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言葉の重み。2021/9/30



自分の言葉に説得力がない。


何を言っても伝わらないような気がする。


 

この半年、特にそう思うようになった。

 
 



現に自分の周りで、

声をかけたいと思う人がいる。

言いたいことがある。
 

けれど、自分の中途半端な言葉で、

今のような酷い状態の自分では

何も響かない。伝わらない気がする。



そんな自分の中身のない言葉だけを

いくら投げかけられても

何も感じないことくらい、

自分が一番良くわかってる。



エセの励ましほど要らないものはない。

言葉に気持ちがこもってないなら

言葉を行動に移せないのなら

それはなんの意味もない。




だからこそ私は

自分の発言に、重みを持たせたい。



沢山考え、感じ

デメリットや絶望も知った上で、

それでも

その言葉を使いたいんだと


そう言わんばかりのような。

そんな発言ができるようになりたい。




そのためにはまず

自分自身を立て直すことが

何より必要なことで



しかし

今の自分はただでさえ

生きてるだけで精一杯で

むしろ助けられたい側にいる。



だから

今声をかけたい相手には何もできない。

自分の言葉では、
今の自分の力では何もできない。

というか何も残ってない。

それが物凄く悔しく、悲しい。





今も本気で向き合いたい相手がいる。

本気でぶつかりたい相手がいる。

大切な人が苦しいと知っていながら

自分自身は自分のことで精いっぱいで

何ひとつできないことが

悔しい。





でもだからこそ私は

今もこうやって自分と

向き合い続けなければならない。



相手と向き合うには、まず自分から。





自分に寄り添うことができない人に
他人に寄り添うことはできないし

自分と向き合うことができない人に
他人と向き合うこともできない。


根っから自分に優しくなれない人が
本当の意味で人に優しくできるわけがない。


たとえ数日、数ヶ月は
それが可能だったとしても
 
 
いずれ
心はすり減り、消耗し
長くは続けられなくなる。




本気でその人を大切にしたいなら

これからずっと大切にしていきたいなら

数日、数ヶ月の優しさや努力では

どうにもならないんだと


 

私はこの2年で

強く強く

痛いほど感じてきた。





だからこそ、今私は

私が自分と本気で向き合い
人に助けを借りる、心を開く勇気を持ち

自分がこれまでに負った
思い出したくもないような
大きな大きな傷に
寄り添う努力をしなければならない。






大切にしたい人がいる。

向き合いたい人がいる。



そしてこれからも、
そんな人たちが
きっと沢山増える。





だから私は、この

地の地についた底辺からやり直したい。







少し話は変わるけど


もし今、彼らが命を経ってしまったら

私はそれを一生背負って生きていくんだと思う。


そしてそうなる可能性は

考えたくないけれど
考えれば考えるほど
十分にあると思った。



もし本当にそうなったら?
それは嫌だ。本当に嫌だ。



だけど

今の自分では何も変えられない。

今の自分の状態じゃ、何も言えない。



彼らの人生は彼らのもので
私に死を止める権利はない。
 
 

本当に死を考えている人間に
 
簡単に「死なないで」なんて
 
無責任な事は言えない。
 

それは
私自身がそっち側に
立ったことがあるからこそ
 

何気なく言われるその言葉に
どれだけ苦しめられるのか
 

それを私自身が体感してきたから。

発言に重みが感じられないなら尚更だ。



 

だから、
 
そうなるかもしれない可能性も

それに対しての覚悟も

腹に決めながら




私はいま、

自分にできることをやる。しかない。


まず先に、自分を癒やす。

自分に寄り添う。

自分の傷を癒やす。

自分の感情一つ一つを大切にする。

自分の見たくもない感情と
向き合う努力をする。


自分に精神的な余裕を持たせる。


まずは自分が、幸せになる。


 

それが、一番最短で、
大切な人を大切にできる
方法なんだと

この2年、死ぬほど考え続けた私は
そう決断した。




この道は、正直言って物凄く辛い。


直接的には何も相手に出来ないから。


今の自分では、何もできないと
そう認めなければ、前には進めないから。


自分の無力さを認め、受け入れなければ
この決断はできないから。



罪悪感、虚しさ、悔しさ
色んな感情が

大切な人たちのことを
考える度に出てくる。

そしてそのたびに、

まずは自分が幸せになること
自分が先に楽になることを

決め直さなければならない。



今まで自己犠牲をすることしか
知らなかった私にとっては

本当に、本当に苦しい。辛い。

自分が苦しんででも、血を吐いてでも
大切な人に笑ってて欲しいと
強く強く願ってきたから。


でもそれじゃ上手く行かないんだ。



もし、強く強く願うならば、

自分が1番
目を背けてきた事に
向き合わなきゃいけないんだ。



自分自身を1番に幸せにすること。


まずは自分が笑うこと。

心から笑顔になること。

心を癒やすこと。

それが何よりの、近道。




がんばるぞ。







最後に。


自分の人生にとって

何が一番大切なのか。



それは

夢じゃない。技術でもない。

誰かからの承認でも、

薄っぺらく並べた言葉でもない。




毎日の中で

どれだけ愛おしいと思えるか。

だと思った。



久々に、今日

夕方の空が綺麗に思えた。




薄暗くなる町の中で

横断歩道をおばあちゃんと渡る女の子や

ママチャリで移動するお母さん

帰る途中で信号を待っているお父さん

それぞれ家に帰っていく人たち。

子犬と散歩する人

公園で夕日を見ながら浸るカップル

漁師船を点検するおじいさん


信号の音、船のきしむ音、

電車がガタンゴトンと通る音、

自転車のブレーキ音でさえも




なんだか

とても愛おしく思えた。



そんな気持ち、久しく感じてなかったから

なんだかとても嬉しかった。




きっと私が

一生大切にしたいのは

こんな気持ちなんだろう。





たとえ途中でブレたとしても

大事な時にはこれを思い出して

毎日を、愛しい毎日を

たどっていけるように


やれることをやっていこう。






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