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花のあかり~ダンコウバイ~

ダンコウバイの冬芽がついている。

くるっと巻いて尖った葉芽が枝先でつんと上を向き、少し距離をとって、花芽がちょこんと同じ枝の上に乗っている。その花芽は7ミリほどで、ぷっくりとまるく、白い毛に包まれている。
見れば向こうの枝にも、もう少し小さな花芽がいくつか、ちょこんちょこんと乗っている。

最初に花芽に気づいたのは昨年の12月半ばのことだった。
もう準備してるのかあ、と思わず、半分呆れたような声を上げた。いぬと私以外誰もいない山道。
いま上ってきた道を見下ろす急な斜面で、当たり前じゃないか、と言うように、まだひとつきりだった花芽はきらっと朝日に輝いてみせた。


それがダンコウバイという名だと知ったのは何年前のことだろう。
その年の3月の半ば過ぎ、茶色い枯葉に覆われた山道にところどころ遅い雪が残るなか、初めてその小さな黄色い花を見た時、私は安堵のような思いを抱いた。

いぬに引かれるまま上る山道は、真ん中だけが中途半端に舗装されていて凍る。滑る。
その結構な勾配の坂を恐る恐る上る私の足腰は、先日の雪掻きですっかり悲鳴をあげていて、もういい加減誰か代わってよ、とつい泣き言言いにもなっていた。

坂を上りきった正面には隣家があり、右手には見上げるほどの胸突き坂。
これが通学路だって言うんだからどうかしてる。とかなんとか思いながら、さらに上へ行きたがるいぬを騙すようにして、踵を返す。

今日はとても上れそうにないもの。
誰にともなく言い訳をして。

その時、振り向いてすぐの右手、茶色い斜面に、小さくなにかが光った、ような気がした。

目を凝らせば、斜面に張り出した華奢な枝に、1センチほどの黄色いかたまりが乗っている。
さらによくよく見れば、そのかたまりはいくつもの花のようなものから成っていた。

それはまるで春のような色だった。
どこがとか、どうしてとか、訊かれると困る。そう思ったのだから仕方がない。
そして、それはまた、ぼんやり点るあかりのようでもあり、ひゅるひゅると立ち上がる半透明の黄色を見れば、小さな小さな“火の穂”のようでもあった。

それで私は唐突に、ああ、春が来るんだなあ、と思ったのだ。

春が来るからといって、なにかが大きく変わるわけではないけれど、凍りついたなにかは、もしかしたら、ゆっくりと解けるかもしれない。
そんな小さな期待が、朽ちかけていた気持ちを掬い上げたのかもしれなかった。

帰宅すると撮った写真と首っ引きで検索画面をたどり、その小さなあかりをダンコウバイの花だと知った。
似たような花を付ける木はほかにもあって、初夏の赤い新葉や、その後茂る恐竜の足跡みたいな大きな葉、天を見上げてつき何度も色を変える実を見て初めて、やっぱりそうだと確信することができた。
まったく、花の名を知るのはなかなか骨の折れることだ。
いくつもの季節に目を向けなければならない。


期待せずにはいられなかったあの日の訳を、私はもう忘れたことにしたけれど、つんと尖った葉芽を尻目に、ぷっくりまるい花芽はゆっくり開いて、また、小さなあかりを点すんだろう。

こんなに早くに気づいてしまって、私は、その日を待ちきれないんじゃないかとさえ思う。
そういえば去年は3月になって不意に思いだし、探しあてた花芽はあっという間に割れて開いたのだった。その花は相変わらず春の色をして、ぼんやりのあかりや、小さな“火の穂”に似ていたっけ。

待ちきれないと言ったって、山道に咲く花のことならどうしようもない。
いつ咲くかも、ちゃんと咲くのかもわからない。私には決められない。
ただ自然の流れに任せて待つしかない。
はよ咲け、と。祈るような気持ちで。

そして、きっとまた私は、期待するのだろう。
ダンコウバイの花が咲いたら。
黄色いあかりがいくつか点ったら。
凍りついたなにかが、ひとつくらい、解け出すのじゃないかと。
解け出してほしいと。

はよ咲け、ダンコウバイ。
私はその日を待っている。


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