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仕事の記録 ヤマハデジタルミキサー導入事例 専門学校ESPエンタテイメント東京

ESPといえば、僕が若い頃知っていたのはギター制作者を養成する専門学校だった。
二つほど思い出がある、一つは佐久間正英さんのボーヤをやっていた頃のこと。佐久間さんが当時四人囃子の再結成をやるということになり、ベースとギターのローディをやったのだが、同時に当時日本でエンジニアをしたマイケル・ズィマイリングも佐久間さんの所にいて、そのローディもやっていた。片言の英語でマイケルと話していたわけだが、なぜか四人囃子の再結成のライブスタッフにESPの関係者がいて、マイケルとやりとりをしている俺が英語ができると勘違いし、なんとESPでのジョージ・リンチのワークショップで通訳をしてほしいと言うオファーがあった。
その時はライブも終わって、暇にしていたのと、まぁ失うものなんて何もなかったので、その通訳のオファーを受けたのだった。

そして当日、ジョージ・リンチの通訳をしたが、まぁ詐欺みたいな通訳だったのと、半分以上が専門用語だったので、なんとか意味は分かったが、ジョージ本人も「?」だったし、ESP関係者にもあーべつにしゃべれるわけじゃないんだ、というのがバレバレだった。もちろん二度とオファーはなかった。
面白かったのがジョージリンチとそのガールフレンド、そして俺をESPの人が昼食に連れて行ったことで、ランチでしゃべったジョージリンチの話は面白かった気がする。覚えていないが。食べたのは目白通り沿いのビルの2階の天ぷらだったのはよく覚えている。ジョージ・リンチがメッシュ状に穴が空いたピックで大根おろしが入った天つゆを漉していたのを、ガールフレンドがChiildishとたしなめていた。

人生なんでも経験しておくもんだな。

もう一つは、ぐっと時代が下って、 村上ポンタ秀一の本の出版記念ライブ+トークショーだ。

2003年だったようだ。このとき響も連れて家族で今回取材したこのホールで見たのだった。トークショーはポンタのアルバムの山下達郎のカバー「LOVE SPACE」のドラムのイントロのソロから始まったのをよく覚えている。
あとはポンタのトークだったが、途中響が泣いて、それを受けて「俺の隠し子?」とポンタがすぐ言ったのだった。懐かしい。うちは家族そろってポンタと仙波清彦さんの大ファンなのだ。


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