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なぜ撮るのか、何を撮るのか

暑いですね、夏ですね、洗濯物がよく乾く。ぐるんぐるんという洗濯機の音に癒される、祝日山の日。部屋で水出しアイスコーヒーを飲みながらまったりとしています。

フリーカメラマンのけいらです。

最近たくさんの方に出会っているので、その方たちに自己紹介の意味も含めて、そして、自分が写真の道を歩いていく上で途中経過を未来の自分に残すための意味も含めて、ここに記します。

・撮る前の私、撮りだしたきっかけ
・なぜ撮るのか
・何を撮るのか

写真を始めたきっかけは、好きな俳優さんが映画の中で写真家の役をやっていたからでした。特に深い理由もなく。ただ、楽しそうだな、というところから。20歳前後ですね。その頃、父にフィルムの一眼レフを借りながら撮ってました。その頃はなんで撮りたいか、何を撮りたいか、なんて特に考えてもいなかった。ただ、シャッター音が好きで、記憶を形にできるのが好きでした。

それ以前の10代から私は精神的に病んでいて、高校生の時から精神科にお世話になっていて、フィルム写真を始めて間もなく病状が悪化し、入退院を繰り返しました。
写真はなんとなく続けていたけれど、父のカメラは壊してしまって、なんとなくつづける気力もなくなってやめてしまった。
楽しそうな大人が周りにはいなくて、絶望していました。私はなぜ大人にならないといけないのか。
5〜6年経って、精神科に通いながら、仕事はできない、けど時間はある、という時にコンデジで再び友達を撮り始めました。花も撮ってました。でも花を撮る時は蜷川実花さんの真似みたいになってしまって、その時は楽しかったけど、私の主観はあまり入っていなかったかな。

コンデジで撮ってる時、人を撮るのが好きで、表情がくるくる変わったり、なかなか普段見せない表情を捉えたり、いろんな人を撮ったり、飽きるどころか、もっともっと撮りたいとなっていった。

病状が安定し始めて、写真を仕事にしよう、と思った夏の日、子供写真館のアルバイトに応募しました。その時は一眼レフCanon8000Dを持っていて、偶然にもそのタイミングで友人がライブハウスでライブをするというので、撮りに行きました。

最初は知り合いしか撮らなかったけど、ライブ撮影に通い詰めるようになって、だんだん他の方にも声かけて撮らせてもらうようになりました。そのうちに、病状がひどい時に誰とも話せなかった孤独感や人見知り感、世界との隔離が、どんどん開けていきました。
写真が、ライブハウスが、ライブ写真が、私の世界を広くしてくれた。それは人生の中でとてつもない転機でした。私の今の性格は、ライブハウスの人たちとの出会いによって形成されたといっても過言ではない。
そしてライブハウスには、楽しそうな大人がたくさんいたことも救いだった。大人だってこんなに楽しんでいいのだ。大人になったってこんなに輝けるのだ。

そのライブ写真を撮る中で、撮られた人にこんなことを言われた。

「こんな顔してる?!かっこいい!」
「いつもの自分じゃないみたい!」
「すてきだね!ありがとう!」


喜んでもらえるのがすごく嬉しかった。
あとから考えると写真館でもそうだけど、
写真を見た人がハッピーになってくれるのがとても嬉しかった。自分の人見知りを打破してでも、人にハッピーを届けたくなった。ハッピーなその人を見ると、私もハッピーになる。ハッピーの連鎖。思えばこれが、私の写真にはまった源泉だと思う。

だから私は、人物の写真をメインで撮る。人をハッピーにするために。あなたはこんなにすてきな人だよ、と伝えるために。
私が写真で撮影で自分を肯定してもらったように、写真で人の力になっていきたい。

見た人をハッピーにする写真を撮りたいので、気持ち悪い写真や、悲しい写真は撮らない。絶景も撮らない。叙情的な、気持ちを投影するような空の写真やスナップは撮るけど、
今の私は、
私を生かしてくれた写真や写ってくれた人や私の写真を見てくれた人への感謝とハッピーの気持ちを原動力に写真を撮っていきたいと思っています。
悲しい写真は撮らないといったけど、そこに好き、の気持ちが詰まっていたら、撮るかもしれないな。
好き、感謝、ハッピー、恩送り。
私の写真をやる上でのキーワード。

記憶を形にする、という部分も実はすごく写真の好きなところ。精神科にかかるようになって、過去の辛い記憶やらを、消去する癖がついたみたいで、記憶力があんまり良くない。電子レンジで温めたおかずのことを忘れちゃうくらい、記憶力が悪い。
でも写真を見るとその時の記憶がワッと溢れるあの感覚がすごく好き。忘れっぽい私は、写真に記憶を閉じ込める。そして、どこでもドアみたいに写真を見て記憶を呼び起こす。

長くなってしまいました。思いが溢れて。

オンラインサロンやSNSや撮影会やバイト先やライブハウス、バーなどで出会った、私を写真家として知ってくださるみなさま。
ありがとう。
私はこれからも写真家として生きていきます。
そしてこの記事を書くきっかけをくださった、写真家のコハラタケルさん、ありがとうございます。

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