:1年前の今: コミュニケーション
1年前、ある方の親戚の企業様のご紹介をうけた。その時は、税理士さん、社労士さんとうまくいっていないで困っていました。頼んだ通り、やってくれない、全然、顔をみせに来ないで来ても資料をおいてゆくだけだとのことでした。その経営者にも、何も問題がないわけではないとは思いますが。そこで、スイッチするように段取りしました。
そこで、考えたのは、いろいろなところで、だれそれとうまくゆかない、もう、こじれてしまってもとにもどれない、など、コミュニケーションのうまくゆかない状態、後戻りができない深刻な状態をみかけます。
もっとも、象徴的なコミュニケーションの悪化は、夫婦の離婚ではないでしょうか。もとはといえば、大好き同志だったわけです。それが、真逆になるわけですね。わくわくして新入社員になったひとが、罵声をあびてやめてゆくのも、同じようなものです。
結局、どうしてそうなってしまうのでしょうか。私はいろいろな事例をみてゆくと、相手を「100%認める」ことが肝ではないかと思います。すなわち、相手の存在そのものを認めることです。好きになったのは、相手の存在そのものが好きになったはずです。ですから、それを深めて新発見そしてゆけばよかったのでしょう。しかし、いつしか、自分にとってという視点になると、不満がでてくるのでしょう。自分が上で、相手が下になってゆくのでしょう。よくも悪くも、相手を100%理解して、それを受け入れることでしょう。相手が間違っていても、とんでもない状態でも、それが現実です。おそらく、変えようがないか、変わるには時間やきっかけが必要でしょう。
先日も、ある経営者と経営理念について話をしました。社長曰く、経営理念は、お客にこうする、というものではないのではいか、と思い感えあぐねていました。その通りですね。経営理念=存在する理由、といわれています。お客様から認められている「存在」がヒントになるはずです。