当時の年収を月収で超えるまでのリベンジストーリー(仮)
「彼氏としてはいいけど、結婚相手としては見ることができんのよ。ごめんね…」
「今のお前じゃ、独立しても上手くいかんよ」
前者は当時結婚を考えていた彼女、後者は働いてた会社の社長のセリフ。
彼女には『甲斐性なし宣告』を受けてフラれ、社長には『能力不足』と決めつけられ、、、
当時の私には二人の言葉が忘れられず
「コイツらを……絶対に見返してやる!!」
そう誓ってから始まった
【当時の年収を半年で月収が超えたリベンジストーリー】
ってヤツを書いてみようと思い立ったので書き始めてみます。今は一人称を『私』と言っている私ですが、ここからは27歳当時に気持ちを戻して一人称を『俺』にしていく。
【登場人物】
【第1話】チャンス??落とし穴??人生の転機は突然に・・・
「なあ、藤岡。せどり部門を作ってやるからウチの会社で働かんか?」
突然のヘッドハンティング(?)のお誘いに戸惑う俺。ここから大きく人生の転機が訪れるのだけれど、少しだけ時間をさかのぼるね。
この頃の俺は日中にドコモ携帯を売る派遣社員。そして、副業では古本を買って転売をする。いわゆる『古本せどり』を副収入にして生計を立てるWワーカー。
本業と副業の収入を合わせて年収約300万。広島という地方都市で実家暮らしだったので借金の返済などは残ってたにせよ生活はとりあえず安定。2年前までの『自殺を考え続けた苦しみの時期』を考えたら幸福な日々と言ってもいいくらい。
(自殺を考え続けた苦しみの時期については機会があれば語ります)
その一番苦しい時期を支えてくれた2年半付き合ってる彼女もおり、職場の人間関係も良好。満足とは言えないまでも楽しい日々。そんなある4月の休みの日。本通り(広島市の中心通り)で本の仕入れを終え、街をぶらぶら歩いてると…
「おお、藤岡!久しぶりじゃの!元気しとったか??」
声の聞こえた方を向くと、以前の仕事でお世話になった社長の顔が。
「社長、お久しぶりです。元気にしてますよ。社長こそ今は何をされてるんですか?」
「時間あるか?時間あるならそこでお茶でもしながら話でもせんか?」
そんな流れで近くの『珈琲館』に入り、窓際の席でアイスコーヒーを飲みつつ昔話から今の話。共通の知人が今どうなってるかなど、様々な話で盛り上がる。そんな中、社長がふと
「お前、そんなに本を買ってるけど、それを全部読むんか?」と聞いてくるので「もちろん、読みませんよ。これはネットで売る為に仕入れた本なんですよ。社長、『せどり』って聞いたことあります?」「いや、ないわ。何なんそれ?」「せどりっていうのはですね・・・」と、説明をすると俄然興味を持ち始める社長。
「今は本の在庫どれくらいもっとるん?」
「どうやって仕入れる本を選ぶん?」
「利益率はだいたいどのくらい?」
「仕入れの予算はどのくらいでやっとるん?」
などなど、矢継ぎ早の質問の嵐。驚きとまどいつつも、せどりのことを話せる人は身近にいないので、嬉しくなって説明する俺。ただ、社長も忙しかったようで
「ごめん。そろそろ行かんといけんわ!連絡するけぇ、また時間つくってくれんかな?」
「もちろんです!連絡お待ちしていますね」
久しぶりの再開は1時間程度で終わり、怒涛の質問を受けつつも「あの社長が興味を持ってくれるようなことを俺はやってるんだ」と妙に誇らしくもあり。すごく充実した時間に。その翌日にほどなく社長からメールが届き「前の話もう少し詳しく聞かせてくれんか?」とのこと。
せどりの話が出来ることが楽しくて仕方なかった俺は喜んでその誘いを受けて、今度は夕食をご一緒させていただくことに。ちょっといい海鮮のお店(店名忘れた。。。)でごちそうになりながら、改めてせどりのビジネスモデルについてあれこれと質問攻めを受けつつ、それを答える俺。
そして、質問が一通り尽きたところで、社長からこんな一言が。
「・・・で、もしお前が副業じゃなくフルタイムで仕入れ金額の上限も気にせずせどりが出来るとしたら、いくらくらい稼げると思う?」
全く想像してなかった質問なので、軽く回っていた酔いも一気に覚め、脳みそフル回転。そして答えたのは
「今は仕入れ資金が無いので本の仕入れしかしてませんが、仕入れ資金があれば他のいろんなジャンルの商品を仕入れられるので50万とか利益を出すことは可能だと思ってます」
という多少の皮算用はあるけど、不可能とも思ってない数字を答える俺。対して社長は
「バイトとか使って上手くやればもっと稼げるかもしれんの…」と言いつつしばらく黙って考え込む社長。お互いの沈黙の時間がどれだけあったでしょうか。社長が言ってきたのが冒頭の言葉
「なあ、藤岡。せどり部門を作ってやるからウチの会社で働かんか?」
さすがに即答は出来ず。かといって、将来的にせどりで独立を目指してた俺としてはこの魅力的な申し出を断る気にもなれず。
「さすがに即答は出来ないのでちょっと考える時間をいただけますか?」
と答え、いくつか質問に答えてもらいつつその日は解散。気持ちとしては社長の誘いが本当に魅力的でこの流れに乗っかりたい。でも、今の仕事をしながら、少しずつ副業の収入を増やしていけば確実とは言えないまでも安全に収入を増やしていける。
先の見えないチャンスを取るか。安全性は高いけど、時間のかかる今までの道を通るか。
迷ってはいたけど俺の心の天秤は「挑戦したい!」という気持ちに傾きつつあり、正直ワクワクがとまらない。「数年先までかかると思ってたことが数ヶ月で達成できるかもしれない」そんなことを考えつつその日は眠れない夜を過ごすことに。
翌日の仕事中も正直手がつかず、頭は社長からの話のことでいっぱい。そんな中1日を過ごし、夜に彼女と久しぶりのデートに。
デートの最中に社長から言われたことを伝え、「どうしたらいいと思う?」と相談。正直言うと気持ちは引き受ける方向で決まりつつあった。ってかほぼ俺の気持ちはこの時点で固まってた。
だけど、結婚を考えてる彼女の気持ちを無視してまで挑戦しようとその時の俺には思えなかったんですね。なので、相談をしたところ、彼女からは逆に「あなたはどうしたいの?」と。
