見出し画像

【Story of Life 私の人生】 第59話:授業スタート

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第58話:新たなスタート 〜 寮生活の始まり をお送りしました。
今日は、専門学校の授業や、新生活についてのお話をしようと思います。

入学式の翌日から、本格的に授業が始まりました。
1日のスケジュールは…
朝起きて、身支度して、食堂で朝ご飯を食べて、朝8時から1時間目の授業スタート。
授業は1コマ120分、途中10分の休憩時間を挟んで、2時間目の授業。
お昼休みは12時10分から50分間。
その間に食堂でお昼ご飯を食べて、部屋で休憩。
1時から3時間目の授業が始まり、途中10分の休憩時間を挟んで、4時間目の授業という感じで、5時10分に1日の授業が終了という流れでした。
夕食は、5時半から8時までの間に食堂で食べることになっており、お風呂は5時半から9時までの間となっていましたがが「先着順」、洗い場が3つしか無かったので、お風呂セットを持って様子を見に行き、空いていたら入るという感じでした。

さて、初日最初の授業は、公衆衛生学でした。
外部から先生がお見えになったのですが、都の衛生研究所長をされたかなり年配の先生で、滑舌がイマイチ(汗)
でも、授業の内容は今まで全く学んだことがない新しい分野だったから、とても新鮮で楽しく、2時間があっという間に過ぎていきました。
公衆衛生は、割と好きな科目の1つだったと思います。

次の授業は、物理学。
先生は、職業訓練校の機械科の先生が担当されました。
割と若い先生で、お話がとても楽しかったのですが、高校の物理IとIIを合わせたような内容を1年間掛けて学ぶことになり…
高校時代に理系科目ことごとく「捨てた」ため、分かるものと分からないものが両極端!
初日の授業はギリギリ何とかなったけど、途中から完全に「チンプンカンプン」で、1年を通じてかなり悩まされましたっけ。

食堂でお昼を食べて、部屋で「笑ってる場合ですよ」を見ながら休憩し、3時間目の授業へ。
この日は微生物学で、この学校の主任講師の先生(かつ、私たちの担任でもありました)が担当されました。
最初の授業は概論で、この時初めて「細菌とウイルスは違うもの」ということを知り、目から鱗!
カビやきのこ等の真菌類や、寄生虫も学ぶことが分かりました。
なんだか楽しそう♪と思ったことを覚えています。

そして初日最後の授業は解剖学で、隣の国立病院から解剖医の先生が来て下さいました。
よく見る「人体解剖図」や「ガイコツ」の模型の詳細を学ぶということでしたが、そんなに沢山学ぶことがあるのかな?と思っていたのですが…
筋肉だけでも実は600以上もあると知り、ビックリ!
筋肉だけではなく、内臓や骨の名前や場所も覚えなければならないから、正直なところ不安を覚えましたっけ。

合計8時間もの授業を受けられるのか心配でしたが、物理以外は全く新しい分野だったから、楽しく1日を過ごすことが出来ました。

翌日は土曜日だったのですが、この日は授業の一環として、一年生全員で目黒にある「寄生虫博物館」の見学に行きました。
ホルマリン漬けの寄生虫の標本や、ゴキブリなどの標本などばかりで、虫が大嫌いな私には気持ち悪くて、途中で何度も卒倒しそうになりました(泣)
1時間くらい見学して、お昼過ぎに解散になりました。

土曜日は午後の授業が無いから、寮に戻らず家に帰宅する子もいましたが、私は家を出てからまだ3日目だったから、寮に戻ることにしました。
池袋を通るから、地方から出てきている同級生達と一緒にサンシャイン60に行き、展望台に上がり、東急ハンズやデパートを覗きながら寮に戻りました。
そして翌日の日曜日は、寮に残った同級生達と一緒に、寮の周辺を探検して過ごしました。

月曜日からも、朝から毎日8時間の座学が続く毎日。
検査総論、血清学、免疫学、血液学、生化学、生理学などなど、毎日目新しい科目が始まっていき、同時に数学、生物、化学、医療英語などの教養科目も始まりました。
臨床検査に関する新しい科目は、どれもワクワクし、楽しかったです。
その中でも血液学は外部から来る先生のお話がとても楽しくて、私の一番のお気に入りでした。
一方、教養科目の方はといえば…
高校でやってこなかったツケが回ってきて、かなり辛かったです(泣)

