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<受験や起業という挑戦が無秩序になるとき、社会規範としての自然法思想、倫理学、宗教論について趣味的論考>    

今まで反対しかされてこなかった。いざ合格が現実味を帯び始めるとかなりの割合が(いずれ必ず受かると)手のひらを返した。実は挑戦すると言う積極行為に比較し、一瞬で出来る反対という消極行為に使われるエネルギー量には巨大な非対称性があるのでは無いか。しかし挑戦を際限なく許すと有限集団により形成される社会全体のエントロピーは増大しやがて無秩序に至る。その無秩序性が個々の人間集団により形成される社会全体に無視出来ない悪影響をもたらした時点で微細化されていた反対活動は、一種の全体主義を止める為のブレーキとし結晶化され(そもそも自然状態から微細的に存在していた)社会規範(自然法、倫理学、宗教論)として高度の価値を発揮するのでは。そんなこと考えながら論文対策中。
この思想分野で強い影響を受けた思想家→キルケゴール、ヘーゲル 、蓮田善明、スティーブ・ジョブズ、田中智学、廣松哲学、和辻倫理学、柳民俗学。
*筆者は語り得ないもの(いわゆる宗教や科学により説明出来ない事象)は語らないがそれを信じる人を否定しないという哲学的不可知論の立場に立脚してます
#受かるまでの自由への闘争 #平和の為の闘争
*論文合格最低ラインまで15〜17点、更に3万時間の投入を決断。(あくまで思考実験として)仮に法曹や法務業という仕事の平均年収が0円になろうとも、喜んでそこに一生を捧げようと思う。合格証書1枚は生きた証となる。

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