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【Story of Life 私の人生】 第61話:基礎実習スタート

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第60話:夏の思い出 をお送りしました。
今日は、一年生の後期からスタートした、基礎実習のお話をしようと思います。

9月の前期試験が終わり、10月から後期の授業がスタートしました。
前期は教室での座学だけだったけど、後期からは新たに基礎実習の時間が加わるようになりました。
実際に検体を扱ったり、器具の使い方を実習したりとのことで、スタート前からワクワク状態だったことを覚えています。

一番最初の実習は、尿検査の実習でした。
検尿用の紙コップに自分の尿を採取して、実習室へ。
色々な種類の試験紙を使って、まずは尿蛋白、尿糖、pH、潜血の有無や程度を調べてみました。
空腹時じゃなかったから、若干尿糖が高かったと思います(笑)
自分の尿を見た後は、他のクラスメイトの尿でも実験。
同級生のうち12人は腎臓疾患者だから、尿蛋白異常者ばかり(汗)

その後、屈折計を使って尿蛋白の値と試験紙との値の比較をしてみました。

次に試験管に尿を入れて、遠心分離器にかけてみました。
下に沈んだ沈殿物をスライドに垂らして、その上から染色液をかけて、顕微鏡で眺めてみました。
赤血球、白血球、円柱みたいなもの、結晶、細菌などが染色されて見えました。
沈殿物が多い人、少ない人とマチマチだったけど、腎臓疾患者では円柱がいっぱい!
先生から「円柱は主に蛋白だ」と教わり、一同納得。

次は、試験管に尿を入れて、ガスバーナーで煮沸させてみました。
尿蛋白が出ている場合は白く濁るとのこと。
これも一目瞭然でした。
この日は午後の2コマが実習だったのですが、とても楽しくて、4時間があっという間に過ぎていきました。

次の実習の授業では、ピペットの使い方を学びました。
高校までにピペットは何度も使ったから、楽勝!と思いきや…
ピペットには色々な種類があり、当時一番使ったのは「メスピペット」
今まで理科で使っていたスポイトで目盛を調整する駒込ピペットとは大違いで、液を口で吸って(ストローみたいな感じ)、指で目盛の調整をするタイプだったのです。

これには、かなり苦戦しました。
初日は、フラスコに生理食塩水を入れて、メスピペットで吸い上げ、人差し指を調整して目盛を合わせる練習でしたが、吸い過ぎて飲んじゃったり、目盛を合わせられなかったりで、全然出来なかった(泣)
ここで正確な目盛に合わせることが出来ないと、試薬の精度が狂ってしまうなどの不具合が出てしまうし、異物を口に入れてしまったりする危険も大きいから、正直なところ怖かったです。
あまりにも上手く出来なかったから、先生にお願いしてピペットを貸し出ししてもらい、毎日練習を続けました。
他の人が3回で出来ることが10回掛かるから、何とか出来るようになるまでに1ヶ月くらい掛かりました。
ピペットといえば、マイクロピペットも使いましたが、こちらは「自分の口で吸う」必要がなかったから、とても気楽でした。

余談ですが、梅毒検査用の試薬を作る時に、ヒツジの赤血球を使うのですが、メスピペット操作を失敗してしまい、ヒツジの血を飲んでしまったことがあります(汗)
劇薬でなかったからまだ良かったけど、決して美味しいものでは無かったです。
今では、メスピペットを使うことは無いようですね。
ある意味羨ましいです(笑)

次の授業では、微生物検査に使う寒天培地を作りました。
純水に寒天、塩と栄養素を入れて混ぜて、高圧蒸気滅菌して、シャーレに入れて固めるという手順だから、簡単に言えば「寒天ゼリー」を作る感じ。
どちらかというと調理実習っぽくて、とても楽しかったです。

菌の培養方法も学びました。
寒天に検体を塗る棒(白金耳)を、ガスバーナーで真っ赤になるまで思いきり熱して滅菌し、冷ましてから検体を棒に付着させて、寒天に塗るという感じ。

手順は一見とても簡単そうだけど、これが結構難儀でした。
白金耳の火炎滅菌方法は、ガスバーナーの炎のどの位置に棒を当てるかとか、どの部分まで滅菌しなければならないのかをしっかり覚えないと、別の菌が混在してしまうという危険性がある。
また培地に検体を塗る時は、力加減が結構難しくて、強すぎると寒天に穴が空いてしまうし、弱すぎるとちゃんと塗れない…という感じで、気を使う部分が多く、これも数をこなしてマスターしていく感じでした。

実習はこれだけではなく、その後は血液を遠心分離して血清を取り出す方法や、血液型検査、血液の顕微鏡検査など、半年掛けてかなり多くの事を学び、日々繰り返し練習して身体に覚えさせていきました。

基礎実習、2年生からの実習を通して、私は「培地を作る」ことが一番好きでした。
寒天培地も楽しかったけれど、一番のお気に入りは「小川培地」という、結核菌培養の為の培地。
学校周辺の病院が殆ど結核病院だったこともあり、この培地はかなりの需要がありました。
小川培地は、簡単に言えば「茶碗蒸し」みたいなもので、卵の液体に水と味の素とカリウムのリン酸塩に青っぽい色を入れて、試験管に入れて高圧滅菌するものでした。
卵を割って、かき混ぜるところから始まるから、完全に調理実習状態(笑)
滅菌している間は、ずっと「茶碗蒸し」っぽい匂いが漂い、検査室だということを忘れてしまいそうでした。

話は変わります。
後期の授業が始まってから直ぐのこと。
公立昭和病院の主治医の先生が、他の病院に転勤されることになりました。
そこで、春日部の病院に行った元の主治医の先生のところに行くか、別の病院を紹介して貰うかを選択することになりました。
当時、武蔵野線が普通の旅客営業に変わってすぐの頃で、隣の秋津から北越谷まで行くことが出来るようになりました。
時間さえ合えば寮から1時間半位で行けるようになったのですが、問題は電車の本数で、時間によっては1時間に1本あるか無いかということでした。
両親と話し合って、また新しい病院と先生にお願いするよりは、3年間診てもらっていた元の主治医の先生にお願いする方が良いという結論になり、清瀬から春日部まで、2週間ごとに通うことになりました。
最初の数回は電車で往復しましたが、乗り継ぎに失敗すると、片道3時間以上掛かってしまうことになってしまうことが判明。
結局は、清瀬から「マイバイク」で通うことにしました。
バイクなら、確実に片道1時間半位だったので、電車よりは楽だったけれど、往復3時間の運転を余儀なくされ、神経はかなり疲れた気がします。

11月に入る頃、甲状腺ホルモンのコントロールがあまり上手くいっておらず、通学も運動やアルバイトもしていないのに、やけに疲れるようになっていきました。
中学3年生の頃の状態に近くなり少し不安を覚えましたが「次の通院の時に先生に話そう」と、騙し騙し生活していました。
「明日は通院だ」という日の夕方、扁桃腺が腫れて39度の高熱が出てきました。
その時点では「風邪でも引いたかな?」程度に考えていたので、風邪薬を飲んで布団に包まっていました。
そして翌日、熱が下がらない状態でバイクに乗り、春日部の病院に向かいました。
途中、少し辛くなって休憩しながら、2時間弱でなんとか病院に到着したのですが、具合は悪化して、待合室に座って居られない状態になってしまいました。
処置室のベッドで寝かせてもらい、診察してもらった結果…
何と「緊急入院」することになってしまいました(驚)
これが3年間の「八方塞がり」の始まりです。
続きは、次回お話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第62話:緊急入院 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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