そう言われたので「どうなるか分からんけど引き受けたいと思ってる」と答える俺。「そう言うと思った。好きにやってみたらいいんじゃない?」と彼女。
『相談』の体を取りながらも、挑戦することを良しとする俺の性格を見抜いてる彼女だからこその短いラリー。やっぱりこの子は俺のことを理解してくれてる。このときのバカな俺はそうとしか思ってませんでした。
彼女の了承も得た翌日、社長に改めて連絡。
「社長。最後に一つだけ確認をさせていただきたいのですが、せどり部門を立ち上げると言っても初月からいきなり給料分以上の利益は出せないと思います。最初は赤字社員を抱えることになるのですが、それでもいいんでしょうか?」
それに対して社長は
「もちろん、そんなの分かっとる。新しい事業が立ち上がるのに最低でも半年は見とるから。それは安心してウチに来い」
との返事をもらえたので
「先日のお誘い、引受させてください」
と伝え転職を決意。今の派遣会社には「引き継ぎはキチンとしますので、それが終わった段階で辞めさせてください」という願いを聞き届けていただくことに。そこから1ヶ月後。仕事の引き継ぎも滞りなくおこない円満に契約終了。
「今までで出来なかった『フルタイムでのせどり』が出来る!しかも、仕入れ予算は会社が持ってくれる!!」
「これで、独立へのステップをショートカットできるぞ!!」
そんな希望に満ちた日々が始まると思ってました。
・・・が、この転職がキッカケでせっかくの平穏な日常も、結婚を考えてた彼女も綺麗サッパリ失うという気持ちいいくらいの転落人生に向かっていくことに。
そして、私の『リベンジ』がはじまっていく…
【第2話】充実した日々が一転。転落〜別れ〜復讐へ
「今度こそ絶対に成功して母さんと彼女を幸せにするから」
6月1日。父の命日に墓参りをし、墓前で父に成功を誓う。翌日から新しい会社での新生活は始まり、約束通り社長は『せどり(古本転売)事業部』を立ち上げてくれた。事業部といっても俺一人。だけど、1日中せどりをするという思い描いてた日々が始まるのは楽しみでしかない。
午前中はブックオフを中心に何店舗も回って仕入れ。そして、午後からは出品作業。空いた時間で元々会社でやってた『ブランド品のネットオークション販売事業』の手伝いも行いつつ。会社帰りにも仕入れを行う。一部を除いて『せどり漬け』の日々に。
「こんな働き方がしたかったんだよなぁ」この頃の俺は、目指してた働き方が出来たことには大満足。ただ、正直言うと先月までは
・本業(携帯販売)で20万+副業(古本せどり)3〜5万 =合計23〜25万の手取り
だったのが、本業(新しい会社での給料)での手取り約16万のみ。
(もちろん、事前に話し合いをして両者納得の上での取り決め金額)
これまでの本の在庫から少しは売れてたけど、月収が7〜8万も減り生活の余裕は一気になくなる。実家暮らしとはいえ、当時は大きな借金の返済もしていたので。当然彼女からも「ホントに大丈夫なの?」と心配されるが「今は大変だけど、絶対にうまくいくから」と言って彼女というより自分を鼓舞。
「この状況は今だけだ。半年もしないうちに売上が大きく伸びて状況は変わってくるはず」
そう信じて休日も返上し、せどり事業部を利益の出る状況にしようと必死にもがく日々(最初は給料分の利益も出せない赤字社員からのスタートだったので)。そんな新しい挑戦が2ヶ月にも満たない7月のある日。急な社長に呼び出しを受けることに。
「『いい感じで伸びてきてんじゃん』って褒められるのかな。それとも『もっと早く売り上げを伸ばせ』って叱咤されんのかな…」
そんな期待と不安が入り混じりながら、社長との面談へ。いつもの朗らかな笑顔とは違い、少し神妙な顔つきをした社長。(「あ…これは悪い話だな」)そう直感しつつも神妙な面持ちで姿勢を正す俺。「なあ、藤岡。ちょっと頼みがあるんじゃけどのぉ」そこから、想像もしてなかった言葉が。
「悪いんじゃけど、来月からAっていう工場行って働いてくれんか」
言われた瞬間は意味が全く理解できず、完全に脳みそフリーズ状態。全力で脳に再起動をかけ、そしてようやく理解が追いついた先に出てきた言葉。
「はぁぁぁぁ??何ソレ???」
・・・とは流石に社長には言いませんでしたが、心の中では確実にそう叫んでる俺。その心の叫びを抑えつつ、無理して冷静をよそおいつつ社長に向けて発した言葉は
「・・・すみません、どういうことですか?」
そこから色々説明を受けたけど、かいつまんで書くとこんな感じ。
・今、この会社は人材派遣の下請けに力を入れていて、大口の契約が取れた。だけど、人手が足りないから藤岡や他の社員何名かに行ってもらう
うん。わかる。わかるよ。
片方は、いつ利益を生むかわからない実験的に立ち上げた『せどり事業』。そして、そして、奮起して取り組んでるのは赤字社員が一人だけ。もう片方は、確実に利益が見込めてかつ、伸びしろがありそうな派遣の下請け事業。
俺が経営者の立場なら同じ決断をし、社員には同じ指示を出す。だけど、この時の俺にはそんな経営者目線の判断なんでできる余裕は皆無。なにせ、収入を大きく落としてまでこの会社に転職し、『せどり事業の立ち上げに全力を尽くす』って息巻いてたんだから。そんな俺の心に浮かんだ言葉をまとめると、たったの5文字。
「だまされた」
そこからは雪崩のようにいろんな言葉が怒りの感情とともに頭に浮かぶ。「せどり事業部に集中させてくれるって約束だったじゃねぇか!」「半年くらいは黒字化できなくても様子見るからって言ってたじゃねぇか!!」。ここに書けないようなもっと酷い言葉も出まくるけど流石に口には出さず。でも表情まで隠し切る余裕は無い。
社長からすれば、新入社員が生意気にも納得いってない表情をしている。そう見えたはず。だけど、本来はとても優しい社長はそんな俺の表情を見て察してくれたんだと思う。社長は申し訳なさそうな表情を浮かべつつ
「今は派遣会社の信用を得たい時期じゃけぇ、ガマンしてくれんか。できるだけ早い時期に他の人間と入れ替えるけぇ」
