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「いまはもう、人生を語ろう」#9 ZOOとFREEDOM,浜松湖東高校時代のバンドの話

というわけで誰も読んでないだろうが自分の音楽歴を書いているシリーズ。浜松湖東高校時代は結構マジで吹奏楽部でトランペットを吹きながら、同時にバンドもやっていた。最初にやったバンドがZOOでロックンロールなパーティバンド、そして高校後半にやったのがジミ・ヘンドリックスのコピーバンドのFreedomだった。

Zooは絵に描いたような「高校に入ったらバンド組む」っといったバンドで、前回書いたように、ブラスの仲間と組んだバンドだった。

今思えば、全くもって「青春デンデケ」みたいな、絵に描いたようなエピソードだが、Zooの最初の頃は「練習スタジオ」という概念を持っていなかったので、ギターの相方の花島の家のガレージで(花島は幼稚園からの同級生で俺の家の近くで結構住宅密集地)そこに垣野内のドラムを持ち込み(どうやってもちこんだのか? ガレージなら車はあったのか?)アンプも持ち込んで(どうやって?)バンド初期のカオスのような大音量練習をしていた。
防音の「ぼ」の時もしていないので、あたりまえだが近所の人か警察に通報されて、パトカーが来て辞めるように注意される、というエピソードがある。
いまなら「嘘だろう」と思えるようなエピソードだが、これがマジだったから面白いし、我ながらバンド人生のスタートしては微笑ましい。
たぶんおまわりさんが来たときにヘルタースケルターを死ぬほど繰り返しやってた。映画みたいだな。

Zooは典型的な文化祭バンドであって、デビューが高校一年の文化祭、やった場所は視聴覚教室、やった曲はボーカル青柳の強い主張で「あんたのバラード」を含め、スモーク・オン・ザ・ウオーター、ハイウェイスター(望月の家で聴かせてもらってシビれた)、あとゲットバックとなんかやったっけ? ビートルズとパープルと世良公則という、まさに高校生の文化祭っぽいやつだった。
その後、浜松のアオイ楽器の練習スタジオに通うようになり、アオイ楽器の主催イベントではじめて学外でのライブをやった。

その時の写真を発掘したので載せておく。
たぶん出演者のトリがイザベラで、そのドラムを使わせてもらったんだろう、シンバルのライド側が壁見みたくなっていて、ドラムの垣野内が写っていない。右端のギターが俺、左端のギターが花島、リッケンのベースを弾いているのが松下、ボーカルが青柳だ。これがZoo

初舞台はまだエフェクターを持っていなくて、マーシャル直だった。このマーシャルもたぶんイザベラの田中さんのやつを借りた。写っていないが白いカールコードだったと思う。ボリュームが小さかったので、全然歪まない音でスモークオンザウオーターとかやって多分酷かったと思うが、人生初ライブのことはよく覚えている。楽しかった。
ギターはフェルナンデスのレスポールのコピー。矢島屋の渡辺さんから買った。竹田和夫モデルで、塗装は半艶消しのサンバーストで、バーブリッジになっていた。バーブリッジはまったくオクターブピッチが悪すぎたので後日バダスブリッジに交換してもらった。わりといいギターだったが、レスポールがうまく使えず、東京に出た後で高校時代の友だちにあげたか、何かと交換してしまった気がする。

ZOOその後文化祭は毎年出た。途中からベースが松下から佐藤に変わった。松下は吹奏楽のホルンに専念したい、という音楽的志向の相違が脱退理由。高校三年頃にZooにはギターに西岡が加わってトリプルギターとなった。
高2ぐらいでストーンズの曲もやるようになった。高3で何をやったかは、もう覚えてないが、さすがにパープルは最初の年だけだったと思う。学外のライブもたまにでた。このバンドは青柳のボーカルが図抜けていたので、たぶんそこそこ人気はあったのだと思う。知らない高校の女子にZooの人ですか、と言われたことはあった。

Zooは楽しかったが、基本的にパーティバンドであって、好きな曲を持ち寄ってはただただ演奏するバンドだった。まぁ、ロックバンドなんてそれでいいし、それが正しいありかた。
とはいえ、少しはマジに音楽、というかエレキギターを突き詰めたい気持ちがあったのと、初ライブの時もそうだったが、地元浜松で当時よく演奏していたジミ・ヘンドリックスのコピーバンド、イザベラにシビれていたこともあり、ジミヘンの曲を演奏するようになり、Zooの佐藤とギターの西岡にドラムを叩いてもらって、Freedomというギタートリオを結成した。Freedomではジミヘンの曲しかやらなかった。(1回だけジョニー・ルイス・アンド・チャーのトライシクルという曲をやったことがあった。インストで難しかった。)
Freedomはわりとはっきり俺が組んだ、というかリーダー的な立ち振る舞いをしていたので、意思決定が速く、わりとライブに出ていた気がする、文化祭でもやったし、予餞会的な物でもやったし、学外でもやった。高校の後輩で全員美男子のジャニーズ的なバンド、レイバンってのがあって、これがもうあり得ないぐらい女子にもてていたんだが、彼らが解散するとき、大学生になっていた俺と佐藤とドラムはたぶんトラで近藤(太田の友人)に頼んでヤマハの4階のホールでレイバン解散コンサートの前座をやったのを覚えている。これがFreedomの最後の演奏だった(現状)。

ZooだけでなくFreedomをやったのは大きかった。ジミヘンの音楽にかなり真剣に向かい合ったし、音楽を即興でなんとでもしてしまうトリオというバンド形態の自由度の楽しさ、さらに言えばノイズやフィードバックの美しさと快楽の発見、自分がフロントでメインで歌うことなど、いろんなことを学ぶことができた。Zooだけだったら大騒ぎのパーティーバンドで終わるところだった。

高校時代、Zoo近辺では、花島のフュージョンバンドも良かった。ドラムが斉田でサックスが宮野、ベースが一つ下の稲川だったと思う。早熟なことにプリズムをやっていた。

あと同じクラスのギターの子もロックバンドをやっていたし、直接の付き合いはないが同級生がRCサクセションとかパンクをやっていた。

高校時代のロックバンドの思い出は、本当に楽しいもので、今の俺の中でも宝物のような思い出だ。
そして何よりここで出会った青柳、佐藤とは東京でも「はる」というバンドを組んでプロ活動をすることになるが、それはまた別のお話。

↑ ボーカルが青柳享、ベースが佐藤正則(作詞・作曲も)、ギターが俺、池谷恵司 浜松湖東高校の同級生

次回は湖東高校吹奏楽のコンテストと第1回定期演奏会開催の話を中心に書くつもり。

さて、こちらが、私のアコースティックギターの最終到達点であった、マーティンのD-35。いいギターです。最近全然弾く機会がなくなってしまって、倉庫に入っていたのでもったいないと思い、友人の中古ギターショップに委託販売品としておいてもらっている。売れたら嬉しいが、売れなかったら一緒に燃やしてもらうか。いや、もったいないので、誰かに弾いてもらいたい。響がギターを弾ければ喜んで譲るんだが。

ギターショップ浜松ビレッジにある俺のマーティン D-35

https://village335.jimdofree.com/martin/






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