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私は自分がブスなのを知っている

私は自分がブスなのを知っている。『せ〜の!そんなコトないですよ〜!』
いや、それ待ちではない。
私はブスだデブだとそう言われながら仕事をして来た。その反面、鏡の前で自分が1番よく見える角度の顔をしては、そんな言うほどブスではないじゃないか、何ならイケてるんじゃないかと思う自分もいる。

私は自分に自信を持つ事を許されずに育ち(前にTwitterで少し書いたが、母は祖母を嫌うが故に祖母が私の顔立ちを褒めるとワザと大きな溜息をつき「は〜、馬鹿みたい」と必ず言うのだった)職場は美しさと若さが求められる環境だった。
私は、いる場所を間違えてるのにその間違いに全く気付かず全く気付けず、長年ババアとかデブと言われるのをそりゃそうだなと甘んじて受けていたのだ。

こんなブスなババアがニヤニヤ好き好き光線出してたら學長(私が好きなバンドのベーシスト )キモイだろうなと、毎度毎度あらぬ妄想を炸裂させてるクセにふと我に返って思うコトがある。

同じくらいの顔面、もしくは美人度から言ったら下と言われる人でも自分に自信のある人の顔は美人認定されると思っている。
そこには自分の容姿への純粋な自信と共に内面への自信も大きく関係しているのではないかと思う。
そう。私は内面にも自信がないのだ。
『私みたいなもんが』と常に思って生きている人間は少し小綺麗にしてくらいではちょっと会ってるうちに化けの皮が剥がれる。まあそれが私だ。

それにしても私は何故こうも顔面顔面と顔にこだわるんだろうか?醜形恐怖症とはまた違う全ての自信のなさを分かりやすく説明出来るのが『顔』だったのだろうか?

台湾のお姫様病(世にも恐ろしい治らない病気)まで行かずとも、その1/10くらいは自分に自信を持てるように徐々に自分をマインドコントロールして令和を生きて行きたい(今更と言われようが仕方ない。この年まで治せずに生きて来たのだから)

とは言うもののどんなに自分に自信が持てる日が来ても私は自分がブスであるコトは決して忘れない。
自分がブスであるコトに気付きもしないで、もしくは棚に上げ他人をブスとか言う人はホントおブス。
おブスって言葉便利だね。ちょっとブスが和らぐ。ちょっと日和ったね。ホントは『ホントにブスだぜ』って言いたい。
ブスって言うやつがブス!や〜いや〜いブ〜スブ〜ス!なのである。

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