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龍臥邸事件

名探偵とその助手が事件を解決するパターンと言えば、やはりコナンドイルが生み出したホームズとワトソンのコンビが思い出されます。このスタイルは多くのミステリ愛好家に親しまれており、後の推理小説でもこれを踏襲した作品がたくさんありますね。ところで、もしこの助手が単独で難事件に遭遇してしまったらどうなるのでしょう。見事解決できるのか、それとも結局、一人で解決できずに誰かの手を借りる事になるのか、とても興味があります。もちろん、プロの作家たるもの、おもしろそうだけで作品にはしませんね。別に深い意図があったりするのです。
『龍臥亭事件』は、大御所島田荘司が96年に発表した長編ミステリーです。数々の難事件を解決してきた名探偵御手洗潔が日本を去り、怠惰な日々を送っていた助手役の石岡和己のところへ、若い女性がやってきます。彼女は自分の呪われた運命を変えるために、樹の根元に埋まっている手首を掘り出さなければならないと言います。いっしょに探して欲しいと頼まれ、渋々つきあうはめになる石岡、そして山奥の小さな村までやってきてしまいます。そこで彼らの前に出現したのは、巨大な龍の形を模した古い旅館、龍臥亭だった‥‥。やがて幕を開ける壮絶な連続殺人事件、石岡はたったひとりでこの事件を解決できるのか。
この作品、おそらく島田荘司の作品のなかでは最も長編になるのではないでしょうか。単純に本の物量からいっても、大作「アトポス」の厚さで上下巻という途方もない大長編です。これほどの長編になると、内容によっては読むのが苦行になりますが、これは別の意味で苦行になりました。続きが気になって途中で中断できないのです。そこそこの長さなら、一晩で読む事も出来ますが、ここまで長いと大変です。朝から読み始めて気がついたら飲まず食わずで夜になってたとか、夕方から読み始めて気がついたら寝るのを忘れて朝になってたとか、本当にあり得る事態で、実に困ったものです。冒頭からいきなり、呪いを解くために手首を探してくれととんでもない依頼をされるところから、もうすでに物語に飲み込まれます。どういう発想をすればこんな依頼を考えだせるのか。そしてミステリー好きにはたまらない、人里離れた山奥の小さな村が舞台で起こる連続殺人事件、それも密室殺人をはじめとしての不可能殺人のオンパレード、もちろん、本格推理小説に必須のクビ無し死体や、村の忌まわしい過去の事件など、王道ミステリー要素が満載で、どんどん読み進んでしまいます。しかし、この作品の魅力はそれだけではありません。なにしろ、今回初めて助手役に過ぎなかった石岡君がひとりで事件を解決しなければならない事態に追い込まれます。凡人の石岡君が天才系名探偵の御手洗潔の真似をしながら必死に事件解決に奔走する姿が、自分にダブってきて、この先どうなるのか事件は解決できるのか、心配で頁をめくる手が止まりません。筆者は「石岡君に事件を解決してもらおうと思ったらこんな長編になてしまった」と語っています。助手が単独で難事件に遭遇したらどうなるか、そんな視点で書かれた本作ですが、実際に作者が意図したのがそれだけだったのか、苦難の果てに事件を何とか解決した石岡君が村を去るラストシーで、私が思い出したのは一連の横溝正史の金田一耕助シリーズでした。おそらく日本で最も有名な愛すべき名探偵金田一耕助ですが、ミステリ愛好家の間では、実は金田一耕助は名探偵でも何でもないとの評価もされており、その点に関しては、かつて私も映画「病院坂の首縊りの家」のレビューで書いた通りで、そもそも、横溝作品は推理小説よりも悲劇小説としての要素が濃いので、探偵役はどうしても事件解決よりも単なる事件の語り手になってしまうのです。そう、まさしくこの『龍臥亭事件』もそのパターンなのです。ミステリー界の巨人横溝正史が確立した本格推理の神髄でもある、運命に翻弄される人々が招いた殺人事件の悲劇を描くために必要なのは、頭脳明晰な神のごとく名探偵御手洗潔ではなく、凡人の石岡和己だったということです。そして、本作で描かれる悲劇とは、実際に起きた津山大量殺人事件なのです。過去にも横溝正史「八つ墓村」森村誠一「野生の証明」で題材にされていますが、本作ではまさしくリアルにその事件を再現し、その悲劇を見事に描いています。そちらに大きく比重がとられているため、事件の謎解きやトリックの部分に関しては、多少もの足りなさがあるかもしれません、しかし、読了後の何ともいえない感無量な思い、こんな気持ちになる推理小説はなかなかありません。素晴らしい作品です。
が、それ以上に、本作がファンとして重要な位置づけになるのは、犬坊里美がデビューする点にあるでしょう。島田荘司の生み出した2大ヒロインの一人は、本作で初めて登場します。それまでヒロインと言えば、みなさんご存知、レオナ松崎ですが、この方はとにかく超がつく美人でスタイル抜群の売れっ子ハリウッド女優、わがままで勝ち気で怖いものなしで自由奔放で周りを振り回す性悪女キャラクターにも関わらず、実は御手洗潔一筋の片思いな乙女だったりしてます。そこへ現れた次のヒロインはこの逆のキャラクター、見た目はおとなしくかわいらしい女子高生で、しかし実は男を手玉にとる小悪魔的美少女、まさしく魔性の女だったりするのです。とうぜん、うだつのあがらない冴えない中年男の石岡君はいいようにもてあそばれるわけですが、世の推理小説オタクにはたまりませんなあ。ああ、私も事件を解決して「先生大好き」とか言われたい。

本原稿は2013年6月に書かれたものです。あらためて読むと、こちらもところどころ事実誤認してますね。それでもあえて記録として残します。

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