全く納得のできない理由。でも、転職して1ヶ月半の新米社員のワガママが通るはずもないことくらいは俺にも分かる。思うところは色々あったけど渋々と受け入れ、翌月から工場勤務になることに。
余談だけど、この工場ってのが携帯電話の基盤を作る生産工場。1ヶ月半前までは携帯販売を売ってた俺が、1ヶ月半後に携帯電話を作る工場で働く事になるとは‥。本当に何の因果なんだろうなぁと思ったのは、本当にどうでもいい余談。
社長の指令で行く事になった工場勤務だけど、俺にとってはもっとも苦手。ハッキリ言えば死ぬほど大嫌いな単純作業労働。先輩方には罵声を浴びせるタイプも多く、慣れない仕事に怒鳴られることも多い日々。その上、24時間稼働の工場なので、『4勤2休』で、日勤と夜勤を交互に繰り返すシフト制。
さらに、「1日も早く、せどり事業の売上を伸ばして戻してもらわないと!」と焦る俺は、そんな生活の中でも休みを返上して工場勤務の帰りや休日を返上。休むことなく、せどりを行う日々。当然のように心もカラダもボロボロになっていく。
そして、こんな状況では、彼女と過ごす時間も無くなり、たまに会うときは愚痴のマシンガン乱射。工場のグチ、会社へのグチ、社長へのグチ。彼女が聞くのも嫌がってるのは百も承知だけど、その時の俺は彼女に愚痴でも言ってないと心が保てない。そんな状況だったので愚痴を止められない。
「彼女は俺の状況を理解してくれてるから分かってくれてるはず」
そう信じきっていたからこそ、彼女に愚痴を吐き出しつつ。でも心の中では「絶対にここから巻き返してやる!」と信じて、工場勤務とせどりを行う日々。
だけど、水を熱しすぎると蒸発して消えてしまうように。「この流れなら当然こうなるよね」というものすごく当たり前の帰結に向かうことに。
ある日の晩、工場勤務を終えてからいつも通りの場所で、でも久しぶりの彼女と待ち合わせ。ドライブ中に話をするも、この日の彼女は全く元気がなく、どれだけ話しかけても生返事ばかり。
俺も話すことがなくなり、沈黙が続く。そんな中、彼女からふっと「言いたいことがあるんじゃけど・・・」流石にただごとじゃないと悟った俺は「どうした?」と聞き返すと
「もう、別れたいんよ」
との言葉。2年半も付き合ってきた中で何度か別れ話が出たこともあったけど、その度に話し合って乗り越えることができた。今回もきっとそうに違いないと思い込んでる俺は彼女がすでに別れを決断してたことに気づかず
「なんでよ?最近グチばっかり言ってたのが嫌だったなら謝るよ。だけど、今を乗り越えたらきっと・・・」
「もうね…そういう話じゃないんよ」
「どういうこと?」
ここから、生涯忘れられないことを言われることに。
「私もそろそろ結婚を考えたいんじゃけど、生活は一向に良くならないよね。彼氏としてはいいと思うんよ。だけど、結婚相手として見ることはもう出来んのよ。・・・ごめんね」
そこから先に俺が何をしゃべったのか、もう全く思い出せない。みっともなくヨリを戻そうと足掻いたのか。それとも、呆然としたままその日は別れたのか。ただ、間違いなくハッキリとしてるのは、その日を境に彼女とは完全に終わってしまったこと。そして、彼女から言われたことを一言でまとめれば
「お前は甲斐性なしだ」
と言われたってこと。彼女には本当に支えられたし、感謝もし、心から愛してもいた。だから、彼女の期待に応えるために必死にやってきた結果が「お前は甲斐性なしだ」と言われてフラれる。
悔しい、悔しい!でも、彼女が言ってたことが紛れもない事実だと、俺の給料が。俺の貯金残高が、俺の借金残高が示している。
もし、あのとき転職する決断をせずに、携帯販売の仕事をしながら少しずつ、せどりの収入を増やしていけば。。。そんな後悔もよぎるが時間は戻らない。
社長には約束を早々に反故にされ、大嫌いな仕事につかされる。職場の人間関係もキツいし、日勤と夜勤が入れ替わる労働で体力と精神が削られてるなか、休日も返上してのせどり事業の立て直しの日々。そこまで頑張ってるにも関わらず、心の支えだと信じてた彼女に男として失格の烙印を押されてメンタルボロボロ。
体力的にも精神的にも限界に近づいてた俺は、心のバランスを保つためもあったと思うけど。あろうことか怒りの矛先をこの時は彼女。いや、元彼女に向けることに。
「あいつ、、、俺を見捨てやがった!」
本当に人として情けない。でも止められない
「あの時に俺に言ってくれた言葉はみんな嘘だったんじゃ!」
なんという最低の責任転嫁。女々しすぎる感情。それでも止められない。だけど、こうでも考えないと自分の心が保てない。そして、最低な俺は
「俺の男性としての価値を全否定しやがったアイツ!俺を甲斐性なしと決めつけて別れたことを絶対に後悔させてやる!!」
そう心から決意し、
「アイツが後悔するくらいめちゃくちゃお金を稼いでやる!!」
心の底からカッコ悪くて情けない『復讐心』に火がついた俺に、本当に人生って見えない何かに操られてるんじゃないか?って思うくらい。そんなタイミングで届いた
・ある1通のメールマガジン
と出会うことに。そして、その1通のメールがキッカケで、更なる転落と更なる復讐心を。そして、その先に文字通りの人生の逆転劇がスタートすることに…
【第3話】詐欺師?メンター?ゼロリセットからの決断へ
8月のとある夜。疲れ切ったカラダを鼓舞しつつ、いつものようにメールチェックをしていると、とある1通のメルマガが目に止まる。
そのメルマガの内容はというと
というもの。今でこそネット起業塾やスクールなんてたくさんあるけど、俺の時代にはネット起業塾なんて皆無。恐らく日本で最初か2番目にスタートした個人向けネット起業塾だったと思う。
そのネット起業塾の費用は『3ヶ月で10万円』という金額。この頃の俺にとって10万円はもの凄い大金。だけど、大切に思っていた彼女に見捨てられたと思い込み、「見返してやる!」という復讐心に燃えたぎってる俺の目には
「今度こそ、本当のチャンスが目の前にやってきた!!」
