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【エッセイ】美声の人

ゴールデンウィーク前半、私は北海道に帰省していた。生まれた街では、高校の同級生たちが手を広げ、私の帰省を待ってくれていた。『蘭亭、5時半』。主語も述語もない、シンプルなメッセージ。「どこに行く?」でも「何を食べる?」でもなく、突然の『蘭亭、5時半』。これほど楽な人たちもいない。それぞれの置かれた立場でそれぞれに心を配りながら、自分の役割を果たし、日々を過ごしている仲間とのたわいない会話は、これ以上ない豊かな時間であった。

さて、今回の帰省の目的は法要であった。
ご長男に住職をお譲りになりった後も、変わらず御多忙の日々を送る先代御住職の、ありがたい読経が響く。続いて御法話が始まる。
私の祖父の話し、また祖父が信頼を寄せたご自身のお父上(先々代御住職)のお話しをも交え、そこから繋がる今ここに生きる我々のあり方について、その美声でお話をして下さった。 
私は幼い頃、毎月我が家に月参りにいらしてくださっていた先々代のご様子を思い出していた。先々代ご住職は大変な美声の持ち主であった。
1人で読経なさっていても、それはまるで複数の僧侶が一斉に声を合わせているような、大変豊かで多くの倍音を含んだ美声。それに加え豊かな節回し。とても心動かされる、お経を読まれる方であった。よく【一声、ニ節、三面(おもて)】と言われるそうだが、その全てを兼ね備えた御住職だったのである。
私は半世紀ほども昔の、その先々代御住職の記憶を、今更思い出した自分に驚いた。そして、声というものは意識下に存在し得るものであるということを確信したのである。
思えば、私の祖父が、この先々代に大きな信頼を寄せていたのは、その美声ゆえではなかったか?そして祖父は、自分がこの世を去ってからも、この読経を毎朝聴いていたいと、その美声の届く範囲の場所に自分の墓を立てていた。
声は一瞬にして多数の人にメッセージを届けることができる。美声を持つ人は、多くの人にメッセージを届けるお役割があるのではないだろうか。声はその思想や感情を伝える道具なのだ。
最晩年、先先代御住職は喉頭がんの為にその美声を差し出すことになる。しかしながら、結局その後も全くご様子にお変わりはなかった。壮絶なリハビリの後、また新しい声を得て常に笑顔の方であった。読経をお譲りになっても、その存在そのものがメッセージの方となられた。

役割りを果たすという事。
故郷に帰らなければ、あの美声を思い出す事はなかったと思う。
良いゴールデンウィークであった。

●随筆同人誌【蕗】掲載。令和5年7月1日発行

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