誰かのためにがんばるということ

※以前勤めていた職場は、プロテスタント系の学校だったため、毎朝礼拝がありました。その礼拝で私が話したものの記録です。毎回、指定された聖書箇所からお話を考えます。私の解釈が間違っていることもあるかもしれないですが、大目に見てください。

2016.01.20

新約聖書295ページ
ローマの信徒への手紙18章1節から2節

自分ではなく隣人を喜ばせる
私たち強いものは強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

私がここに勤めるようになったのは4年前でした。大学を卒業し、ここに勤める前までは、あるスポーツの選手活動をしていました。さまざまな国に行き、1年中試合やトレーニングに励んでいました。今日はその頃の話をしたいと思います。

試合に出るために年に何度も遠征に行ったり、コーチを雇ったり、トレーナーを雇ったりするのには費用がかかるため、どこかの会社と契約してスポンサーになってもらい活動したり、どこかの会社にプレーヤーとして契約して活動したり、仕事をしながら活動したり、コーチをしながら活動したり、スポーツ選手として活動していくにはさまざまなパターンがあります。

私も、あるチームに所属しながら活動したり、コーチもしたり、ある会社にスポンサーになっていただき試合に出たりしていました。このような活動をしていると、応援してくださる人も現れてきます。試合を見に来てくれたり、自分が勝った時は自分のことのように喜んでくれたり、負けた時には励ましてくれたり、時にはアドバイスをくれたりと、色々な人がいますが、結局は、自分がなりたい自分になるために、日々努力を重ねていきます。

私は、大学を出てこのような活動を始めていましたが、たまに、いくら頑張って結果を出しても、いくら頑張って努力してランキング上げたとしても、結局はただの自己満足でしかないことに寂しさを覚えたことがあります。そんな時に、この自分の活動が、努力が誰かのためになることはないだろうかと考えるようになりました。

こう考えるきっかけとなったのは、高校時代に出会ったライフセービングの影響だと思います。ライフセービングとは、夏になると海でパトロールをして遊びに来た人たちの命を守っている人たちのことです。高校生の時に、選択授業でライフセービングというものがありました。授業では海でパトロールをするわけではないのですが、救命・救急処置の方法を学んだり、プールで人命救助のトレーニングをしたりする授業でした。

「あなたは目の前にいる人の命を助けることができますか?」

という衝撃的なメッセージから始まった授業でしたが、その授業の最初にライフセービングについての説明があり、そこで初めてライフセービングスピリットを学びました。

ライフセービングとは、人命救助を目的とした社会活動のことを言い、一般的には水辺の事故防止のための実践活動のことを指します。そして、ライフセーバーとは、それらをボランティアとして行っている人で、ライフガードとはアメリカなどで職業としてやっている人のことを言います。

ライフセービングには競技もあります。ビーチフラッグスという、うつ伏せに状態でスタートし、20m先の旗を何人かで取り合うといった種目や、ランスイムランといって、名前の通り浜辺を走って海を泳いでまた浜辺を走るとても過酷な種目など、様々な種目があります。

けれど、これらの競技はただ勝つことが目的ではなく、最も迅速で確実に溺者を救助することを目的としています。レスキューに必要な救助技術と体力の向上の為に競い合い、より速く、より確実に救える命の為に全力を注ぎ、スポーツとして勝利を目指し、目的は、ゴールの先の救う生命(いのち)であり、自分が鍛えることが人のためになる、人のために尽くすというスピリットをこの授業で学びました。

この経験があったので、選手になったときにも自分の活動が誰かのためになるという方法はないのだろうかとよく考えるようになっていたのだと思います。大学を卒業し、選手活動をしているときにライフセービングの授業を担当していただいていた先生に久しぶりに会う機会があり、その時に、選手活動をしていても誰のためにもならなくて、誰かのためになるようなことがしたいと最近考えることがあるという話をしました。

すると、その先生はソフトバンクの和田毅(つよし)投手の話をしてくださいました。その選手は2005年から一球投じるごとにワクチンを寄付、勝利した試合はさらに多く、完投勝利はさらに多く・・・というように「僕のルール」を設定して寄付する活動しているという話を教えていただきました。その話を聞き、すぐに私も始めようと思い、2007年から試合に勝ったら寄付、本戦に行ったら更に寄付をするなどといった「自分のルール」というものを設定し、活動をすることにし、現役選手を引退するまで続けました。

このような活動をすることで、自分の活動が他の人のためになり、さらに自分自身が向上していくよう努めることができました。今日の聖書箇所にもありますが、隣人を喜ばせる、互いの向上に努めること、今はルールを作っていませんが、大きなことでなくても小さなことでも誰かのためになることを自然に行えるような人間でいたいと思います。

それではお祈りします。天にいらっしゃいます父なる神さま、今日も新しい朝をありがとうございます。こうして皆で朝の礼拝を守れること感謝します。毎日の生活の中で、小さなことでもおのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努める勇気や力をお与えください。また、今日この場に集うことのできなかったもののためにも祈ります。特別に顧みてください。今日も一日、学校生活をお守りください。主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。

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