2週目の金曜日、2回目の解剖学の授業の日。
担当されている先生から「私たちの授業時間に解剖をすることになったから、白衣を持って病院に来るように」という連絡が入りました。
先生のいらっしゃる病院は、学校から徒歩10分掛からないところだったので、1年生全員で急いで歩いて行きました。
病院に着くと、白衣を着て、渡されたマスクつけて解剖室へ。
解剖台の周りに立って、実際の「人体解剖」を見学させていただきました。

先生が一つ一つ丁寧に説明して下さったのですが、本物の臓器は写真とは違ってとても生々しかったです。
この患者さんは、肺癌でお亡くなりになったそうですが、肺は癌の病巣とニコチンで真っ黒でした。
また、肝臓を含む全身にも癌細胞が転位しており、特に肝臓は病巣が広がっていてすごかったです。

同級生の数人は、見学途中で具合が悪くなってしまい、退室しましたが、私はその時点では特に何とも思わず、最後までじっくり見学させてもらったのですが…
寮に戻って夕飯となった時に異変が起こりました。
その日の夕食のおかずは、豚ステーキだったのですが、お皿に乗っているステーキが、さっき見学した「肝臓」に見えてきてしまい、全く手をつけることが出来ませんでした。
その日以来、豚のステーキは食べられなくなってしまいました。
我ながら「意外に繊細な一面もあるのかも」と思った瞬間でした。

翌日の土曜日は、家に置いてきた原付バイクを持ってくるために、10日ぶりに家に帰りました。
同級生の殆どは、既に自動車の運転免許を持っていて、マイカーを寮に持ってきていました。
同い年なのに、羨ましかった!
私は高校3年の時に、やっと原付バイクの免許を取ることが出来、所沢の叔父(母の弟)から「スズキバーディー」を譲り受けていたのですが、寮に置けるかどうかを確認していなかったので、家に置いたままにしていたのでした。
寮に「バイクを持ってきても大丈夫か」と確認したら「駐輪場に置いて良い」と許可が下りたので、家から持ってくることにしたのでした。

行きは、寮からバス→電車→バスを乗り継いて帰宅。
家を出てから10日しか経っていないのに、我が家からは私の「痕跡」は殆ど消えていました(笑)
今まで、両親と顔を合わせる度に喧嘩になっていたのですが、久しぶりに帰宅したら「気持ちが悪い位に穏やか」で、正直なところビックリしました。
夕飯の時も終始和やかで、逆に変な感じもしましたが、久々に食べた母の食事がとても美味しくて、少し泣けてきました。

翌日、日のあるうちに寮に戻りたかったので、家に滞在した時間は正味20時間位だったと思いますが、寮生活のこと、学校の授業のこと、前日の解剖見学のことなど、家を出てからの10日間での出来事を沢山話しました。
母は、寮で食べる夕食をお弁当にしてくれ、日持ちするおかずや、みんなに配るようにとお菓子を作ってくれました。
バイクの荷台に沢山のお土産を積んで、1時間くらい運転して寮に戻りました。
そして寮に戻ってから、同級生や先輩達に、母からのお土産を配り、夕飯のお弁当を食べました。

翌日からも同じような日々が続いて行き、1ヶ月くらいで寮生活に完全に慣れました。
家には、月1回くらいの割合で帰りましたが、たまに帰宅するからか、両親との関係は今までのような不穏な感じが一切なくなりました。
もしかすると、この位の距離感が、一番丁度良かったのかも知れません。
「親の有り難み」というものが、少しだけ分かってきたのもこの頃です。

病院の通院は、相変わらず2週間に1回続いていたのですが、今までお世話になっていた国立中野病院の主治医の先生が、春日部の新しい病院の副院長として赴任することになったため、清瀬から近い公立昭和病院に通うことになりました。
寮からは、バスを2つ乗り継げば行けましたが、遠回りになる上に時間がかなりかかるため、家から持ってきた「マイバイク」で通っていました。

同級生のうち3人は、寮の隣に併設されている透析室で、授業が終わった後に週3日毎回4時間くらい、人工透析を受けていました。
「透析中は暇だから遊びに来て」と言われ、よく夕食後に透析室に行き、話をしたり、一緒に宿題をしたりしました。
それを考えると「自分はかなり幸せだな」と思っていましたが、後日どんでん返しが待っているとは、その時は知る由もありませんでした。
この辺りについては、改めてお話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第60話:夏の思い出 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?