の最後まで『私たちの代』っていう幹部としての気持ちが伝わって心強かったです。


  ここではなかなか直接伝えられない人達に代表して感謝を伝えましたが、同じチームとして関わってくださったスタッフの皆様、先輩方、後輩のみんなには本当に何度も救われました。
自信がなく、「得意なプレーはありません」と答えたスタッフさん面談でりのはこういう強みがあるんだよと、いつも自分が進むべき道を示してくれたスタッフの皆様。技術だけでなく、プレーを行う上での心構えなど、本当に沢山のことを教わりました。
そんなに1人で抱えることないよ、遠慮なく頼ってね、と私の気持ちを察して常に気遣ってくださった先輩方。後輩には見せられない様なみっともない、本音の自分を曝け出すことができ、プレーでも人としても到底及べないと思うほど私には輝いている方々です。
素敵な言葉を恥ずかしげもなくまっすぐ伝えてくれる後輩たち。私がしっかりしていなかった分、特に2年生はまだ後輩として上級生を頼りたいはずなのに、2年生も3年生も無理してでも能動的になって、チームのためにと勇気を持って発言してくれたり、チームのことを一番に考えてくれてありがとう。

他にも、私とかぶっていないのに毎週末練習にお越しくださるOG・OBの方々、チームの一員かのように私達を気遣ってくださった外部コーチの皆様、関係ない風にしながらも地味に女子部を気にかけてくれて応援してくれる男子部のみんな、「ハンドボール部って素敵だよね」といつも応援してくださる皆様、
そしてここからは恥ずかしいですが、
練習終わりの遅い時間にも家おいでと声をかけてくれたり、辞めたいと相談した時に唯一絶対ダメと止めてくれた、最愛の親友、
常にどんな時も味方でいてくれて、怪我した時も送り迎えしてくれた両親にも感謝しています。


こんな感じで、私のハンドボール人生4年間には必ず横に愛をくださる方々がいました。本当に何の取り柄もない自分が、それでもこんな素敵な部の主将を務めさせて頂けて良かったと今思えるのは、このように支え続けてくださった方々のおかげです。本当に心から感謝していますし、その感謝を伝えられる早慶戦にしたいと思っております。


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