「無機質」な世界へようこそ。

「お客様は神様」なんて言葉がある。

「お客様が神様」の真偽を問う気はない。そもそもどうでもいい。

お客様としてではなく、人としてフェアな態度で接することを心がけていれば、どんなシーンでも通用するではないか。

接客が関わる仕事をしていれば誰しもが一度は経験したことがあるであろう、「お客様は神様である」という理論をふりかざしてくる厄介な勘違い野郎には呆れるものだ。

そもそも、「お客様が神様である」というのは1つの心構えのようなもので、その主語は店側にあるのが自然だと僕は思っている。

三波春夫さんという方を僕は存じ上げていなかったが、「お客様は神様である」という迷子の概念が流通している発端にはこの方が深く関わっているらしい。

ざっと読んでなるほどと思いつつ、しかしすでにこの議論は概念の発端をどうこう述べたところで何かが解決できるレベルにはないくらい、定義自体が変遷してしまっているような気がして、ここでは紹介程度にとどめたい。

引き続きボヤこうと思うので、お時間がある人だけ付き合ってくれればと思います。

さて、勘違い野郎はなぜ勘違い野郎かというと、「お客様は神様」=自分を大切に扱うのは前提として当然だろうという理論を裏打ちにしているからだ。何の根拠にもならないのに。

これがロジカルな考え方であるのかどうかに執着する気はないが、そもそも「商い」で行なっていることは「取引」であることを忘れてしまっているのが、勘違い野郎を生んでしまった発端だろう。

取引でやっていることは「交換」だ。もっと言えば「等価交換」。

同程度の価値があるお互いの所有物を、「交換」によって取引を成立させている。もちろん、そこに上下関係が介在することは自然ではない。

人類誕生から時代が進むにつれて、商いの規模がどんどん膨れ上がり、やがて競合他社(者)が出ててくるようになった。

そもそも物々交換だったものが、「お金」という媒体が生まれたことで、いつの間にか人々はその「引き換えチケット」を手に入れるために、「お客様」とか名前をつけてその人が欲しいと思うようなものを1から作り出すようになった。

面倒なことに、誰かが「売れる」ものを作れば、賢い人間たちはそれを「真似」してしまう。

すると「お客様」はどちらから買うか迷うハメになる。お店側も自分のところで買って欲しいから、ライバルを引き離すために「工夫」するハメになる。

ちなみに僕はその「工夫」の一つが「お客様は神様」であると思っている。

その信念を持つことで、お店の経済活動を支えようとしただけであっだのではないのか。

だとすれば、世の中的に「お客様が神様である」ことの真実を問うような議論自体、僕からすれば、どうでもよくなってしまうのだ。

だから、勘違い野郎と呼んでいるお客様も、しぶしぶではありつつもこちらもお金を払っていただける以上は「交換」に応じる必要がある。ただし、僕は自分がオーナーであったらお客様は選ばせてもらうが。

人様が所有しているお店で働かせてもらっている以上、自分の好き勝手は多大な迷惑に繋げる可能性があるので自分の正義をいつも貫けるわけではない。大きな事態には「責任が取れない」からだ。悔しいけれども。

もう一つ語るとすれば、「顧客対応のマニュアル化」の罠について。

通常、お店で働いているとトラブルはつきものだが、そうなった時には対処が必要。一応はそのときの「型」を知っておく必要があるだろう。そのときに役立つのがマニュアルだ。

気をつけるべきは、マニュアルはあくまでもマニュアルだと認識しておくことだと思う。

働き手はあくまでもマニュアルは「型」として捉えるべきものであって、お店のスタッフの一員である以上、お客様にかける言葉は己の言葉として責任を持つ必要があるように僕は思うのだ。

しかし、これは「マニュアルに書かれていることをただ素直にやっている」から例えば「謝りました」というのは勘違いも甚だしいことではなかろうか。

「マニュアルにのっているからその通りにやりました」というのは「責任逃れ」の道具にしかなっていない。自分がそのお店の顔として、お店と顧客の接点としてある以上、その自覚から生じる誇りを持って仕事をするのが当然だろう。

だかそのせいで、いちいちそんなところにもマニュアルをつくろうとしている現象が見られようともしている気がする。

マニュアルは自分を「無機質にする」ための道具ではない。

人の無機質な対応は、とてつもなく虚しい。

ため息を何度も誘発させる。

無機質が無機質を増長させているようにしか見えない。


人はいつから「1対1」、「人対人」を忘れる世界に住むようになってしまったのだろうか。

イメージだけど、江戸時代とかもっと昔の時代の方が人間臭くてそれはそれでいい時代だったのかもしれないなとか妄想が膨らんだり。

お客さんもお客さんで、注文するときは、目を合わせることなくスマホに向かってしゃべってるだけだし。

僕自身もそうしてしまっているときはあるが、気をつけて店員さんの目を見るように意識しても、彼女の目は下を向いているかPOSに向けられているまま注文が終わる時もある。決して僕にその目を向けることは一度もなく。

そういう世界は「ぬくもり」を感じることはないだろうし、なんだかさびしい感情に包まれてしまいます。

以上、どうでもいい落ち度のない話は、僕の勝手な現実をもとにした妄想だけれど、これはこれで楽しかったりするのです。


こんな感じで、日々の違和感で遊ぶことも大事な趣味だったりします。


今日も最後まで見てくださり、ありがとうございます。


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