としか見えない。この方のメルマガは長く愛読してたので「この人が信頼してる友人がやるネット起業塾なら大丈夫だろう」と思い、なけなしの貯金を崩し、ネット起業塾に参加。
「何がなんでも絶対に稼いでやる!!」
そういった熱い決意。そして、このネット起業塾で学んだことを”せどり事業”に取り入れることで、より早くせどり事業を軌道に載せられるかもしれない。1日も早く結果を出して、今の工場勤務から抜け出させてもらおう。
そんな気持ちもありつつ、期待に胸を膨らませた9月1日。このネット起業塾がスタート。
ここから、人生の逆転劇の幕が開ける・・・。
そんな俺の脳内シミュレーションとは裏腹に、ネット起業塾の開講後。ほどなくしてカリキュラムが滞り始める。
約束された講義が期日を過ぎても行われない。
サポート依頼の返事がなかなか来ない。
文字通り、『人生の一大勝負だという熱意で』なけなしの金で参加し、1日も早く稼ぎたいと焦ってる俺は、もう怒り心頭ブチギレ状態。
「この塾長もペテン師ヤロウか!信頼してたあのメルマガ配信者もグルだったんじゃねぇだろうな?ネットで稼いでるって言うヤツらはマジで信用できねぇ。。。」
心の中では罵声が飛び交うも、チキンな俺は直接文句を言う勇気までは出てこない。とはいえ何もしないわけにもいかず、他の塾生にも相談したところ
「私も同じように感じてる」
という同意と共感は得られる。…が、具体的にどうすればいいかという助言はもらえない。迷いに迷った末、このネット起業塾を紹介したメルマガ発行者に相談メールを送ってみることに。
すると、すぐにメルマガ配信者から、
「メールでお返事するのは難しいから、都合のいいときに電話をいただけませんか?」
との返信が。このメルマガ配信者さんもコンサルタントとして成功されてる方。めちゃくちゃ緊張するけど、そんなこと考えてる余裕はない。
電話嫌いの俺だけど、勇気を振り絞って伝えられた電話番号を入力し発信。すぐに電話に出てくれたこの方に向けて、今のスクールへの不満をぶちまける。
冷静に考えると、この方はメルマガで紹介しただけ。ネット起業塾に直接関わってもない。なのに、いち読者の俺に不満をぶつけられるなんておかしな話。
それでも黙って俺の不満を聞いてくださり
「藤岡君にこの塾を紹介したのだから私にも責任がある。申し訳ない。今日聞かせてもらったことは、全部私から彼(塾長)に伝えておくから」
そう言ってくれた。そして、
「ただ、藤岡君自身でも直接伝えた方がいいと思うよ」
とのひと言も最後に添えて。
「俺自身でも直接伝えた方がいい…」
頭の中でこの言葉を繰り返しつつ、改めて考える。
ネットビジネスで何の結果も出してない俺が、ネットビジネスの世界で大成功者と呼ばれてる(本当に当時とても有名な方だった)塾長に直接文句を言う…。
めちゃくちゃプレッシャー。。。
ただ、しつこいようだけど、この時の俺はいろんな意味で追い詰められており、「成功者で有名人だろうが知ったことか!」と開き直り、直接のクレームメールを送る。
5時間かけて、悩みに悩んで作り込んで送ったメール。その内容を一文にまとめると
「ご自身の体調(重度の腱鞘炎)のことで、カリキュラムが遅れてるとの理由ですが、10万円もの大金を払ってる以上は当初決めた約束を守るのが筋じゃないですか?」
というもの。本当にドキドキしながら送信ボタンを押したてから1時間経つか経たないかして塾長からの返信が。
こちらも簡単にまとめると、塾のカリキュラムが滞ってることへの謝罪。取り急ぎの改善予定について。そして、更なる改善準備のために1週間だけ時間を欲しい。
とのこと。そして、1週間後には私へ伝えてくれた内容通りに塾のカリキュラムのペースアップと塾の開講期間の1ヶ月延長の決定に。ここからは本当に誠実に対応していただくことができ
「ああ、言ってよかった」と思える結果に。
余談だけど、塾長から後日教えてもらった話で、今回の件に不満を持ってる人は多かっただろうけど、塾生230名中で直接文句を言ってきたのは俺一人だったとのこと。
そして、塾長とは付き合いが続いてるけど今でも「この時の藤岡さんのクレームメールを超えるメールは来たことが無い」と言ってくれる。お世辞だろうけど、今でもめちゃくちゃ誇らしい。……余談が過ぎたので話を戻すね。
ネット起業塾のカリキュラムやサポート対応も改善。状況も整ったところで、このネット起業塾のウリの一つである『全国の主要都市での直接面談』。俺の住む”広島での直接面談の日”がやってくる。
『生で見るネットビジネスの成功者』を初めて対面し、めちゃくちゃ緊張しながらも、用意してきた質問を聞くべく口を開く。
「今、自分の働いてる会社でせどり事業を立ち上げ、その事業を軌道に乗せる為に頑張っています。で、お伺いしたいことなんですが・・・」
と、聞きたいことを一つずつ伝えていく俺。塾長は終始にこやかな表情で聞いてくれつつ、俺からの質問を言い終わったところで質問が。
「で、藤岡さんはそのせどり事業でいつまでに、いくらの利益を出していきたいの?」
「1年、いや、できれば可能なら半年以内に月100万の利益は稼ぎ出したいと思ってます」
その言葉を聞いて塾長は優しい笑顔で。でも目は笑ってなく真剣な面持ちで
「うん、それはちょっと無理なんじゃないかな…」
との言葉が。
当時の無知な俺はとにかく必死で死に物狂い。『無理』なんて言葉が出た日には冷静ではいられない。慌てて「なんでそう思われるのですか?」と聞くと理路整然とした答えが。
もし、これを読んでる人が”せどり”を頑張ってる。もしくは興味を持ってるとしたら誤解をして欲しくないんだけど、「最初に取り組む副業」として”せどり”というのは、商売の基本を学べるとてもおすすめなビジネスの一つ。ただ、『月100万をせどりだけで目指す』は難しいと言われたってだけ。そこは誤解しないでね。
ただ、この時の俺は「せどり一本で身を立てる」しか考えてなかったので、この理路整然とした話をされたときに頭が真っ白になり、内心錯乱状態に。
「せどりというビジネスを選んだこと自体が間違ってたの?」
「ネットビジネスで成功しようなんて、無謀なことだったの?」
