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蘇りの庭

求められていること。
それぞれが生きてきたストーリーを見せること。
ありのままの姿で、今のわたしがなぜこれに取り組んでいくのか
自分のストーリーに向き合うもの。
わたしが、わたしである証。
自分にとってぐっとくるもの。

その人のニュアンスで開いていく。
自分を見つけていく。
本気でゆるんでいく。
自分を見せる。

グラウンディングをしっかりと。
おのずと動き出すものを見守る。
とばすことは難しい。
基本的なことをしっかりと。

導いていくにはどうしたらよいのか。
今そこで生まれている
ほぐれきれなかったものが、やっと出る瞬間。

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シアターワークの創始者である小木戸利光さんからの言葉。
今読み返してみると、なるほどその通りだと思う。

なのに、あの日の夜は、素直に受け止めることができなかった。
わたしには無理なことを求められていると
わたしの中にずっと昔からいるもう一人のわたしが捉えていた。

あの時確かに、わたしは小木戸さんに対して陰性転移を向けていた。
それは、父親への憎悪とともにある愛情につながるわたしの声から来るものだった。
顔はひきつり、目を合わせずに、避けるように存在を否定した。

シアターワークにおいては、こういった投影同一化がたまに起きる。

わたしが注目したいのは、ワークを通して身体がゆるみ、
より深い記憶や情動にアクセスしやすくなった状態で、
そこに投影を向けられる相手がいるということの尊さだ。

身体のゆるみを、他者といっしょに共有できるということが
人間と出会えたという喜びにつながるのだ。

身体がゆるんだ状態は、あらゆる警戒心が解かれているのと同じだから、その姿を他者に見せるという事は、安心感や土台となる器が必要だ。

その器を、自然の中にゆだねるのも良いだろうし
意図的に、守りを工夫するのも良いかもしれない。

そもそもわたしはその器づくりを学ぶために、
臨床心理学プログラムの扉をたたいたのだ。

わたしがかつて守られてきたように、
器をまずは整えよう。


ワークアイディア ①
参加者が自然物をもちより、場を飾る。