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森の文化博物館 企画展 挨拶文

挨拶文を掲載します。

取り組む動機がちゃんと書けたような気がします。


誰に見せたい作品なのかと問われれば、自分の表現の世界のため、そのために、春日という土地を借りているというしかありません。私の目的は古老の言葉を得たことによって得られる視覚を提示することです。

 それでは、どうして、春日なのかといえば、春日を歩く時の、胸がしめつけるられるような感情にあるというしかありません。
 さっきまで赤い空が出ていた槍が先に燃えるような月があらわれては消える。山深い集落のなかに明かりが灯り、鹿が鳴く。倒木が横たわる山道にも物語があり、それは石を運んだ馬車が行き交う道と聞けば、馬のいななきが聞こえてきます。その近くで火葬が行なわれていたと知るのは聞き取りの結果です。
 「しゅびよく葬ってただいま帰りました」と、古老から葬儀の挨拶を聞き、犬が人をあさった山の生活の厳しさを知るのです。

 聞き取りのあと、家に帰り、アイホンのボイスレコーダーから流れてくる声を画面に打ち込みますが、言葉を聞くと話者との共通の認識が得られ、さっきまでの山道は新たなイメージに転換します。
  
 今回の展示は「琵琶湖の水が国見峠を越えてきていた」という藤原正身さん(当時104歳)の聞き取りから始まります。
 国見峠という高い場所にある石が川石であることについて、藤原さんはそのように語ります。それが事実がどうか、というよりも山で生きてきた人の世界の捉え方として提示したいと思います。
 くらし館では、月とともに言葉を載せました。古老の時間を少しでも感じていただければ幸いです。

 
 使われなくなった古民家を放置できなかった森の文化博物館の高橋貴子職員の熱意と職員の方々の協力でくらし館はリニューアルしました。また、今回の展示ではIAMASの瀬川晃先生のポスターも作品の一部と考えております。ワークショップに参加してくださるIAMASの金山智子先生にも感謝申し上げます。
 陶芸家の市橋美佳さんが、かつて使われていた春日の生活道具を選び、振れば音のする陶芸を添えました。作品は自由に音を鳴らすことができますのでお手に取ってみてください。
 引き出しの前の鈴を鳴らして見ましたが、古民家や古道具類と共鳴し、ある種の感情を呼び起こします。

 今回は、キュレーターである小高美穂氏が序文を寄せてくれました。目に見えないものを感じることができるとの講評を裏切らない作品づくりを続けます。
 

 最後に春日森の文化博物館くらし館のこれからのご盛況をお祈りします。

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