「もう、自分は嫌な工場勤務を続けるしか道が残されてないの?」
と、パニック状態。そこからの塾長の話がほとんど頭に入らない。その日に言われた唯一心に残ったアドバイスとしては
と言われたことだけ。
「情報を売る・・・」
俺に売れる情報なんてあるわけない。そう思いながらも、なぜかその言葉だけは心に残る。そんな混乱状態のまま貴重な面談時間を終えることに。
この辛過ぎる状況の中、「せどりで結果さえ出せば…」が心の支えだった俺は、心の支えさえ失って絶望状態。いつもの俺なら、この絶望に押し潰されて、しばらく何もできなかったはず。
ただ、この時の俺は「絶対に見返してやる!」という復讐心がエネルギー源となってる状態。今さらこの程度の絶望で立ち止まるわけにもいかない。
成功へのたった一つの手段と信じていた”せどり事業”をこの日を境にすっぱり諦め(せどり事業の継続は私のワガママで続けてたので)、違う稼ぎ方を探すことに。
”情報を売る”なんて、考えてなかった俺は何から手をつけたらいいのか全く分からず、とりあえず塾長が書いているコンテンツを改めて読み漁ることからスタート。
塾長の書くコンテンツは当時SNSで最も人気のあった『mixi』で提供されており、講義コンテンツも塾生限定のコミュニティ内で提供される流れ。
何かヒントになることはないかと必死な俺は最初のコンテンツから改めて、読み返していると、特に強調するでもなくサラッと
という一言が。今でこそ、SNSでお金を稼ぐノウハウなんてありふれてるけど、当時はそんな情報なんて皆無。
「mixiで何でお金が稼げるんだ??」
と不思議に思った俺は塾長が書いてた一般向けのコンテンツ(mixi日記)を一番最初のものから最新のものまで。余さず読み漁っていく。
途中途中、数日で削除したであろう日記も存在したけど、全てを見ていくと何となく「こういう稼ぎ方をしてるんじゃないかな?」というのが見えてくる。
「今度こそ、今度こそ、この稼ぎ方を研究することが一筋の光になるんじゃないか?」
そんな、藁にもすがる思いで、塾長の書いてることを分析。自分なりに理解して「こうやってみたらどうか?」というのをまとめていったものをブログにまとめていく。
5日で20記事くらい一気に書き上げたところで
「塾長の書かれてたことを参考に自分なりにmixiを研究。ブログ記事にまとめてます。ただ、ここから先この情報をどうやってお金に変えたらいいのか分かりません。何かアドバイスをもらえないでしょうか?」
と塾長にメールで相談。すると
「mixiで個人が稼ぐ方法をまとめたコンテンツは、ほとんど見られないので今はチャンスです。ただ、ブログ記事にまとめているだけでは売ることが出来ません。マニュアル化して情報販売をするべきです」
とのお返事が。それまでの俺はせいぜい
・ブログにくる読者を増やして、その読者向けに何かアフィリエイトする
くらいのことしか考えておらず、まさか
「藤岡さん自身でマニュアル化して情報販売をしましょう」
なんて言われるとは…。
「いやいやいや!何の実績もない俺がそんなマニュアル作れるわけないでしょ!」
「仮に作ったとしても誰が買ってくれるの??」
当然のように『出来ない理由』が頭の中を駆け巡り、「お前には無理だからやめとけ」と自分の心が訴える。だけど、ほんの少しでも可能性があるのなら・・・。今の俺には塾長のアドバイスにすがるしか道が残されてない。
「もう、こうなりゃダメで元々だ!!」
と、半分ヤケクソな気持ちにもなりつつも、自分でマニュアルを作って売るという『インフォプレナー(情報起業家)』への第一歩を歩むと決意。
ただ、塾長からは
「マニュアルを出すなら11月。最悪でも12月には販売を開始するように」
との追加指令(アドバイス)が。この時点で9月末。要するに、情報起業どころか何の販売のツテも持ってない俺に対して、今から2〜3ヶ月の間にマニュアル作ってとサラッと言われこと。
「未経験の人間に向かって…この人、鬼か!!」
と一瞬マジで思ったけど、もちろんそう言われるには理由があって。
「今は、まだ専門家たちからのノウハウは出てないけど、目をつけてる人は多いはず。その人たちを出し抜いて誰よりも早くマニュアル販売をしなければ大きく稼ぐことはできませんよ」
とのこと。つまり、いろんなことを伝えれたけど、塾長が俺に一番言いたかったことは
ということ。当時、mixiなんて、このネット起業塾に入るまでやったこともなかった。そんな俺が先を言ってる先輩方より先に日本初のマニュアルを出す。
どう考えても無謀なアドバイスとしか思えなかったけど、塾長からの「藤岡くんなら出来ますよ」というおそらく根拠なんてないんだろうけど、それでもハッキリと言われたこと。
そして何よりも見返したいという復讐心に燃えてる俺には、このくらいのハードルを超える方が見返せる。そういう気持ちもあって。
【3ヶ月以内に日本で最初の個人向けのmixiでのマネタイズマニュアルを販売する!!】
と決断。そして、その決断を実行に移すための『最大の障害』を乗り越えるために最初のアクションを起こしていくことに…
【第4話】二人目の復讐者〜死に物狂いの日々へ
遅くとも3ヶ月以内にマニュアル作成から販売までもっていくという塾長からの無茶振りミッション。未経験なことばかりで全てが足りない。そんな中でもこの時点で最も足りないもの。それは『作業にあてる時間』。
せどり事業は勝手にやってたことなので即ストップするも、日勤と夜勤を交互で行う工場勤務をしながらでは間に合わせるのはどう考えても不可能。
そう考えた俺は、翌日に社長に会い「今の働き方では自分のやりたいことが出来ないので会社を辞めたい」ということを伝えることに。
社長はというと、今後の話を含め全ての事情を聞いてくれた上で
「お前の気持ちはよく分かるし、今やりたくない仕事をさせてることも理解しとるよ。だけどな藤岡。お前が独立するのはまだ早いわ。今は我慢してくれんか。いずれちゃんとやりたい仕事に戻すから」
