せっぱつまって願った時のこと
「今日は、お仕事ございません」
事務所に電話して、その返事を聞いて、1か月以上がたつ。
今日も、声優の仕事は、入っていない。
一体、いつまで この状態は続くのだろうか?
大学に在学中から、声優を目指して、専門学校に通い
学友たちが、真面目に就職を決めた頃、
1人だけ、アルバイトをしながら、何とかプロダクションに潜り込み
仕事を待つ日々を過ごしていた。
しかし、実力もなく、絵にかいたような平凡な私に、
声優の仕事が、頻繁に入るわけもなく・・・
今では、声優=アニメという認識だろうが、
当時、私が目指していたのは、外画の吹き替えだった。
小さなスタジオにマイクを数本たて、
音をたてないように、順番にマイクの前に立ち、
画面の俳優の演技に合わせながら、セリフをしゃべっていく。
華やかさのない地味な作業だけれど、なかなか難しい。
主演者用には、専用マイクがあるが
私のように、たいしてセリフのない新人は、遠慮しつつ緊張しつつ
画面と違和感のないセリフを明確に言おうと必死になる。
まづい出来だと「オンリー」をとられる。
1人でマイクの前に立ち、オーケーをもらえるまで、
全員座っている中で、何回もやり直す・・・
どうでもいいような役で、
何回もオンリーをだすような新人は、必要がない。
したがって、当然のごとく、私には仕事が回ってこなかった。
どんなに仕事がこなくても、事務所には電話しないとならない。
もしかしたら・・・の可能性にかけて。
事務所では、二人の女性が電話対応してくれるのだが、
ベテランの女性は、感情を交えず、
「お仕事 ございません」と むしろ朗らか(?)に告げる。
新人の女性は、同情たっぷりに、湿った声で
「お仕事 ございません・・・・」と告げる。
どちららの応対がこたえるかというと、圧倒的に後者の方だ。
同情される立場にいるという事実に打ちのめされる。
当時、東北新社は憧れの会社だった。
外画の吹き替えが、多数行われ、自社で新人育成も行っていた。
赤坂見附の駅から数分歩き、かなり急な上り坂の先に、
件の東北新社は立っていた。
ある日何故か、東北新社に続く坂道と、
道を隔てたところに立っていた、豊川稲荷に立ち寄った。
東北新社への憧れが、足を向けさせたのかもしれない。
たくさんのお狐様に囲まれ、薄暗く、
大都会の真ん中とは思えない不気味な静けさの中、
まっすぐ本殿に向かい、中に上がり 畳に座り込み 祈った。
「お願いですから、仕事を入れてください」
1時間以上、その場所にいたと思う。
涙を流しながら、心底 真剣に祈った。
それほど、追い詰められていたのだろう。
祈り終わり、豊川稲荷を後にして、階段をおり、すぐ事務所に電話した。
「お仕事、2件入っています」
ベテラン事務員さんの声が、受話器から聞こえた。
いつもと、同じ明るい声。
私は、あたふたとメモをとり、しばし呆然とした。
願いをかなえていただけた・・・
素直にそう思えた。
今でも、そう信じている。
その後、もう一度 同じように真剣に祈り、
同じように、2件 仕事が入っていたことがある。
3度目は、邪念が入っていたせいか、神様に無視された。
当然の結果だ。
結局、声優への道は断念した。
その時も、大きな力が 働いたような気がしてならない。
そして、豊川稲荷で祈ったあの時、
仕事が入っていた衝撃は、生涯忘れられない。
どれだけ、私の弱り切った心が救われたことか・・・
あの、突き抜けるような喜びを、今も鮮烈に思いだす。
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