KeikiYokokawaMM20181215

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実際、もう泣きわめきたいくらいの感覚になってる。新基地建設に反対してる人たちへの暴言を聞いてしまったら暴れてしまうかもしれないくらいの感情の起伏を体感してる。ただ、ゲート前に立ち続ける人々は、特に途切れず立ち続けてる人たちは、僕とは比べものにならないくらい暴れ出したいはずなのに、その衝動を我慢して、努めて冷静になろうとしている。

14日当日の朝も、早朝から作業員の入場を防ごうと数十人が集まったのだが、阻止しながらも、工事のために来ていた車1台1台に頭を下げて、「帰って欲しい」と懇願する姿が見られた。そのほとんどが年配者だ。悠に還暦を通り越してる人たちばかり。その人たちは、ずっと戦い続けて来た。それこそ今のゲート前での戦いが始まる前から、在沖米軍の存在自体と戦って来た人も多い。そして、彼らの多くは本土復帰前の占領時代を知ってる世代でもある。

東京が目の当たりにした第2次世界大戦の敗戦後の占領は、それでも様々エピソードに満ちた時間だったのにもかかわらず、たった7年のことなのだが、沖縄はサンフランシスコ講和条約から20年、都合27年間米国というより米軍の占領下にあった。その占領下でも増え続けた米軍基地への反対運動は、その当時から連綿と続いて来てるもので、本土復帰前、沖縄の世論が湧いたのも、平和憲法のある祖国に復帰すれば米軍基地は減って行く、と信じてたからに違いない。なのに、今でも米軍基地は無くなる方向に向かってる、とはとても言えない状況にある。

僕自身で言えば、小学校1年生の時に沖縄は本土復帰した。だから、両親が新婚旅行で行った沖縄はパスポートが必要だった。通過はドルが使われてて、車は右側通行、議会はあるものの、その決定を覆す統治主がいて、それはアメリカの軍人だった。

そんな世界観を僕の年代の人たちですら記憶に残している。「高い城の男」の真逆だが、あの小説に出てくる抑圧は姿を変えて存在してたに違いない。統治をした米軍の連中は、別に民主主義の先生だったわけじゃ無いのだよ。

僕が生まれ育った横浜にも基地があった。子どもの頃は、まだフェンスの向こう側があったし、横浜駅周辺とか関内駅周辺には、日曜日に家族連れで繰り出す米兵の姿があり、その存在に敵視をすることは無かった。沖縄でも僕らと同じような感情を持った世代もいるのかも知れない。でも、少なからずアメリカの占領時代を知ってる人々は、米軍基地が存在する場所が奪われた土地であることを知っている。そして、その土地のすべてが沖縄に戻されるのは随分と遠い先になるだろうことも知っている。

だからこそだ、だからこそ新しい基地が作られることを容認するわけには行かないとも考えている。当たり前だ。米軍基地は日本の本土で劇的に減って行ったのと同時に、沖縄には逆に増えた。そんなシンプルな歴史的事実すら本土では共有されていない。そして、本土の多くの人間は、そんな沖縄への代償として「十分な金を払ってるからしょうがない」とか、「
日本という国の防衛のためにはしょうがない」という、およそ事実関係とは違うと言い切っていいほどの負担をひとり沖縄に負わせ続けてる。

沖縄の人々はシンプルに抗ってきた。占領時代、米軍に抗うのと同じように、日本政府を相手に抗った。選挙では、「消極的基地容認」の候補者が勝つことがあったとしても、「積極的に基地残存」を訴えて勝てるような候補者は未だかつていない。将来的には基地負担を無くすことを何度も何度も訴え、何度も何度も約束を反故にされて来た。

だから、ゲート前でも、海でも、山の中でも、反対の意思を示し続けなければならなかったのだ。彼らのシンプルな願いは、「まずは日本の中の他の土地と同じ扱いをしろ」という、およそ憲法にも保障された基本的人権の問題。それをいとも簡単に、まるで当たり前かのように蹂躙されてしまったら、そりゃ中央の政府がどんな決定を下そうが、どんな無茶なやり方で、自分たちの同胞たちの鼻面に無理やり人参をぶら下げられる様なことをされ続けても、やはりそれぞれの直面する場所に立ち続けるしか無いのだ。

「勇気をもらう」。
確かにね。

でも、僕の感覚では、「恥ずかしい」がまず最初に来る。
なぜ、あのオジイやオバアにあんな真似をさせ続けなければならないのかと言えば、沖縄が選挙でいくら勝っても、本土で僕らが負けるからだ。沖縄でいくら声を上げても、僕らは争い続ける気力をついつい忘れてしまうからだ。

どんな理屈をつけようと、あの海に、あんな土砂を放り込むことを、もし自分の街で起こったら全力で反対するだろう。自分の家の窓から見える水平線を遮るように、コンクリートで固められた滑走路が出来ると想像したら、きっとSNSに一言文句くらいは書くだろうよ。

どこかで他人事でい続ける。
僕らはいつの間にか、そういう訓練を受けてるようだ。
騒ぎは限定された人々の間でグルグルと自転するだけで終わると誰もがあきらめてる。

なにもかもが、僕らの思い通りになるなんて思っちゃいない。「きっと上手くいく」なんて無責任に叫べない。そりゃわかるよね、だって、ほとんどの人々が日々生活の中で不成功体験を押し付けられてるんだからさ。でもね、彼らが押し付けてくる「自重しろ」「そうすれば上手くいく」という言葉以上の真理があることにも気付いた方がいい。

「抗わなければ支配される」
「やり出さなければ始まらない」

これは正真正銘の真理。


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