7・1 人間の誰しもが否定されるべき存在ではない。

感情日記 7月1日

しばらく時間が空いた。もう7月になってしまった。
ここ1週間ほど忙しかったのと、
もう前みたいに感情をバラバラと吐き出さなくてもよくなった。笑

 

1か月前の絶望の中にいる自分が、今の自分を見たらどう思うだろう。


あの時はもう、一生このままだと本気で思ってた。



全ての事から逃げたし、人生からも逃げた。全部投げ出したし、

問題が起きても全く対処ができなかった。

それでもいいやと思った。どうでもよくなってた。




そしてそうやって逃げていると、怖いことがどんどん起きた。

自分のせいで計画していたものにトラブルが起きた。自分のミスで。

私はそれを隠そうとした。


自分が責められるのが怖かったから。


自分で自分のことを認めてなかったから、
他人から自分を責められることが怖かった。

自分で堂々と生きられないって言うのは、
こんなにも苦しいものなのか、と感じていた。


あの時私が願っていたのは、
「別に夢も希望もなくても良いから、せめて楽に生きられるようになりたい。」

だった。

でも、そうするためには、
向き合わないといけないことがあった。


親とのことだった。


死ぬのは怖かった。死ぬのは有り得なかった。私の場合は。
それほどの勇気も持ち合わせてなかった。

でも何も動きたくなかった。何もできなかった。


だから、私は引きこもりの人や鬱病の人の気持ちは、普通の人よりかはだいぶわかる方だと思う。完全な鬱病は体験したことはないけれど。

そういう人たちを責めることなんて絶対にしないし、その人たちを理解できる自負はある。ただ、責めるのではなくて「自分が導き出した事実の意見」を伝えたいとは思う。


過去の私のように、相手は全く責めてるつもりはなくて
ただ「事実」を話しているだけなのに

責められたように感じて、攻撃したり、逃げたり、連絡が取れなくなったり、泣いてしまったりする人がとても多い気がする。


それば別に、怒るなとか、逃げるなとか、返信を早くしろとか泣くなとかそういうことが言いたいんじゃなくて。


ただ、そういう「事実」を私の「目」は見てきたってこと。
これは私にとっては事実だけど、誰かにとっては違うかもしれない。

でも私はこれが本当だと思ってる。


そうやって責められたように感じる人は、幼少期に何らかのことで親から自分の存在を責められたと感じた・もしくは周りにその人の存在ごと責められていた人を見た、のどちらかじゃないかなと思う。

特に多いのは母親だと思うけど。



そういう過去の記憶から、「自分は責められる人間だ」と勘違いして、
今でもそれを引きずっている人が多い気がする。



人間誰も、存在自体を否定されるわけないんだよ。



犯罪であったりだとか、誰かを傷つけたときに

その「行動」をしてしまったことに対しての
「責任」や「謝罪」は必要になってくると思う。
それは、一瞬謝ればいいことなのか
数年単位で償わなければならないものなのかはわからない。


でも、だからといって

自分自身の「存在」までもを
否定する必要は絶対にない。



私はそう断言できる。


何故か?


犯罪を犯した人も、別に小さいころから
犯罪を犯したくて生まれてきたわけじゃないから。

何かをやらかしてしまった人も、
別に故意にやらかそうと思ってした人じゃないから。



人はみんな、できれば楽しく生きてたいし
お金や時間に余裕を持ったりとか、人を殺したくなんてないと思う。

でも、幼少期に誰かにひどい目にあったりだとか、親から言われた言葉とかで
そうならざるを得なかったんだと思う。


だから、犯罪や人を傷つける「行動」に対してはきちんと処罰は与えるべきかもしれないけれど

犯罪や人を傷つけた「人」に対しては、処罰以外のもう1つ他の取り組みが必要になってくると思う。



ほんとはみんな平和に生きたいのに、戦争をしてしまうのも

ほんとはみんな仲良くしたいのに、喧嘩をしてしまうのも



どこかで「分かり合えない」と思ってしまっているからだ。



ここまで大げさじゃなかったとしても


恋人がDV野郎だったとか
親が毒親だったとか
上司が怒鳴り散らす人だとか

色んな問題に対して、同じことが言える。

「その人は、そうならざるを得ない状況があったからそうなっている。」

誰も怒りたくはないよ。
誰も暴力なんかしたくないよ。
誰も子供に対して過剰にコントロールなんかしたくないよ。




これが深く理解出来たら、地上にいるほとんどの人間のことが

同意はできなくとも、理解ができるようになると思う。

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