と諭すように俺に話してくれた。冷静に思い出して言われたことを考えると至極真っ当なことしか言われていない。
だけど、この時期の復讐心に加えて「今度こそ!」という想いに燃えてる俺に社長の言葉は折れ曲がって伝わり、入ってきた言葉は、
という部分のみ。「絶対に今度こそ成功してやる!」と息巻いてる俺は、この一言にめちゃくちゃ腹が立ちまして。邪魔をさせてるようにしか思えなかったので、そこから先は社長と口論のように。
正直、この日を境に辞めたかったけど、流石に当日で辞めるわけにはいかない。無理言って1週間程度で引き継ぎの要員を見つけていただき、社長とは半分ケンカ別れのような形で会社を辞めることに。
今思い返すと、正論を言ってただけの社長に対して逆恨みもいいところ。こうやって思い返すもの恥ずかしい黒歴史的な思い出。
だけど。情けないけど、このときの俺はフラれた彼女に続き
という『復讐対象』として考え、さらに負のエネルギーを高めていくことに。
仕事も辞め、せどりも辞めた俺に残ってるのは
そして
のみ。そして、会社を辞めた時にはすでに10月初旬。塾長から言われたマニュアル販売のリミットまで残り2ヶ月半。
この崖っぷち状態の中、俺は自宅に引きこもり、鬼のようなmixi研究と検証の日々がスタート。起きてすぐにPCを立ち上げ、mixi内で出来そうなあらゆることを検証。そして、検証結果として分かったことをまとめていく。
この頃の俺は
と言った感じで、1日平均で17〜18時間。睡眠は平均4時間前後で休みなくずっとPCに向き合ってた。
それと並行して塾長に
「かばん持ちでも何でもするんで、ネット起業塾の全国面談についていかせてください!」
と直談判。快くOKをいただき、月2〜3回のペースで全国各地で行われる面談や塾長が講師となるセミナーなどには全て参加。一番後ろで話を聞きながら塾長の話をできるだけ多くメモをとりつつ”ネットビジネスで成功している人の思考”を盗み続ける日々。
こうやって塾長がする他の人へのアドバイスを聞きてメモをとりながら、一人の時でも
という、今でも活用している”〇〇ならばどうする?”という思考の土台を作っていくことに。
そして、他の方への面談の最中にmixiに関する話題が出た時には塾長が
「藤岡さん、今から話す話をマニュアルに取り入れてくださいね」
という前置きと共にアドバイスする話を聞き、塾長のmixiの活用術を惜しげもなく教えていただく。さらに、面談が終了した後にも食事にも誘っていただき、そこで個人的にさらにいろいろと指導を受ける。
直談判をして全国について回ってたからこその『えこひいき』を受けながら得た学びは全て実践。その検証結果をノウハウに落とし込んでいく。
こうやって多くの学びを得ていく一方で無職の俺の貯金残高はどんどん減っていく。ノウハウ検証の過程で報酬は入り始めてるが、これも入金は翌月や翌々月のものばかり。
少ないお金で全国ついて回るしかないので、
といった生活。まあ、キツイですが「あの二人を絶対に見返してやる!」という復讐心をモチベーションにキツい体に鞭打ち続けた毎日を送ることに。
そんな日々を過ごしてたある日。塾長から
との2つの指示が。当然のごとく俺はメルマガを配信したこともなければ、販売ページなんて作ったこともない。
ただでさえ初めてのマニュアル作成にテンパってる中、さらに2つの指示に対し俺の頭は大パニック。だけど、この時の俺に「無理です」「できません」の選択肢は存在するわけもなく、塾長から言われたことに対する返事は
の一択のみ。まずは、メルマガ。当時は「メルマガを書くならここを使え」という代表格であるメルマガ配信スタンドの『まぐまぐ』にメルマガの創刊申請を行い、6時間近くかけて始めてのメルマガを作成。
忘れもしない、2005年11月10日。心臓をバクバク言わせながら、メルマガ配信のボタンをクリック。mixiで出会った方を中心にした読者たちに人生初めてのメルマガが配信。
メルマガ配信と並行して『販売ページ(LP)の作成』にもとりかかるわけだけど、メルマガ以上にどうすればいいか分からない。
塾長に相談して教わったことは
ということのみ。内心「もっと具体的に教えてくれよ〜〜!」って思う自分もいるけど、教えてもらえないなら盗むしかない!ってことで、こちらも塾長の販売ページや、他の方の販売ページを一つ一つタイピング写経。
さらに塾長や他の人の販売ページをプリントアウトし、気づいたことをメモしながら、自分の販売ページ文章に取り入れていく。
そして、先ほどはサラッと書いたけど、塾長からの指示は『販売ページの作成』ではなく
だったので、メルマガで配信を続けながら予約配信の準備も進めていく。
この時の俺は
という今思い返しても「マジでどうやってこのタスクをこなしてたんだろう?」って思うくらい慣れないどころか未経験のタスクをこなしまくる日々。
当然、引き続き『17〜18時間労働の日々&全国の塾長の移動について回る』というのをこなしながら。
・・・マジでどうやってたんだろ??
まあ、それはさておき。そんな怒涛の日々を送りながら、ついに
・予約販売の開始日
を迎えることに。経費を抑えていたとはいえ、激しく出張をしまくってた俺はこの時すでに俺の貯金残高は10万円を切った状態。
この予約販売でお金が入って来なければ文字通り
となるのだが…
【第5話】予約販売から大チョンボ!〜でも、そこからようやく…
11月22日。人生初となる『マニュアルの予約販売』の告知を開始。
本音を言えば、マニュアルを完成させてから販売したい。それでも『予約販売』を選択したのは塾長から
というアドバイスを受けたから。初のマニュアル作成で、完成するかどうかの自信もない。不安しかない。だけど、塾長のアドバイスには全て「やります」と答えると決めてる俺は腹をくくって予約販売に挑戦。
値段は大いに迷ったけど『30名限定で9800円』に。
初めてのメルマガ配信から2週間程度での予約販売で一体どうなるか?メルマガ上では自信満々に見せながらも本音の部分では
と恐怖を感じながら予約案内メルマガの配信ボタンをクリック。
結果は??
