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【Story of Life 私の人生】 第66話:生理学検査実習

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第65話:2度目の試行錯誤 をお送りしました。
今日は、生理学検査の実習についてお話ししようと思います。

退院して9月中旬から学校に戻ると、すぐに10月。
2年生の後期がスタートしました。
今までの実習に加えて、生理学検査実習、病理学検査実習、採血実習が始まり、また新たなチャレンジをすることになりました。

生理学検査というと、代表的なものは心電図や脳波検査でしょうか。
これ以外にも、筋電図検査、肺機能検査、超音波検査、聴力検査など、多岐にわたる検査項目があり、主に検査機械の使い方を学ぶという感じでした。

2年生は、実際の患者さんに接するのではなく、主に生徒同士の練習でした。
心電図は、胸のどの場所にどの電極をつけるかを覚えなければなりません。
テキストの図と睨めっこしながら、ボンドみたいな液体を付けて、肋骨の周りを探りながら電極を付けていくという感じだから、やっている方は必死なんだけど、やられている方は、それはもうくすぐったくて、身体を捩って笑っちゃう(爆)
あーだこうだ言いながら、やっと電極を着け終わったかと思うと、スタート前に電極が取れちゃったり(汗)
かと思えば、ボンドを付け過ぎてしまい、肋骨の周りがベタベタ状態だったりして…
本番の患者さん相手で、テキストと睨めっこは出来ないから、数をこなして、正しい場所と塗るボンドの適量を、自分の身体と感覚で覚えるしかありません。
不器用な私は、覚えるまで結構時間が掛かりました。
スタートボタンを押して脈波が印刷されると、それだけで嬉しくなってしまうのですが、本番はそこからで、異常な波形かどうかを見極める必要があります。
同級生に心疾患者が1人しか居なかったから、他の訓練科の方にお願いして練習させていただいたりもしました。

心電図だけでも大変なのに、電極数が多い脳波検査はもっと大変でした(汗)
テキストの図を見ながら、しかも髪の毛を掻き分けてボンドを塗り、その上から電極をつけるから、私にとっては心電図の3倍くらいの難易度の高さでした(泣)
電極が頭皮ではなく、髪の毛についてしまって波形が出ないとか、ボンドをつけ過ぎて、頭全体が真っ白だったりとか…
心電図の電極と違って、くすぐったいという感じが無いだけ、まだまし。
最初の頃は実習が終わると、みんな頭が「ボンドまみれ」という、なんとも無惨な状態でしたが、数をこなしているうちに、何とかなっていきました。
自分が患者役の時だと、30分くらい横になっていると「アルファー波が出てきた」とか「これがシーター波だ」とか、先生が解説しているのが聞こえてきて、そっちに気が行ってしまい「波形が消えちゃったじゃないか!」と叱られることもしばしば。
実際、患者さん相手に検査することがなかったから、実践の検査がどんな感じなのかわかりませんが、やっぱり難しかったです。

筋電図検査は細い針を刺すから、やる方は怖いし、される方は痛い!
怖がりの私は「間違って変なところを刺して、怪我させてしまわないか」と毎回不安で、それはもう苦痛の種でした。
これは絶対に実践で「やりたくない」検査の1つでした。
これらに比べると、肺機能検査や、聴力検査は、患者さんに声をかけるだけだから、そういう意味ではかなりお気楽に出来ましたが、肺機能検査の「患者役」は、1日に何度もやる事になるから、当時症状がほぼ無かったとはいえ、喘息持ちの私にはちょっと辛かったです。

実習の中で、一番キツくて怖かったのは、採血でした。
人から採血されるのは、怖くも何とも無いのですが、筋電図の細い針を刺すだけでも怖いのに、静脈に注射針を入れて血を抜く訳ですから、もう恐怖以外のなにものでもありませんでした。
毎回、同級生相手の採血や、他の訓練科の方にお願いして採血をさせてもらいましたが、手は怖くて震えちゃうし、いざ針を刺す時はその都度怖くて「ギャー‼︎」と声が出てしまい、患者役の人から「声の方が怖い!」と言われる始末…
「検査技師になっても、絶対に採血担当だけにはなりたくない」と思いながら、毎回恐怖に怯えながら、採血実習をしていましたっけ(汗)

余談ですが、最近採血は看護師さんではなく、検査技師の方がされるケースが多いようですね。
今になって思えば、検査技師になれなくて良かったのかも知れません(汗)

病理学検査の標本を作る作業は、割と楽しくてとても好きな作業の1つでした。
検体を切り出して切片を作り、染色するという作業がメインでしたが、切り出す厚さを導き出すのは難しいものの、検体は動かないし(笑)
染色された標本を顕微鏡で見て、綺麗に出来た時の嬉しさは、それはもう格別でした。

自分の身体で覚えることが沢山あって大変だったけれど、今思えば、実習は全体的にとても楽しかったなぁと思います。

そうそう、体調の方は、蕁麻疹が出なくなっただけでもかなり楽になり、白血球数と甲状腺ホルモン値のバランスを何とか保ちながら、どうにかこの年を越すことができました。
母は、初冬から私の成人式用の振袖を仕立てる日々を送ってくれており、たまに家に戻ると「これが自分の最後の大仕事だ」とよく言っていました。
考えてみれば、母はその時54歳目前。
老眼で縫い目を見るのが大変だったようです。
それでも、最後まで自分の手で全て仕上げてくれました。

そして1984年1月15日の成人の日、自宅近所の写真館で振袖を着付けていただき、成人式の記念写真を撮ってもらいました。
顔や首のアトピーが、かなり酷かった頃ですが、一応メイクをしていただき、写真で修正していただきました(笑)

母の仕立てた振袖姿の成人式の写真

思い起こしてみれば、七五三から成人式まで、全て母が仕立てた着物を着てお祝いして貰いました。
今になって思えばとても有り難く、幸せだったなぁと思います。
ずっと「私は両親から愛されていない」と思っていたけれど、私が欲しかった愛情表現では無かっただけで、実は愛されていたのだなぁと、今になって思います。
当時は、そんなことには全く気付く事はなかった。
本当にごめんなさい…そして、ありがとう。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第67話:The End に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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