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「やまゆり園の事件ではっきりとしたこと」正しく理解してもらえるチャンスに!

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先日7月20日(火)山梨日日新聞コラム【風林火山】に、小林浩太朗の「やまゆり園での事件」についての意見が紹介されました。
https://www.sannichi.co.jp/article/2021/07/20/00515704
(山梨日日新聞電子版・有料記事)


同情ではなく「理解をしてほしい」という意見。

これを読んだ読者さんはどう思うでしょうか。こういう立場の人たちの思いを理解できるという方もきっとたくさんいらっしゃる気がします。当事者からの視点をこのように赤裸々に開示してくださったことが本当にありがたく、「知る」機会になってくれたらと思います。

小林浩太朗はやまゆり園でのことについては何度か指談で語る機会をいただいており、記者さんにもこれらの意見を紹介いたしました。

ひとつめは、2016年11月19日に行われた第2回介助付コミュニケーション研究会シンポジウムでの発言です。

小林浩太朗といいますが、初めて書いているのでびっくりですが、あまりにも皆さんが力強い発言をしたのにとても勇気づけられました。

僕はあの事件からはずっと目をそらして今日までやってきました。あんな悲しい事件を話すのはとても辛いし、両親というか家族はあのニュースが流れると他のチャンネルに回そうとする位でしたし、その事を直視するのも嫌でした。

別に逃げたつもりもないけれど、やはり救いようのない事件だからどこにも救いはないと僕は思ったのですが、まさか仲間がこうやって話しているとは夢にも思わなかったので、ここまでみんなが話せることに僕はとても感動したし、そうやって前を向いて生きていくことこそが、大切なのだということを今実感しました。

実際にあの犯人に会えるかどうか分かりませんが、僕もどうかこの言葉をあの心のすさんだ犯人に届けてあげて、世の中はもっと美しいものだということを伝えてあげられたらいいなと思ったし、僕はよく分からなかったけれど、本当にやまゆり園の人がここに来たんですね。それも驚きですが、もう一度自分の目で事実をよく見て考え直してみたいと思います。

何も分からないと言われ続けてきた僕が初めてこのようにして話すのには問題があまりにも大き過ぎるのですが、以上が僕の考えた意見でしたからこれからこういう仲間達と真剣に議論して、先ほど鈴木先生の話の中で、僕はやっぱり下を向いていたのかもしれないと思ったので、仲間と一緒にしっかり前を向き顔を上げようと思いました。以上です。

2016.11.19 指談



もう一つここでご紹介するのは、2019年3月、山梨県立吉田高校放送部の生徒さんによる取材中での発言です。

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Q.<やまゆり園の事件について質問させていただきたいと思います。やまゆり園の事件について多くの意見を聞いてきたと思いますが浩太朗さん自身はどう思っていますか>

僕は前にもお話をしたかと思うのですが、やまゆり園の事件そのものはとても悲しくとてもひどい事件だというふうに考えていて、もちろん罪は罪として問われるべきだと思っています。

が一方でその被害に遭われた方たちが名前を公表されずにまるで最初からいなかったかのように扱われたり、それから僕たちのような人は生きている意味がないというのがその事件の犯人の人の考えですが、僕たちが生きる意味というものを、何もできなくても生きていて良いのだというふうにあたかも僕たちのことをいい意味で理解しているように言っていることの方が僕は気になっていて、僕たちがこうして話をしたり考えを持ったりしていることすら理解されていないということが一番の問題だと思うのです。

僕たちは何も生産性がないというような言葉でひとくくりにされています。僕たちはとにかく何もできない、でも大事な命だ、というような言い方は一見とても僕たちに対して優しい言葉のように感じるけれども、それは僕たちを正しく理解してくれていないのと同じです。僕たちは体は動かないけれども考えていますし、援助の方法があればこうして自分の意見を言うこともできます。そこが今回のやまゆり園の事件ではっきりとしたことかなと思っていて、僕はそこが正しく理解してもらえるようになることのきっかけにこの事件がなるべきかと思っています。

2019年3月 指談


このように、小林浩太朗は、事件後の世の中の人々のコメントに違和感を覚えました。そういう現実があることを認めながらも、「世の中はもっと美しい」ということを伝えるべく、絵や詩を描き続けたのだろう、それは祈りにも似た創作だったのではないか、、と改めて感じます。

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