京北中での3年間 vol.2

大変長らく時間が空いちゃいました。
この時期の自分のバスケットを振り返って、何を伝えたいんだろうと考えると、手がとまりました。カッコつけがちが陥る現象なのかなと思います。プライド捨てるにもプライドがいることを思い出させられました。まだまだ未熟です。

前回の記事では、中学校1年生での出来事を書きました。
今回の記事では、中学2年生での出来事がメインになります。
3年生が抜けた後の新人戦にて、少しずつプレイタイムを獲得でき、学校生活にも慣れてきた中学2年生の4月の始業式。

「慶次郎もあそこに立ちたいか?」この一言が、
また僕の中学生活を刺激的なものに、、、

中学2年生に学年があがる少し前に時期、3月中旬頃に開催される大きな大会があった。Jr.オールスターだ。

Jr.オールスターは、47都道府県で選抜チームを作り、東京体育館で行われる全国大会だ。当時の京北中からは6人選出されていたが、その中に自分はいなかった。京北中での試合で特に出場機会の多い選手上から6名といった感じだ。僕は取り残されたような感覚で、非常に悔しかった。
東京代表は、決勝戦で北海道に敗北し、準優勝で大会を終えた。

「慶次郎もあそこに立ちたいか?」東京代表選手として全国大会に出場をした6名が、全校集会でステージに登壇している光景を眺めながら、ぼそっと田代先生(京北中学校のバスケ部監督)がつぶやいた。
思いがけないタイミングで、「1年後」どうなっていたいかという明確な目標ができてしまった。

僕は、自分の人生を振り返った時によく感じることがある。
人との出会い・巡り合わせと環境について、つくづく幸運だったなぁと。まさしくラッキーボーイとは僕のことだとよく思うときがある。
※あんまりイタイ人だと思わないでほしいです。笑

話が少し逸れてしまったが、僕の中学生活が刺激的なものになった理由は他にもある。新入生の入学だ。京北中には、毎年有望な生徒が入学してくる。そう、僕の一つ下の代は、彼らが中学3年生の時に全国制覇を成し遂げたメンバーである。せっかく獲得したプレイタイムを奪われるのでは?という不安に襲われた。

伊藤達哉、三上健人、木林毅この3人の入学は、当時僕からするとチームが強くなるという期待感と自分の出場機会が奪われるという不安があった。
春の都大会、夏の都大会、関東大会、全国大会と続く中で、結局彼らに出場機会を奪われることはなかった。

中学2年生のバスケ生活の出来事の中で、一番大きな出来事は「全国大会」に出場できたこと。ミニバスでは、全国大会に出場が叶わなかったため、初めての全国大会を経験。
自分たちの実力がどの程度なのか、正直測りかねる部分があって、無心で臨んだ全国大会だったけど、結局終わってみれば全国2位という大成果。

決勝戦で敗北した後、正直、悔しくない自分がいて、周囲のプレイヤーが泣いているのを見て、泣いたことを覚えている。悔しいと思われていないと思われるのが嫌で。こんなくだらないことはないなと思い、この試合以降、試合に負けて泣いたことはない。

全国大会出場という経験は、万人ができる経験ではない。
更に、経験をしたことによる自信が桁違いにプレイに影響されることに気づいたのは、新人戦の時だ。(3年生が引退し、2年生である自分が最上級学年)そのお陰もあって、昨年悔しい思いをしたJr.オールスターへの出場切符を勝ち取ることができた。

大会結果は、昨年同様北海道に敗北し、全国ベスト4という結果で終了した。

3年生の春、僕は全校生徒の前で表彰された。
人生において目標があるということは素晴らしいことであり、願ったことは叶うということを学ぶことができた。もしも、1年前に田代先生に「慶次郎もあそこに立ちたいか?」と声をかけてもらっていなかったら、どうなっていたのだろう。
今振り返って客観的に自分を見て思うことだが、先生が声をかけたくなる選手であれたのかもしれないなと思う。声をかけてもらったのは、偶然ではなく手繰り寄せたもので、また、1年後に登壇するにいたったのも、きっと手繰り寄せたのだろう。

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