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【Story of Life 私の人生】 第35話:クラブ活動 Part 1 〜 課内クラブ

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第34話:中学校入学 をお送りしました。
今日は、中学生時代のクラブ活動のお話 Part 1、課内クラブについてのお話をしようと思います。

私の通っていた中学校は、週に1日午後2時間、授業中に活動する「課内クラブ」と、主に放課後に活動する「課外クラブ」がありました。
通常、クラブ活動といえば、課外クラブを指すと思いますが、課内クラブは、授業の一環なので、当然全校生徒が参加。
一年生から三年生までの全生徒が、年度始めに学校が決めているクラブのどれかを選択し、合同に活動するものでした。
ということは、一度入部したら、最低1年間は変更できません。
色々と考えた結果、私は「英会話クラブ」を選びました。
決め手はかなり単純で、「英語が喋れるようになったら、カッコいい!」
両親が昭和一桁生まれの我が家では、「英語」は「ご法度」状態(敵国の言葉ですから)だったので、「学校の授業だったら文句言われないだろう」程度の気持ちでの入部でした。

英会話クラブの活動は、区主催で毎年開催される「英語学習大会」という、区内の全中学校が、英語劇、英語の歌の合唱、スピーチなどを発表する会に参加することで、私の学校は、英語劇で参加することが慣例となっていました。
進学校で有名な学校ということもあり、かなり気合いが入っていました。
クラブ活動の初日に、その年の出し物の台本が配られ、翌週にはどの役をするかが決まり、5月から本格的に練習が始まりました。

一年生の時の出し物は「みにくいアヒルの子」で、私は「みにくいアヒルをいじめる兄弟アヒル その2」の役を貰いました。

セリフは3つだけだし、劇そのものは、英語ということを除けば「幼稚園レベル」なので、話は分かっているし、難しいことは何も無いはずなのですが…
中学に入るまで、英語というものに全くご縁が無く、ベースも全く無かった私には、たった3つのセリフでもキツかったです。
劇だから、大きな声で話さなくてはいけない。
大きな声で話そうとすると、セリフが飛んでしまう。
セリフを思い出しても、発音が悪い…などなど。
冗談抜きで、先生や上級生から呆れられていました。
挙句の果てには、先生(隣のクラスの担任で、英語を教わっていました)から「今まで何十年も指導しているけど、ここまで出来の悪い子は見たことがない。親の顔が見てみたい!」と言われる始末。

その日、家に帰宅して、母に「先生から親の顔が見たいと言われた」と話をしたら…
数日後、保護者会があり、放課後に母が学校にやってきました。
授業が終わり、教室で帰り支度をしている私を捕まえて「英語の先生に挨拶したいから、連れて行きなさい」と言うので、職員室に連れて行きました。
先生に母を紹介すると、母は「先生が親の顔を見たいとおっしゃったので、顔を見せに来ました。出来の悪い娘ですが、これからもよろしくご指導お願いします。」と、しれーっと言い放つではありませんか!
私は、笑いをこらえるのに必死だったことは言うまでもありませんが、呆気に取られた先生の顔が、今でも忘れられません(爆)

余談ですが、この話は学校内でかなり有名になり、母は一躍有名人となりました。
「ただ怖い人」と思っていた私は、母にこんな面白い一面があるとは意外でした。

話を元に戻します。
英語学習大会は、11月下旬に開催されましたので、劇の練習は夏休みを除き、正味6ヶ月の授業だけでした。
三年生は高校受験を控えているし、二年生も課外クラブの主軸だったので、放課後にわざわざ練習するということは一切なかったです。
それでも、半年も練習すると、それなりに形になり、仕上がりました。
当日は、学校代表で参加するということで、丸1日授業は免除。
その代わり、大きなホールに朝から夕方までいて、区内全部の学校の出し物を見学し、全員で合唱したりしました。
カーペンターズの「イエスタデーワンスモア」や、「シング」などは、この時に覚えました。

大会が終わると、クラブ活動の内容はガラッと変わりました。
簡単な英会話のロールプレイや、上級生達が受ける英検3級の2次試験の練習を、部員のみんなで一緒にやりました。

3月になると、三年生を見送り、年間のクラブ活動は終了しました。
私は結局「浮気」はせず、3年間英会話クラブに所属しました。
年間スケジュールは、一年生の時とほぼ同じでしたが、英語学習大会の出し物の劇は、毎年変わりました。

二年生の時は、赤ずきんちゃん。
私は赤ずきんちゃんのお母さん役になりました。

三年生の時は、白雪姫。
私は「白雪姫」よりも背の高い「小人」役になりました(笑)

翌年以降、後輩達が入ってきて、同じように練習を始めてみると、私が一年生の時に先生や上級生から、何故あんなに呆れられたのかが分かった気がしました。
そもそも、小学生時代に国語で習った「訓令式のローマ字」しか知らない状態で、中学校の英語の授業に入った私。
「ヘボン式のローマ字」があることすら、全く知リませんでした。
私の苗字には「し」が含まれていたのですが、小学校の頃は「si」と教わったのに、中学校の授業では「shi」と書くことになっていて…
英語の最初のミニテストで、訓令式で名前を書いた私は「親の顔が見たい」と言った先生から「あなたは、中学生になっても自分の名前すらローマ字で書けないのか!」と言われた位ですから(笑)

後になってから、同級生に話を聞いてみると、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいる子たちは、既にヘボン式のローマ字を覚えていました。
他の子たちも、中学校に入る前から、英語塾などに通っていたということが判明し、完全に取り残されてしまっていました。
私にとって、英語は「苦いスタート」になってしまいました。

まあ、中学校入学直後から1学期が終わるまで、英語については、冗談抜きで惨憺たるものでしたが、決して嫌いになることは無かったです。
中学生になってから、音楽はBeatlesにハマり、ラジオはFEN(現在のAFN)を、宿題中のBGMにしていました。
FENは、話すスピードが速くて何を言っているか分からないのだけど、当時流行りの洋楽がいつも掛かっていたから、ながら勉強でも邪魔にならなかったのだと思います(笑)
英語に関する逸話?は、私の中学生時代の大きなトピックの1つなので、詳細は後日お話しようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第36話:クラブ活動 Part 2 〜 課外クラブ に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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