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「心で見たものを描けばいいんだよ」:霜野信子先生
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彼の創作の場には、もう一人の大切な支援者がいた。霜野信子先生だ。出会いは放課後デイサービスの造形教室。その人その人の内側から生まれる色や表現を大事にする視線で、いつも優しい声をかけてくれた。
自宅での創作の時、霜野先生は色見本をその場で作り出す。
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袈裟江先生と彼のやりとりで希望の色合いを引き出し、それを霜野先生が繊細に感じとり、実際に色にして見せてくれるという作業を繰り返すことで、より描きたい色に近づいていけた。
▲より描きたい色に近づいていく創作の様子
▲三原色以外にも色の広がりを教わった日
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霜野先生とは、こんなエピソードが残っている。
僕にとって、絵を描く事はとても勇気が要ることでした。だって僕にはよく見えない世界を描いているような気がしたからです。でも「心で見たものを描けばいいんだよ」と支援者の1人が教えてくれました。それからは、僕が心で想い描いたものを描くようにしています。
(2017.1.21 談)
「目にうつるものだけがほんとではないよ」という信念を彼が作品に込め続けられていけたのは、先生のこの後押しがあったからに違いない。
霜野先生の寄り添いはこれだけではない。
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例えば、絵筆ひとつを取っても、上の写真のように彼が楽な姿勢のまま描くために角度をつけたり、画板から画用紙が浮かない工夫など、彼女の経験値から飛び出す様々なアイディアを授けてくれた。
これらのシーンから、霜野先生とともに過ごした2年間は、彼が自宅で絵を描き続けるためのオリジナルな基盤を作った時間だったと言える。不可能を可能にする工夫が詰まっていた。
▼そんな霜野先生が浩太朗に送ったラブレター
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