桐咲くや父死後のわが遠目癖 森澄雄

第二句集『花眼』(牧羊社、1969)より。59年の作。

澄雄が父を喪ったのは前年58年10月23日。
「花眼」とはカガンと読み、中国語で老眼、酔眼のこと。「花」の字には「くらむ」という意味があり(「眼花」となれば目がかすむの意)、おそらくはその由来だろうが、字面からは、机上の文を閲するより遠くの淡い花をぼうっと眺めるのに適した眼、もしくは齢ということを思わせる。
淡いものを淡いまま捉える則天の境地。 題の美しさにより昇華される句がいくつもある。

同集中より、〈青嶺昏るるまで純粋にランプの炎〉〈力溜めて天牛はふわーんと翔つ〉〈明るくてまだ冷たくて流し雛〉〈田のみどり蘇枋は明日のごとく咲く〉〈父の死顔そこを冬日の白レグホン〉〈花木槿美作に来て汗白し〉〈炭の香に妻の香が消え夜寒の手〉〈雪国に子を生んでこの深まなざし〉など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?