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「逆行同化」による小字表記の変化例(泔屋窪)

この記事は、京都府京丹後市峰山町菅小字泔屋窪を例に、地名に見られる「逆行同化」(後に出現する構成要素の影響で前の文字が変化すること。音声学の用語の転用)の現象を見てみるものです。


はじめに

 地名をどのように漢字で書くかは、自明のことではなく、場所によっても時代によっても変化しうる。そうしたなかで変化の要因が透けてみえるものがある。今回取り上げるのはその一つ、「逆行同化」だ。
 逆行同化は音声学で使われる用語だが、文字表記の方面では、「後に出現する漢字の構成要素の影響によって、前に出現する漢字の構成要素が変化すること」ととらえておく。
 地名で逆行同化と考える例は、笹原宏之氏の連載でも取り上げられている。

この記事では、「咾喰(おばくら)」という地名を取り上げ、「これは、「姥喰」だったものが、部首にいわゆる逆行同化が生じたものとの可能性が考えられ、現にこの地を「姥喰」(うばくら)とする資料もある。」とする。「喰」の口偏が、前の「姥」に影響して「咾」に変化したというものだ。
 通常、こうした変化はその現場を目撃することは難しいが、その現場らしきものを見つけることができた。それが京都府京丹後市峰山町菅小字泔屋窪だ。

「紺」屋窪だった

京丹後市峰山町菅は、峰山町の中心部の少し南にある。近世は峯山藩の城下町があり、その南のはずれということになる。そのため、城下町を描いた絵図類にはぎりぎり含まれない。
 さて、具体的な場所はわからないが、どうやら峰山には「屋」がいたらしい。引用は、安政4年(1857)の序がある「北丹勝景集」についての解説で、挿絵絵師について述べている箇所である。

「春章は峯山の繪師で谷口氏勢多屋宗九郞と云つて紺屋であつたから幟繪師とでも稱すべきものだが、(以下略)」

『丹後史料叢書 第3輯』1927年 p.187  

峰山に「屋」がいたなら、「屋窪」の地名表記の方が自然に思える。
「紺屋窪」という地名には次のような類例もある。
 大分県臼杵市大字望月字紺屋窪

そして、法務局に和紙公図を請求したところ、地名表記のところは見切れていたのだが、縦書きの左端だけが残っており、確実に「糸偏」に見える。つまり明治初期までは「屋窪」が元来の表記であったと考えるのが妥当である。

「紺屋窪」から「泔屋窪」へ

「紺屋窪」の「紺」の糸偏が、「窪」のさんずいの影響(逆行同化)で「泔」となり、「泔屋窪」になったと思われる。その過渡期は、旧土地台帳で見ることができる。

旧土地台帳の「紺」~「泔」

請求した旧土地台帳のうち、沿革欄に記される日付の多くは昭和2年のもので、筆跡は共通している。そのうちの多数が(c)「屋窪」になっており、地番の若いはじめの数筆が(b)のように重ね書きされた状態であった。この重ね書きは細い糸偏の上にさんずいが太く書かれているように見える。
また、請求した旧土地台帳のうち、明らかに(a)「屋窪」に作るのは、沿革欄に昭和16年の日付のあるものであり、他とも筆跡が異なっていた。

「紺屋窪」が本来的であるというのは上に見た通りである。では、このゆれをどう考えたらいいだろうか。筆者の考えるストーリーを書いてみる。

昭和2年時点の旧土地台帳の記載者は、和紙公図にあるようにはじめは「屋窪」と書いていたが、途中から「逆行同化」を生じて、残りの大半の筆を「屋窪」と書いてしまった。それを見た別の人が、多数派である「屋窪」が正しいと勘違いして、(b)のように重ね書きして訂正した(筆画の太さがやや違うようにみえる)。(a)のように分筆の際に「屋窪」表記をとる例も存在していたことから、重ね書きしたのは(a)の分筆よりもあと、つまり昭和16年以降のことなのではないか。

結局のところ、現在は公式には「屋窪」になっている。
京丹後市の資料を見ると、市道の名称にもなっており、それを示す資料には「屋窪」が何度も現れる。
https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/2/2020gian88.pdf (PDF直リンク)
この現地には、2年前(2022年5月)に訪れ、地名表記を探したが、見つからなかった。

「市道路線の認定について」令和2年6月12日

しかし、法務局に和紙公図を請求し、交付を受けた図面の写しに書いてある所在には「紺屋窪」と書いてあった。これは和紙公図に書いてある表記を用いたのだろうか…?

まとめ

  • 屋窪」の「紺」の糸偏が、「窪」のさんずいの影響(逆行同化)で「泔」となり、「屋窪」になったと思われる。

  • 旧土地台帳で「屋窪」、「屋窪」、両者の重ね書きの三種を見ることができ、地名表記が変化する過渡期を、旧土地台帳が記録している興味深い例といえるのではないか。


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