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ののけのはなに

 春のはじめにいぬを見送り、暑い夏の日に父を、そしてほんの数日前、ぐんと冷えた秋の日に母を送った。

 父の知らせを受けた時には、声をあげてわんわん泣いた。けれど、その四十九日もあけきらないうちに届いた母の知らせには、ああ、こんなことってあるんだ、と、ただ空っぽのように空を仰いだ。

 本当に
 そんなことってあるんだ

 父にも母にももう何年も会っていなかった。
 父が安置されていたセレモニーホールで、「疎遠」という言葉を聞いて、はっとした。
 すべては、実家に暮らす弟とホールの方がしっかりと取り仕切ってくれ、両親ともなんの支障もなく送ることができた。

 何年ぶり、何十年ぶりに会う親戚や、実家と付き合いが続く知人たちは、こどもの頃と同じように私を「ちゃん付け」で呼び、さみしいね、と小さく微笑んだり、肩を抱いてくれたりした。
 もちろんみんな弟とはいまでも懇意にしていて、私が実家から離れ、弟がひとりで両親の面倒を見てきたことを知っている。

 「あなたにできることはないですよ」

 流行り病が全盛の頃、電話の向こうから聞こえたその言葉に、私は、怖気づいたのだった。
 そうして私は、声のひとつもかけられないまま、その手を取ることもないまま、大切なひとたちを失った。この手の中で精一杯生き抜いたいぬ以外。

最後まで、だめな娘でごめん


 9月はじめのある朝、窓越しにぼんやり眺めた荒れた庭に、黄色い花がちらりと見えた。
 毎年、いぬとの散歩道にいやというほど咲いていたのに、誰かが気を利かせて撒いた除草剤が効いたらしく今年はわずかしか見かけないマツヨイグサ。私の好きな花。

 午後の遅い時間に開きはじめ、翌日の午前中にゆっくりと萎んでいく。
 ほかの野の花に比べやや大ぶりで、一見強そうなその花は、スマホカメラを向ける手の甲が思いがけず触れるとふわりやわらかで、そのたび、はっとさせられる。

 よかった
 今年も会えた

 慌ててくつ下と丈の短い長靴を履き、スマホを握り庭に出た。
 もうゆっくりと閉じはじめている花たちを、ひとつも逃さぬよう写真に収めた。

 明日も咲くかな

 後ろ髪を引かれる思いで庭を離れかけ、やっと、ウッドデッキの手前で揺れる背の高い植物に気づいた。よく見れば、直径2センチほどの花がいくつか咲いている。

 こんなところで会えるなんて

 昨年、線路下の土手で初めて気づいたその植物はアキノノゲシといい、私は、その花に、どういうわけか妙に惹かれたものだった。けれど今年は、ずいふん早くに誰かに刈られてしまったようだった。

 マツヨイグサも同様、よくよく探せば他の場所にも咲いているだろうけれど、父の葬儀の後、会社を解雇され、外に出るのも、そこで偶然人に会うことも億劫になっていた私は、花を探しに出る気力を持てないままでいた。

 会えてよかった

 近づけば、風が煽れば簡単に触れ合うような距離に3本ずつ、計6本の茎が私の背を超えて高く伸びていた。
 黄色みがかった白色の花びらが乳白色とも生成色とも言い難いのは、細く縁取る紫色のせいだろうか。後日、早い時間に確認した、ぎゅっと閉じ頑な印象の蕾は、黄色みを帯びた紫色をしていた。

 遅い朝にのんびり開きはじめ、日中は淡い色の花びらを風に気ままに揺らしておきながら、気づけば、午後のお茶の時間も待たず静かに閉じはじめる。

 はらはら散るでもなく。
 ぽとり落ちるでもなく。
 もと来た道を戻るように。
 それとも、新しく始めるように。

 閉じた花は、徐々に先を尖らせた緑色の新しい蕾のようになり、数日中に再び開き、花のように綿毛を咲かせた。

 9月7日に気づいたその花は、徐々に数を増やし、多い時には一度に30から40もの花を付け、マツヨイグサの花が終わっても、代わる代わる1ヶ月以上も咲き続けた。
 母の葬儀の翌日に確認した最後の4輪は、最初に気づいたときよりかなり小ぶりで、マツヨイグサより少しだけ淡いきれいなレモン色をしていた。


 あの日以来、室内干しの洗濯物を避けながら窓越しに確かめ、そのたびくつ下と長靴を履き、スマホを握り庭に出て、日に何度もいくつも写真に収めたこの花に、私はどれほど助けられていたことか。

 もう少し、咲いていてほしかった

 それは、冷たくなった父や母の顔や肩や手に触れ、そっと頬やおでこを寄せた時や、母の葬儀の後、駅で、元気でね、おたがいに、と、弟や娘と手を振り合って別れた時に感じた、ひどく身勝手な、離れ難い気持ちと似ていた。

 だから。
 私は身勝手だから。


 またね
 また必ず



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