3日間ほどで限定人数を少し超える32名の先行予約の申し込みが。さらにこの日時点では個人向けにmixiに特化したマーケティングノウハウは世に出てなかったので
というポジションも獲得。
これにて一安心!!
・・・したのもつかの間。新たな、そして更なるプレッシャーが襲いかかる。
それは何か?実はこの予約販売。塾長から『返金保証』をつけるようにアドバイスを受けており、その返金条件の中に
と書いてたんですね。ぶっちゃけてしまうと、この予約販売を開始した時点でのマニュアルの完成度は20%くらい。
(マニュアル設計はできてたけど、執筆し終えてるのがこのくらい)
残り80%はまだマニュアルに書き起こせていない。販売ページの作成やメルマガ執筆でギリギリだったので、どうしてもこのような状況に。
このときの気持ちを正直に言うと・・・
これがマジな本音。先にも書いたけど、今回の予約販売で受け取ったお金を除けば残った貯金残高は10万円未満。
「マニュアル配布の期日に間に合わなければ完全に終わりじゃ。。。」
そんなプレッシャーが日々続き、お金を受け取ってからのほうが不安で不安で睡眠時間を削ってるのに眠れない…。予約販売が終わってからの3週間近く。毎日倒れそうになりながらマニュアル執筆だけにPCと向かい合う日々。
いくら書いても書いても
とブチギレられるんじゃないかと。ブチギレられるだけならいいけど「金返せ!!」ってみんなから言われるんじゃないか…。
急いで完成させないといけないのに、不安で不安で、書きかけたマニュアルを消しては再度書き直す。そんな3週間近くの日々だったと思う。
思う・・・っていうのは、この3週間近くの記憶がそれまでの2ヶ月以上にほぼ無くなってるから。漠然とした記憶。だけど、こんな感覚でとにかく必死だったことだけは間違いない。
そして、運命のマニュアル配布日の前日。
12月9日。
ついにマニュアルが完成。本当にギリギリだったけど、自分が納得できるだけのマニュアルを書ききることができた。さて…これをPDFファイルに変換して先行予約の申込者に向けて配布しよう。
そう安心して一息ついたところで、とんでもない事実にようやく気がつく。
アホ丸出しの話だけど、その時の俺はWordからPDFファイルに変換する方法をこのタイミングまで全く知らない。
この当時のWordファイルにはPDFに変換して保存する機能も無い。なんとなく”WordからPDFに変換することが出来る”っていう知識しかなかった俺には具体的な方法がわからない。
冷静な心理状態であれば、そこまで焦る話でもないんだろうだけど
という体調&メンタル状況で必要以上にテンパりまくり。
という謎のパニック状態に。冷静に調べる心の余裕もなかったので、mixiを通じて仲良くなった詳しそうな人に「どうやってPDFにしたらいいんですか?」というアホ丸出しな質問を投げかけ、呆れられながらも教えていただく。
が、、、それでも上手くいかない。
パニック状態でやってたので手順を間違えてただけだと思う。だけど、さらにパニックになった俺は、
「有料のPDF変換のソフトを買おう!」
と、なけなしのお金を払って有料のPDF変換ソフトを購入。「ようやくこれで安心!」って思ったのに、これでもPDF変換ができない。
「なんでじゃ!!」とさらに焦る俺。マニュアルは完成してるのに時間だけが過ぎていく。仕方ないので、さらに別の有料のPDF変換のソフトを買い、ようやくPDF変換に成功。
「はぁ〜〜マジで焦った…」
と、本当にここでようやく一安心するも、今度は
って言う人も出てくるかと不安で不安で。やっぱりその日も安心して寝付けない。
翌日。本当にビクビクしながら完成をしたマニュアルを配布。すると、私の不安とは真逆に、めちゃくちゃ好意的な感想をたくさんいただき高評価をいただくことに。当然、返金依頼もゼロ。
マニュアルを受け取った人たちから届く感想をいただくたびに販売ページにその声を掲載し、さらに販売ページの内容を充実させていく。。
そして、ついに12月15日。今回も大きな不安。だけど、ちょっとだけ自信が出てきた状態で正式販売に踏み切ることに。
ここからクレジット決済も対応し、私のマニュアルを紹介してくれるアフィリエイターも増え始めて12月の残り半月で100名近くの方に購入いただけた。
自分の商品以外でもアフィリエイト報酬で稼いだお金もあり、12月の手取り収入が100万円を超えることに。
2005年12月。ついに『月100万稼ぐ男』の称号(?)を獲得!
