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この世に生を託したぼく

この世にセイオタクシタ ボクノオモイオ 一口ニイウト
シアワセモノデス
ホシノカズホドノ シアワセでアルコトオ
ミナサンニヒロウしたい
カテイカンキョウハ モトヨリ
ボクオトリマク オオクノ人タチガ
スベテノコトニカンシンオモチ
キョウリョクテキニ セッしテくレテ
ボクじしん カンシャノキモチでいッパイデス

2017.5.30 筆談
ーーーーー

この世に生を託したぼくの思いを一口に言うと
しあわせ者です
星の数ほどのしあわせであることを
皆さんに披露したい
家庭環境はもとより
ぼくを取り巻く多くの人達が
すべてのことに関心を持ち
協力的に接してくれて
ぼく自身 感謝の気持ちでいっぱいです

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これを書いた当時は、
《この世に生を「託した」》は
「託された」と言いたかったのかな?と思った。

だけど今回もう一度じっくり向き合ったら
《この世に生を託した》って
すごい言葉だと気がついて、、

「託された」
誰かによって生まれさせられた
…I was born
ではなく

「託した」を使うことで
ぼくはぼくの意思で生まれてきたんだよ
と表現していたんだ、、と思った。

浩太朗は自分の意思で生まれて
自分の意思で色々なものに挑戦し
そして自分の意思で
この世を卒業しますと旅立って行ったのかな、、と。


それにしても「託す」という言葉は
どういう意味なのでしょう?

辞書には
自分がなすべきことを他の人に頼む。まかせる。
類語:預ける(あずける)


先ほど
自分の意思で生まれ、挑戦し、この世を旅立ったのでは
と書いたが

《この世に生を託した》は
自分の意思がありながらも他に任せる
この世に任せた、ということ、、?

任せる、あずけるという意味が
今、特に響いてきた。

この世の 何に任せたんだろう、、

自然、大いなる力、周りの力、、

とにかく
何か計り知れないものに辿り着きそうで
ドキドキする。


向き合うたびに
色々なことを思わせてくれる

また少し浩太朗の想いに近づいて
発見できたことが嬉しい、、

この言葉を観て涙が出るのは
私の中の本質的な部分を
呼び覚ましてくれたから。


浩太朗の仲間のみんなからも
感謝の言葉を頻繁に聞く。

いつも、お母さんお父さんに
周りの皆さんに感謝しています、と。

こうして浩太朗や仲間のみんなは
言葉で伝えられない仲間の分まで
私達に伝えてくれているのかな、と思う。

こちらこそ
色々なことに気づかせてくれてありがとう。

小林圭子

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