見出し画像

琵琶湖の水が


 今回の個展は、「琵琶湖の水が来ておったんじゃ」という、聞き書きから始まります。春日は岐阜の山村なので、琵琶湖の水が来るというのは考えられなかったのですが、そこには、太古に思いをはせる古老の言葉があったのです。

 春日の古老は、驚くべき表現と記憶力で、過去を語ります。熊と出会ったことを、戦争で帰還しなかった友人、薬草を大垣まで売りに行く道筋の景色、死間際の姑のこと。それは自分の記憶と比較して驚くほど濃いものです。ちなみに、私は、民話や昔話そのものより、それを用いた日常の解釈に関心があります。

『過去にあったことを想起して言葉で表現するとき、重なり合う二つの次元を区別すべきだと私は考えている。一つは「生きられた次元」であり、もう一つは「思い描かれた次元」』 「母の声、川の匂い」(川田順三、筑摩書房 p9)

 生きられた次元は、実際に1回限りの出来事で、思い描かれた次元は、一人ひとりの体験、だそうですが、自分は一人ひとりの体験を聞き取っています。

 「琵琶湖の水が国見峠を越えてこっちへ来ておったんじゃ」を語ったのは藤原正身さん。
 藤原さんは、国見峠近くにある川石や集落の高いところに美束にしかない花崗岩があること、故郷の地盤が砂ばかりであることを、何か大きな存在がいなければつくりえないこの世の現象について琵琶湖という大きな存在に託して語るのでした。


 春日は滋賀県との境にあり、滋賀や琵琶湖、峠である国見峠が他の古老の聞き取りのなかに何度も登場して興味深いです。

「B29がなんでここを通るのかというとね。琵琶湖の上でね、編隊組めば、下から攻撃受けせん」
 山の上から、B29を数えた。なぜ、この山を通るのか。琵琶湖の上で、編隊組めば攻撃を受けない。普段は、のんびり1機、2機と少年は数えていた。あるとき100機ばかりきた。名古屋の空襲の時でした。自分たちを攻撃することはないが、100機を山から見ている。その音を想像して、震えるのです。

「麻蒸のおかまを、親父が買いに行った。国見峠を越えて」
「しょうゆがし(しょうゆをしぼったかす)を、国見を越えて、滋賀県に仲間と買いに行った。ほな、いこかとよぼいあって、親たちが向かう。その声を布団の中で聞いたのを覚えとります」

 麻を蒸すおかまは38キロもあった。それを古老の父親がセタにのせて、峠を越えておんできた。「いかにもえらかった」。

 写真は琵琶湖です。琵琶湖は、大きいもの。海のようなもの。山は、半島のようでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?