6/12 上下や優劣で決められた関係は友達にはなれない。

感情日記 6月12日


数日ぶりだ。ここ2,3日でも色んな感情や思ったことがあったのに、やっぱりすぐに忘れてしまう。今の感情を書き出すだけで精いっぱいだったりする。ここ2,3日は書くことすら億劫になってしまうくらいのことだったこと、後はいずれ知り合いにこれを見られるかもしれない事への恐怖から書けなくなっていた。


今日は特別恐怖に駆られた日だった。いや、まあいつもと同じか。立ち上げたプロジェクトがもうすぐ終わりそうなところで、自分の判断力が鈍くなってしまっていたせいで色々と長引くようなことをしてしまった。自分たちの本来やりたいことではないところを私がOKサインを出してしまった。

今の自分は誰かと衝突することも、ぶつかることも、意見を言い合うことも、たまらなく怖い。一つ意見を言おうとするのに12時間くらいの時間が必要だ。それくらいバリケードが薄くて、相手からの意見や押しに弱くなっている。怖い。

あとは人を上に置きがち。「自分は友達や友人としての価値に値しない人間だ」と思っているから、友達に連絡を取るのが物凄く怖い。特にプロジェクトや色々進める中で意見を言わないといけない時、今の自分は本気で何もできていないから、前に進んでる友達を自分よりも上に置いてしまっていて、話すことが怖い。「自分は何もできていないから説得力がない」と思ってしまっている。

今でも連絡を取るのが怖くなっている。本当はすぐにでもしないといけないことはわかってるし、そんな自分で焦ってまた怖くなっている。



自分でも何を書いているのかよくわからないけど、
とりあえず書くだけ書いて残しておこう。


友達に優劣や上下をつけること。

これは自分でもそうだし、相手でもそう。
これをつけ始めると、相手にもこれが伝わるし、
もしそうされていたら相手からも伝わる。

上下や優劣をつけた関係なんて、長く持つはずがない。
それを友達だと私は呼びたくないし呼べない。


だからこそ、今自分がやっている「相手を上に見る、相手が自分よりも優れていて自分は劣っている」という見方をしてる限りは、相手とコンタクトを取ることがとても怖いんだ。


これは別に、友達の大切さとか重要さの背比べをしてるわけではなくて
自分に取って大切な人だとか、そうじゃない人だとかそこの比べるところじゃなくて

能力がある、できるやつだから上だ、能力が無い、できないやつだから下だとか、そういう見方自体に私は違和感を物凄く感じる。


自分が成り下がって相手とコンタクトを取ると、上手く相手との関係を続けられない。自分が相手よりも上だと思って接すると、相手が成り下がればそれはそれで成り立つかもしれないけれど相手は依存してくるだろうし、あるいは相手はマウンティングを取っていると感じて距離を置くことになるだろう。


友達っていうのは、上下や優劣で決めない関係だからこそ成り立つものだと思っている。


だからこそ今の自分は、それをつけようとしていることに違和感を感じているし、その見方をしているままコンタクトを取ることが怖いのだ。




「自分の考えていることや意識が、そのまま現実に反映される」


前の日記で、こんなことはどうでもいいと思うようになったと
書いていたけれど

どうしても今の自分にはこの概念が変えられなくて

だからこそ、今のこの「友達の上下・優劣の意識」をしている自分のまま
友達と連絡を取るのが怖いんだ。





どこまでも、対等である意識でいたい。

本当に友達でいたいのなら、そういった意識が
私にとっては凄く大切なのかもしれない。


友達からしたら「???」「なんでそんなに重たく考えてんの?」って
思われるかもしれないけど



いいんだ。私は私で考えまくりたい時なんだ。

これがいつか報われる時だってくるかもしれないんだから。



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