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傷ついたところが光りだす

不思議だと思う。
昔、ヘマをして傷ついたり
(それは一生懸命やったと言う事でも有る)
真剣な議論などで傷を受けてしまった心にある場所が
歳を重ねて光りだす時がある。

<Il est temps de faire briller les blessures.>

若い頃、特に古い年代の人間は
損得や効率や実用性があるか、などは考えもしないで
人が深いところにもつ理想を信じて議論を戦わせたり
する事は苦でもなかった。(もちろん全員ではない)
勝つ事もあったし、負ける事もあったし、結論のでない事もあった。
どの結果になっても、真剣に議論すればするほど心が疲れて
傷つくわけで、辛かった事も数え切れない。

それが最近になって、そのウズウズしていた古傷が
「輝く」は大げさだなぁ、「光だす」感じになる時があって
やっと議論の成果が何十年もたって見えたのか、と
思ったりする。

こんな事、若い方には待っていられないいだろうから
どんどん新しいパラダイムに乗って
進んじゃって頂きたい。

もう我々はその光だす心の景色を
死ぬまでにしっかり咀嚼して心に刻み込み
楽しかったと想いながら逝きたいです。

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