少し先の話だけど、この利益が入金された翌日。
その欲望が抑えきれなかった俺は、即座に銀行に走り100万円の現金を引き出し。
・帯のついた100万円の新札の束
を手にする。この100万円を手にした時の感動は本当に言葉では言い表せない。バカみたいに思うかもしれないけど、本当に涙が出てしまったほど。
そして、その100万円を家に持ち帰り、このお金を抱きしめてぐっすりと眠ったこと。これは言うのは恥ずかしいけど、一生忘れられない大切思い出の一つになっている。
正式販売も開始し「日本で初の個人向けmixiノウハウ」という謳い文句も使えたことで紹介してくれるアフィリエイターもどんどん増加。
ここから快進撃が始まり、そして…(最終話に続く)
【最終話】快進撃・恐怖・そして最後の試練
年が変わって1月。多くの実践者の声からノウハウの再現性にも自信を持ち、軍資金も出来た私は更なる攻勢をしかけることに。
具体的に何をやったか?というと、
ノウハウ販売数を伸ばすには『メルマガアフィリエイター』の協力が不可欠だった時代。
塾長が運営するネット起業塾で知り合った方。mixiを通じて知り合った方たちの中から『媒体力を持ったメルマガ発信者』たちに片っ端から連絡をし
と依頼。OKがもらえた人には日本全国どこにでも会いにいき、マニュアルの紹介を直接依頼。
直接会えない人にも
というお願い営業をしまくり。その甲斐もあり、1月・2月はメルマガ発信者へアフィリ報酬を支払った最終の利益額もプラス50万。プラス100万ととハイペースで伸びていく。
これまでの人生で借金の額が雪だるま式に増えることがあっても、利益や貯金額がこんなハイペースで雪だるま式に増えていくのは初めてのこと。
客観的に見ると、成功に向かってのウハウハ状態。最高に幸せな時期に見えると思う。だけど、一通りお金が入ってくる幸せを噛み締め、それも落ち着いた2月以降の俺は・・・
「怖い」
という気持ちが一番強い時期に突入することに。
お金が入ってきて嬉しい気持ちはもちろんある。繰り返すけど、実践者たちから嬉しい声もたくさんいただけてたのでノウハウの再現性やサポートのやりがいも感じてる。
だけど、これまでの人生がボロボロすぎた俺には、「こんなに上手くいきつづけるはずがない」と、この幸せなはずの状況を素直に信じ切ることができない。
その後も幸せと不安のギャップが押し寄せる日々が続き、辛くなりすぎてしまった俺はついに…
3月15日。ある決断をし、メルマガにでその決断を発表。それは、
『マニュアルの販売終了の告知』
売れ行きは伸び続けてたし、再現性も問題ない。だからこそ「なんで今のタイミングで?」といろんな人に聞かれる。表向きに伝えてた理由としては
この2つをよく話してたし、上記の気持ちも間違いなく本音。だけど…
「身の丈に合わない(と思い込んでる)お金が入り続ける状況に自分の気持ちが耐えられなくなった」
というのがより強い、心からの本音。客観的に、冷静に見れば明らかに「もったいないよ!」という決断。だけど、この時の俺にはノウハウへの自信はあっても『俺という人間自身』への自信はどうしても持つことができなかったので。
それが、突然(に見える)マニュアルの販売停止発表だったけど、この決断が結果として
と、迷ってた私のメルマガ読者からの購入ペースが増加。さらに、マニュアル販売終了のタイミングが最も売れやすいと知ってるアフィリエイターたちの紹介熱がさらに加熱。
売上が伸びていく喜びと「落とし穴があるんじゃ…」という不安のギャップを味わっていた時まさに、『全く想定してなかったトラブル』が起きる。
それは、マニュアル販売の終了1週間前のこと、PCを立ち上げていつものようにmixiで作業をしようとするとなぜかログアウトされている。
「まあ、これは時々起きることだしな」と思い、気にせずログインしようとするけどやっぱりログインできない。「パスワードの打ち間違いか?」と思って再度トライするもやっぱりログインできない。
もしかして…と背中に冷や汗をかきながら、何度もログインに挑戦。でもログインできない。
そう、mixiの運営サイドからBANをくらってしまい、
・mixiで繋がってた仲間とは連絡が取れず
・ノウハウ購入者向けのサポートコミュニティーにも入れない
という状況に陥った俺は
と、頭が真っ白。何も考えることが出来ず。しばらく呆然としていたけど何もしないわけにはいかない。今できることを一つずつ考え始める。
今の状況でまず出来ることはというと…『メルマガを書いて知らせる』。これが最重要タスク。
では、メルマガで何を伝えるべきか…。少しずつ冷静な心を取り戻しながら考えていく。まず絶対にやってはいけないのが
●アカウント削除された状況を隠して販売を続けること
そんな隠蔽はすぐにバレるのは分かりきってるので、そんなことは絶対にNG。次にやってはいけないと考えたのが
●mixi側への恨み節を書き連ねること
常にmixi側の規約はチェックしてクリーンに運営していたと自負していたから、正直恨み節を言いたい気持ちはあった。だけど、プラットフォーム側が「ダメ」と言えばダメで覆すことは不可能。
そして、たとえ正論だったとしても、恨み節を書き連ねる情報発信者に魅力を感じるか?というと俺なら魅力を感じるどころか幻滅する。だから、恨み節も書かない。むしろ、mixi側に寄り添うべき。
このようにして、何を書くべきじゃないかをいろいろ考えていくうちに、少しずつだけどハッキリと『伝えるべきことの輪郭』が見えてくる。
そして、同時に『今後やっていくべきこと』も明確に。最初こそ頭が真っ白になったけど、徹底して学び続けた『塾長ならば』の思考が身につきつつあった俺は
という前向きな考え方に徐々に向かっていく。そうして、考えを整理した上で
といったことを書いてメルマガ配信。どういう反応が来るか不安だったけど、結果としては大量の応援や励ましメールをたくさんいたくことに。
そして、状況を理解してくれたアフィリエイターたちも「こういう事情なら安心して紹介できる」と思っていただき、販売最終日まで積極的に紹介していただけた。
もちろん、「アカウント削除がこのタイミングで起きなければ、もっと売れてただろうな」と思わなくはないし、事実そうだったと思う。
だけど、そんな瑣末な売上よりも俺にとって良かったのは
という事実。このトラブルを前向きに捉えて乗り越える経験。そして実績が自信へと変わっていく。
という、振り返れば理不尽かつダサすぎる逆恨みからはじまったリベンジストーリー。
この2人を始め多くの人たちを「絶対に見返してやる!!」と、10月から本気のスイッチを入れ、そこから半年間死に物狂いで頑張った結果。
貯金額も1000万を超え、個人事業主のままでは税金がヤバくなるという友人経営者のアドバイスを受けて翌月の4月。今の会社である有限会社デターミネーションを設立。
このタイミングで社員も雇い、会社経営者としての新たな挑戦を模索し始めることに…
(リベンジストーリー編 完)
【けーふからのお願い】
今回の『リベンジストーリ一』はいかがでしたか?こういうストーリー形式で書くのは初挑戦。拙い部分もありましたが、なんとか伝えたい想いは伝えたつもり。
何かしら、心に響くものがあったなら嬉しいです。今現在のリアルタイムでの私の動きや考え方は全てnoteやツイッターで語っています。
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この勢いでもう一つのお願いですが、このリベンジストーリーをあなたのお知り合いにも紹介してもらえませんか?
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