人生の転換

※以前勤めていた職場は、プロテスタント系の学校だったため、毎朝礼拝がありました。その礼拝で私が話したものの記録です。毎回、指定された聖書箇所からお話を考えます。私の解釈が間違っていることもあるかもしれないですが、大目に見てください。

2016.05.10

マルコによる福音書1章16節から20節

イエスは、ガリラや湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

今回与えられた聖書箇所には、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネにおいて、主イエスが彼らのところに来て、彼らを見つめ、そして語りかけ、招いたことによって、彼らの人生が大きく転換しました。それまでとは全く違う歩みが始まった様子が書かれています。

そこで今日は私にとっての人生の転換についてお話したいと思います。私自身、これまでに大きな転機は4回ありました。その4つのお話をしたいと思います。

1つ目は以前もいつかの礼拝でお話ししたことがあるかもしれませんが、私があるスポーツを始めたきっかけです。私には4歳離れた兄がいます。私が小学1年生のある日、兄は友達同士でそのスポーツのレッスンに通うことになりました。ところが、なぜか兄はそのレッスンに1回行っただけで嫌いになってしまいました。もったいないということでコーチの許可がおりたため、兄の代わりに私がそのレッスンに参加することになりました。ところが、この頃の私の性格はシャイで人見知り、新しいところに行くのはあまり好きではないタイプでした。だから、ハッキリとは覚えていませんが、母から兄の代わりに行かないかと聞かれたときに、すぐに行きたいと返事をしたのではなく、何度か誘われ、渋々参加することにしたような記憶があります。

渋々行ったはずでしたが、実際に参加してみるととても楽しく、たった一回で私にとって大好きなスポーツの1つとなりました。と言ってもこの日からずっと継続して習うようになったわけではないのですが、長期休みになるとレッスンに参加するようになり、どんどん好きになり、そのスポーツのプロになりたいという夢を持つようになりました。そしてその後、プロに転向することとなり、今に至ります。このスポーツとの最初の出会いとなった兄の代わりに参加したあの日は私にとっての人生の転換の1つと言えるのではないかと思っています。

2つ目は、中学2年生の時のことです。今1つ目で話したように、将来はプロスポーツ選手になりたいと思っていた私は、突然、現実的に物事を考えるようになりました。冷静に考えると、もっと小さい頃から始めている人はたくさんいて、上手な人もたくさんいる、そんな中でこんな自分がプロになるのは無理だなと思うようになりました。その頃はちょうど部活で後輩ができた中学2年生、他の人が何かをできるようになったときの笑顔や喜ぶ姿を見るのがすごく好きになってきていて、教えることの楽しさも少し実感していき興味を持ち始めた時期でした。

それと同時に、当時担任の先生だった体育の先生に憧れていた、ということも重なり、将来は体育の先生になりたいと思うようになりました。より現実的な将来の夢を考えるようになり、プロスポーツ選手になるという夢は完全に諦め、新たな夢を目指していこうと考え始めたこの頃は、この転換があったからこそ次の転機に大きな影響を与えているし、現役のプロスポーツ選手を引退した後の自分自身にとっても、次の歩みをすぐに始めることができた、なくてはならない人生の転換の1つと言えるのではないかと思います。

3つ目は、高校3年生になったばかりの時のことでした。ある日、中学の時とはまた違う体育の先生が私にお話をしてくださいました。それは、「色々なことができることも、とても良いことだけど、1つのことを極めることも大切だ!」というお話でした。このときにしていただいたお話をきっかけに、中学2年生の時に諦めたはずのプロになるという夢を諦めたままではいけないのではないか。ちょっとオーバーに言うと、中途半端に諦めてしまっては教員になる資格もないなと思うようになりました。この時の先生からの何気ないお話をきっかけに、いつか教員になるためにも、もっともっと極められるところまで極めていく必要があると決意をすることとなりました。その後、この先生にも認めてもらえ、自分の中でも引っかかるもの、後悔のようなものはほとんどなく、次の歩みに移ることができました。そのきっかけとなったこの出来事は人生の転機の1つといえるのではないかなと思います。

4つ目は、プロとしての活動を引退することを決めて、次の人生をどうするか考えていた時のことでした。教員になりたいという夢を持ち続けていたので、教員の道を探していました。すると、体育でなおかつ、自分が行っていたスポーツの指導もできる者という募集を発見しました。それがこの学校の募集でした。次の仕事を探してから引退を決めたわけでなく、引退を決め、探していたら出てきた募集要項で、あまりにもタイミングが良すぎたので、自分のためにある募集なのではないかと思ってしまうくらいの出来事でした。色々な方々の協力もあり、無事第2の夢でもある教員にもなることができました。引退とバッチリなタイミングで、なおかつ内容的にもマッチした募集があったというこの出来事は、まさに人生の転換の1つなのではないかと思いました。

これらの4つの転換には、それぞれ、きっかけがありました。それらのきっかけに対して、私はとても素直になっていました。いつもだったら、新しいところにテニスをしに行くなんて、泣いて嫌がっていたかもしれません。けれど、その時は渋々ながらもそんなに難しく考えることなく、兄の代わりにテニスに行くことができました。先生のお話を受けて、なんだよと思わずに、受け入れ、素直に自分ができること、やるべきことをやろうと行動したり、とにかく、風に身を任せているような感覚で歩んでいくことができていたような気がします。

当時の自分は熱心に聖書を読んでいたわけではありませんし、神さまを信じて委ねて導かれて行こうなどと考えていたこともありません。とにかく、風の向くまま、たくさんの人に支えられ影響を受けながら歩んでいたという感覚でした。

ところが、改めて振り返ってみると、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネがイエスを素直に受け入れて、ついていったというのと近い感覚であったのかなと感じます。直接的な神さまの声ではないけれど、さまざまな人を通してあったきっかけや転換は、今回、この聖書箇所と出会えたことで、あぁ、神さまにしっかりと導かれていたのだ、神さまのあとをしっかり歩んでこられたのかなと思うことができました。そう思えたことで、とても大きな安心感が生まれたように感じました。

これからは、常に神さまとともに歩んでいるという気持ちを忘れずに、毎日歩んでいきたいと思います。

お祈りします。
天にいらっしゃいます父なる神さま、今日も新しい朝をありがとうございます。このようにみんなで礼拝を守れることを感謝いたします。今日もあなたとともに歩んでいくことができますように。
また、熊本、大分での地震で被害に遭われた方のために祈ります。その方々に特別な恵みをお与えください。そして、私たちにできることを行う勇気をお与えください。このお祈りを主イエスキリストのみなを通してみまえにお捧げいたします。アーメン。

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