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【感謝】バトルグラウンドと20歳【自己満記事】

 こんにちは、初めましての方は初めまして。けいむー(@Kemuknight)と申します。

 私事ではありますが、本日(2021/02/27)は筆者けいむーの21歳の誕生日です。最近バトルグラウンドのレートの方が10000を超し、丁度21歳になったというキリの良いタイミングである為、今回の記事はバトルグラウンドと過ごした1年について振り返ってみよう、という完全自己満な記事になっています。

 言わば自慰行為のような記事ではありますので苦手な方はブラウザバックお願いします。

1.バトルグラウンド(以下:バトグラ)との出会い

 バトルグラウンドと出会ったのは昨年の3月、環境でいえばドラゴンが追加され丁度ティリオンが登録抹消となった後だと覚えています。

 きっかけは前回の「ヤシャラージュ記事」にも出てきた元デュエマわいわい集団「朱単勢」の白虎(@byaxtuko)とみっきー(@c8h10n4o2mickey)が当時画面共有でバトルグラウンドを行っており、そのプレイ画面を見て「なんでミニオンが勝手に動いてるんだ...?」「(金秘紋,バトマスを見て)てかスタッツおかしすぎるだろ...」と感じたところからプレイしたいとなって始めました。

(朱単勢のちょっとした紹介も載ってるヤシャラージュの記事はこちら)

 初めの方は上に書いてある2人にプレイとかを教わりながらそこそこやっており程よく勝てれば程よく負けるといった本当のカジュアルプレイヤーであり、1ヶ月程かけてプレイの基礎を学んでいきました。

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(ちなみにバトルグラウンド最古のスクショ&初一位画像
1枚目なんで凍結してあるのか今考えると不明)

2.のらりくらりとプレイして

 2020年、初夏に差し掛かる頃、筆者けいむーは完全にバトグラ中毒となっていました。それもそのはず、大学もオンラインで引きこもり、そして課題がない時や空きコマの時はとにかくバトグラ...と暇な時間をほぼすべてバトグラに割いていました。

 (変なプレイングばっかしすぎてシャダウォックpros
 と言っていたのもこの時期)

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 しかし暇な時間を殆どバトグラに割いているのにも関わらずレートが伸び悩んでいる時期でもありました。今考えるとバトグラの強大なコミュニティに属していなかった、もしくはそれがない状況であった、また単純に惰性で適当にバトグラをしていたのが原因だったのかと思っています。

 現在ではダリル杯,Flame杯等の定期的な開催(いつも本当に有難う御座います。)やFNBG(こちらも最近お世話になっております)でプレイングが上手く,レートの高い人のプレイを身近で感じることが出来ます。しかし、夏頃にはそれらもなくYouTubeのバトグラ動画を適当に見るくらいで殆どは自分でプレイする、というものに寄っていました。その結果変なプレイングが抜けず、いつまで経ってもレートが伸びず停滞の日々を送っていました。

 やはりこう考えるとコミュニティというのは非常に重要であり、議論の尽きないゲーム性を兼ね備えている以上、他のゲームよりもコミュニティの重要性が高いんだなあとなります。

 こうやってレートをほぼ水平線で進めていた筆者に一気にコミュニティを広げた出来事が起こります。

3.ダリル杯準優勝,一気にバトグラ勢と知り合いに

 第四回ダリル杯でなんと筆者けいむーが準優勝するんです。ダリル杯と言えば強者集いの大会で、凡人が勝ち進めるほど甘くないトーナメントなのですが、勝ちました。勝因ととして当時の環境は☆5に「優しいランプの精」が存在しており、しかも断末魔からは自分のグレードに依存せずなんでも出る、という激ヤバな仕様でした。その為、緻密なプレイングが求められる環境、というよりかはいち早く「ランプの精」にたどり着きエレメンタルを完成させて周りをぶん殴っていくといった特殊な環境であり筆者の甘いプレイングでも準優勝まで登り詰めれたのだな、と考えています。

(歓喜のツイート)

(銀イオン選手にボコられるけいむー選手)

 この大会で準優勝したことにより、一気にバトグラやっている人たちとの繋がりが出来ました。この大会があったから今もこうやって楽しくバトグラを出来ていると未だに感じています。本当にここで繋がってくださった皆さん、大会主催をしてくださるぐっちょんさんに感謝です。

4.NA2択生活、そしてレート10000へ

 時は流れ1月頃。けいむーはレート8000でかなり停滞していました。勝ってもその次2連で負ける、また当時のアジア鯖はかなり重たく1/3くらいは回線落ちでゲームすらも出来ませんでした。

 すっかりアジア鯖でのやる気がなくなったのですが、"バトグラ"へのモチベは失われていなかった為、2月頭からNAで2択生活を始めました。この2択生活が10000到達への最後の肝になったと感じており低レートの時はプレイ時間が長い分自分に分があり最終戦まで有利に進めることが出来る為最終戦付近でのゲームの詰め方の再確認や実践、また2択のため弱ヒーローをピックせざるを得ないときがありそういう場合での耐え凌ぐ方法の勉強等、色んなことを再勉強や実践できました。
 この方法(数日鯖変え)はレートが伸び悩んでいる方に本当にオススメ出来る方法であるので悩んでいる方は是非試してみてください。

 そうしてNAで2択生活をしていたらNAの方でとうとうアジアのレート、8000に到達し、2択生活にそこそこ勝てていることを自身に、ここで自分は「今なら勝てる、アジアで10000を目指そう」となりアジアに戻ってきました。

(このマイエヴツイートくらいからアジア戻ってきたんだよ)

 アジアに戻り、丁度戻ったタイミングで呪文削除、エリーズナーフ等の調整が入りました。これによりどうしようもない上ブレと遭遇する率が低くなり、非常に勝ちやすい環境に。勝ちやすい環境だと認識した瞬間に「誕生日が来るまでに絶対レート10000乗せる、乗せれなかったら数年は後悔する」と目標を決めひたすらプレイ。

 そして2021/02/24、ついにレート10000到達。

(どうやら10日で2000近くレート上げたみたい,
伸び悩んでいたのが噓のよう)

 本当に嬉しかった。やってきて良かったんだ、と。一年間向き合ってきて良かった、と改めて感じた。

 レート10000到達した週は夜は12時までに寝て朝は8時までに起きてバトグラに打ち込む、と生活まで変えた。それが功を奏したかはわからないが、物事に対しての取り組み方や考え方、他にもいろいろな要因があるけどもちゃんとやれば結果は出るもんなんだな、と20歳の最後に感じることが出来た。

(注:このあと慢心した結果レートが溶けまくって現在9500くらいなのは秘密)

5.最後に

 書いていたら熱くなっちゃってぐちゃぐちゃな文になってしまいました。読みにくかったですよね。大変申し訳ございません。

 20歳はバトグラを通して色んな人との繋がりが出来ました。皆さん仲良くしてくださって本当に有難う御座います。まだまだ自分は未熟者ですがお互い切磋琢磨しあえる人が居るのは本当に幸せなんだなと改めて感じます。

 21歳になっても変わらずにバトグラをしていくと思います。これからも皆さんにお世話になると思います。何卒宜しくお願いします。

 最後に。バトグラで出会えた方、特にダリル杯運営ぐっちょんさん、Flame杯運営kuroebiさん。毎週お疲れ様です、大会に出ることが日常の一つの楽しみになっています。
 大会常連参加者の方、本当に面白い人たちが多くて楽しく、プレイがめちゃくちゃ上手いのでアーカイブとか見返してます。そんなに結果残していないモブプレイヤーの筆者に関わってくれて本当に嬉しいです。ありがとうございます。
 その他で知り合った方々、どんな経緯で知り合ったかは人それぞれですけれども何卒宜しくお願いします。
 そして、バトグラを教えてくれた朱単勢。このゲームめちゃくちゃ面白いです。

 去年1年間に知り合い、また関わってくださったすべての皆さんに感謝を。
 2020/02/27 けいむー

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